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精神科医師のブログ。
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地域の医療の未来を真剣に考えてみませんか?

2012年05月03日 | Weblog
現場で日々奮闘されている皆さん。安曇総合病院ユーザーの地域住民の皆さん。

「病院再構築?医療のありかた?」そんなのは現場の自分には関係ない、院長や病院経営陣の考えることでしょと思わず、地域で安曇総合病院が担うべき医療の将来像について真剣に考えてみませんか?

残念ながら安曇総合病院の医療における大方針や再構築のロードマップで表に出ている情報が少ないために、今ひとつ現場の職員や地域住民はリアリティをもって実感できていません。
しかし知らない間にとんでもないことになっているかもしれませんよ。
その第一歩として、まずは院長をはじめとする経営陣の考えや訴えに耳を傾けてみましょう。

先日の職員全体集会でも時間の制約からか病院の将来像についての話はありませんでした。
しかしこのことは、みなさんの今後の仕事内容や給料にも直結することです。

そこでその場で私は院長に質問をさせていただきましたが、5月7日に再構築検討委員会で、なんらかのアナウンスがあるようです。

その時の院長の声を、職員全体に、地域の皆さんにお伝え出来ればと思っています。
さらに院長や県議の考えを聞き、対話する集会などを開催したいものですね。

院長の考えとして表に出ているものとして安曇総合病院のホームページでの院長の挨拶、それから病院広報誌”きずな1月号”での院長の年頭の挨拶などがあります。
まずこれらを読んでみましょう。

私には病院ってそもそも「おもてなし」をするところでしたっけ?と思い、なんだか、すごい違和感を感じましたが・・・。

さておき、ここであらためて中川真一院長の業績を振り返りながら、地域の医療のあるべき姿に関して院長の真意をたどってみましょう。


中川先生は院長になって以来、我々の目指すべき道を、「安曇野ホスピタリティ」という簡潔かつ分かりやすい言葉に凝縮し、当院が地域で果たすべき役割を明確に打ち出しリーダーシップを発揮してきました。

これは、佐久総合病院の「農民とともに」、富士見高原病院の「遠くの親戚より近くの高原病院」、ユーモアあふれる一関市国保藤沢病院(旧藤沢町民病院)の「忘己利他(もう懲りた)」などと比べても遜色のない素晴らしい理念だと思う人もいるかもしれません。
組織は理念を共有するものの集まりです。もう一度理念に立ち返る必要があります。
そして、もし理念がおかしいと思うなら、いま一度、全職員、地域住民も含めて理念を考えなおすべきです。
私なら、「地域とがっぷり四つに組んだ逃げない医療」や「パートナーシップ」という言葉を使うでしょうね。みなさんはどう考えますか?

院長先生はここ数年は毎年、新人職員全員に、「サービスを超える瞬間」という本を配り、感想文を書かせています。院長は、この本を読んで感じるところがあったようです。
新入職員の方、読まれましたか?どのように感じられたでしょうか?

リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間
高野 登
かんき出版


中川真一院長はこの本をとおして医療本来の役割を超えた医療のあるべき姿、安曇総合病院のあるべき姿を示したいのだと思います。
実際に院長は何度もリッツ・カールトンホテルに視察の宿泊にも出向かれて、そのホスピタリティを感じてきていらっしゃいます。
これだけ競争が激化し医療のあふれる状況では、ただ真面目に目の前の患者さんに地域に必要な医療を行うだけではダメなのでしょう。
医療はサービスです。ノーといってはいけません。

安曇総合病院は雇用の少なくなった地方の農村部で、多数の新規職員を採用してきました。
そして「安曇野ホスピタリティ」というコンセプトのもと、今までやっていなかった分野にも手を広げ病院を拡大し、「収益性を確保」し「病院組織の維持」することに心を砕いてこられました。
職員一人ひとりが意識をして病床稼働率をあげ、入院単価、外来単価を上げることに組織一丸となってとりくまなければいけません。
その目的のためには、地域のニーズだけをみているのではなく、いち早く診療報酬や医療制度の改定にアンテナを張り巡らせ、前のめりで背伸びをするくらいでないと医療情勢の変化についていけずに大きくなり人も増えて巨大となりすぎた病院組織を維持することすら困難となるでしょう。
中川真一先生は公私病院連盟の理事でもあり毎月かかさず東京に出張されて全国の医療情勢などについても敏感に感じ勉強をつづけていらっしゃいます。
また大町病院の経営検討委員会にも出席して「うちならつぶれます」と助言をしています。

院長は日々忙しい臨床現場の声に偏ることなく、医療周辺産業であるプロのコンサルタントも入れて広い視野で病院経営をおこなってきました。
バランスドスコアカードや原価計算などビジネスの手法を病院経営に取り入れたのもそのひとつです。
バランスドスコアカードも、原価計算もかつて聖路加病院などの有名病院でもなされていたそうですが、今はもう行なわれていません。(何故でしょうか?。)
こういったことは病院の理念や方向性がしっかりしていないと「仕事もどき」になりがちなのですが、この様な取り組みを真に活かしている中小病院というのはそうそうないと思います。
さらに外部の病院機能評価を定期的にうけ、大きな病院に負けないようにフルセットのさまざまな委員会をつくり質の向上に努めてきました。
おかげで毎日雑多な会議で大忙しです。会議削減委員会が必要という笑い話もでるくらいです。
たとえ患者さんと向かい合う直接業務の比率がすくなくなっても、さまざまな会議をおこない、質の向上を図っていくことが必要なのです。
そんな活動の集大成が、さまざまな経営指標などを院長自ら語って下さった先日の職場全体集会でしょう。

私は感動しました。

中川真一先生は古くから神経内科医としての長く実践をされ、2月には長野県の名医のみが出演しているTSB「奥様はホームドクター」に「手・足のしびれについて」のテーマで出演されるなど、神経内科の名医です。
テレビにでるからと研修医の本棚からも本を借り、(研修医に貸していた私の「頭痛・めまい・しびれの臨床」も借りていったようです。この本はやや古い内容ですが名著です。)秘書をあいてに何度も練習をしてから撮影にのぞまれたようです。
精神科に入院中の患者さんで神経内科的な診立てが頂きたくて紹介させていただいた方の返書に残念な思いをしたこともありました。

そんな中川院長先生は院長になっても率先して、日々、患者さんを丁寧に診療され、外来も院長特別枠の1時間枠に数人、毎週見ていらっしゃいます。
それだけではなく率先して病院の玄関にたって来院される患者さんに挨拶されている院長の姿を目にされた職員も多いと思います。

昨年の東日本大震災においては大槌町にDMAT(医師会の医療チーム)の一員として率先して被災地の医療支援にも赴かれました。震災直後から複数のチームを送った精神科以外の当院の常勤医で被災地に赴かれたのは中川真一院長ただ一人です。

思えば若月俊一先生の本、「50をすぎてボケとたたかう」のなかで、若月俊一先生、盛岡先生(現長野厚生連理事長)や大西先生(佐久総合病院美里分院長)、対談をされているように認知症のことについても早くから取り組まれています。
院長が、そのころから認知症をテーマにとりくまれていることが現在の安曇総合病院の認知症疾患医療センターの取り組みの奥深いところで反映しているといえるでしょう。

奇跡の医療・福祉の町ベーテル―心の豊かさを求めて
橋本 孝
西村書店


中川真一先生は「奇跡の医療・福祉の町ベーテル」という本を読み感じるところがあったようです。
平成22年には病院がもっとも忙しい時期である12月にもかかわらず、病院旅行の一環として、障害者雇用、福祉と一体となってキリスト教の理念のもと病院を核として街づくりをおこなっているドイツのベーテル市に1週間、視察研修に行かれ、その研修の様子を忘年会にもスライドで職員に見せてくださるなどしました。
そして、この病院や地域の目指すべき方向性のひとつとして「福祉のまちづくり」を主張してきました。
その講演を聞いた佐久病院のケースワーカーなどにも「厚生連の大会などで中川先生の話を聞いて感動した。ああいう考えの先生がトップでいるというのは、いいね。」と羨ましがられたものでした。
私は、そんな病院で働けることを誇りに思ったものです。

中川真一院長は病院に勤務する医師全員と毎年2回、ヒアリングをおこなってくださいます。

私が以前にいた病院でも、再構築の計画があり、なかなかすすまず混乱が続いていた様子を見ていて安曇総合病院に来た当初、中川院長は「うちの病院は独裁だから」という言葉に、頼もしさをかんじました。
今その言葉の意味をかみしめています。
(橋下市長を待望していた大阪市の職員も同じ気持ちでしょう。)
そもそも以前の病院では院長など経営陣と率直な話をする機会もあまりありませんでしたし、院長が定期的に直接時間をとってヒアリングをしてくださるということに私は感動しました。

院長とディスカッションして、そのなかから病院内の仕事をつかった院内の就労支援事業が立ち上がり就労支援室が誕生しました。
院長は強いリーダーシップでこの事業の実現に向けて活躍してくださいました。
トップダウンだとことは早い、さすがにちがうなと思ったものです。
今、病院の仕事の中で食器洗浄業務やユニフォームのクリーニングの仕事が、精神障害をかかえて生きている方が、支援をうけつつ働きながらリカバリーを果たしていく場として生まれています。
障がい者をあえて自立させないパラドックスへの挑戦です。
ただ障害者を支援の対象者におしやるのではなく、障がい者支援者ともに仕事を得てハッピーになれる広い意味でのワークシェアリングです。
是非、今後もこの路線を拡大していって欲しいと思います。

院長の業績として他の病院に率先して成果主義を医療の世界に導入したことがあるでしょう。
厚生連全体ではMBO(目標マネジメント制度)というのを管理職の研修までして取り入れています。こういったことは組織としての理念や目標があいまいだとあまり意味がないのでしょうが、当院には「安曇野ホスピタリティあふれる病院」という明確な理念があります。
一方医師には貢献度手当という制度を導入しています。年棒制や、さまざまな給与体系が混在することは民間の病院ではよくありますが厚生連病院では珍しいと思います。
医療はチームおこなうものであり個人の成果を競うことはそぐわないと成果主義に反対し、貢献度手当をつきかえした医師もいました。せっかくのヒアリングも拒否している医師もいますが、もったいないことです。
医療収益やサマリーや診断書などの早期作成、学術活動などに比例したポイント(事務職員が多大な労力をはらって作成しています。)に院長裁量をくわえ、貢献度手当が公表されています。

収益の多い順に棒がならぶ表をみせられ「君はコレ」といわれるたびに、なんとも言えない嫌な思いを味わいます。
私はヒアリングのたびに、貢献度手当はモチベーションを下げるだから止めたほうがいいといってきましたが、院長の考えはもっと深い別なところにあるようです。
地位と金はだれにとってもモチベーションの源泉であり人を動かす鍵であるとの信じていらしゃるようです。
一部にはモチベーションを下げるだけだと批判する医師もいますが、多くの医師には自分の頑張りに比例して収入があがることはモチベーションの源となっているはずです。
成果を公平に数字化することは非常に困難なことですが、中川先生は公平な目で評価してくださり、院長裁量ももちいて頑張っている人には有り難いことです。
その他にも「院長補佐」という名の管理職を何人も増やしてモチベーションをあげています。
管理職が増えいまや管理者会議は院長室に入りきらないくらいになっているそうです。



そんな中川真一院長の最大の業績としてあげられることとして卒後臨床研修が必修化にあわせて、いち早く臨床研修病院としての体制を整え地域の病院で育ててきましたことがあげられるでしょう。
安曇総合病院のような小さな病院で、これまでに初期8人、後期14人の研修医を受け入れて育ててきました。
現在も初期研修医が4人(1年目1人、2年目2人、信大プログラムのたすきがけ1人)が活躍しています。
病院が一体となって研修医の受け入れ態勢をつくり、研修医の存在が病院の活気の源となってきたのはみなさんも感じていらっしゃることと思います。
そのために院長自らレジナビなどへも出向き研修医の獲得を図ってきました。
当院で初期・後期研修を受けた医師は立派な医師となり一部は当院の整形外科の中核を担う医師へと成長しまた。当院で地域の医療現場のニーズを感じ、基本的な知識技術態度を身につけた医師は、今や小谷村の診療所での地域医療や、大学病院や長野県内外の病院で医療の中心として活躍しています。
当院の精神科や整形外科にも残り当院の医療の屋台骨を支えています。

精神科の後期研修医プログラムには人があつまり、県内の他の厚生連病院、こころのケアセンター駒ヶ根病院など多くの病院から派遣依頼があります。
医師を要請できるだけの規模と実力をそなえた組織は少なく全県から垂涎のまとです。
ただ、中川真一院長は精神科に妬みや恨みでもあるのか、収益を挙げない精神科はお荷物だと思っているようで、「安曇病院の問題は精神科があることです。」といい精神科病床を削減していく意向のようです。
どんな計算だか知りませんが原価計算によると精神科病棟は「毎年2億円の赤字を出している。」そうです。
安曇総合病院と地域の医療の将来を考えると、そんな部門はないほうがいいでしょうね。
この地域では精神障害への理解は行き渡り、差別はなくなり、支援を上手にうけつつ医療につながることができない人も減りました。増えている認知症やうつ病などはかかりつけ医でも十分に見ることができるようになりました。これまで総合病院精神科病棟としてのさまざまなニーズにこたえてきましたが、一般の病棟もじっとしていられない人や行動のまとまらない人もみることができるようになって来ました。
その役割も終え、コンサルテーション・リエゾンで十分やっていけるということでしょうかね。
それで困難な精神障害と身体疾患の合併症などで困ったケースはあらゆる科がそろい医師も医療スタッフも充実した大学病院に、それ以外のさまざまな精神科疾患の方は多額の予算を投じて新築した県立こころのケアセンター駒ヶ根病院などにお願いすれば見てくれるでしょう。
当院の精神医療は歴史的役割を終えたということでしょうかね。
院長の真意を聞いてみたいところです。

それ以外にも院長は電子カルテを導入したり、この規模の病院としてはいちはやくDPC病院へと手あげし、看護師を募集し7:1看護体制をしくなどのことをリーダーシップをとって全職員の協力の下遂行してきました。

一度決めたことは何があっても負けることなく力強くおし進めていく院長の姿には実に頼りになるものでした。
高齢化が進み社会自体が衰退(いや成熟)しているこの先の読めない変化が激しい困難な時代、理念や方向性さえ間違わなければ、これほど素晴らしいリーダーはそうそういないでしょう。

安曇総合病院には急がなければいけないことがあります。
これまで外来棟、南病棟(精神科病棟)と立て替えてきましたが、昭和44年に建設された中病棟は老朽化し、耐震基準をみたさなず、地震などの大規模災害時には大きな被害を受ける恐れがあります。
早急な建て替えや補修が必要です。

今回の病院再構築に対しては、院長と前事務長が我々一般職員の知らないところで、池田松川選出の宮澤敏文県議らとともに大町市、安曇野市、池田町、松川村、生坂村、白馬村、小谷村とお願いに回り、地域住民の代表である首長にも頭を下げて回り、地域ニーズを聞いて回るなど苦労を重ねてこられました。
政治家が聞いて回ってきたことや、住民代表の首長の言うことは診察室や在宅などでは聞くことのできない住民の真のニーズです。
再構築を平成25年度からスタートするということ、国・県から7億円をもらうという条件の元に市町村(地域住民)からも支援をいただくという一応の合意をいただいたのですが、再構築のかかる50億円を超える出資は、大変な額で、地元市町村はがん治療、緊急医療の確立を望む完結医療の実現のために出資することと院長に明確に訴えています。

そのお金は一円たりとも無駄につかうことは許されません。

このたびの地域医療再生基金も厚生連の本所は、佐久、篠ノ井、北信、そして小諸の再構築が優先される中、安曇総合病院にはその情報すらしらされませんでした。

しかし宮澤県議と院長はその話をすばやく聞きつけ、大急ぎでとりあえずの計画をまとめ申請しました。
人口6万人を超える大北医療圏にがん診療連携拠点病院が一つもないというのは大変なことです。
そして有識者で十分に検討され、やれるならやってみろということでリニアックとICUに関して予算をいただける可能性がでてきたわけです。

このまま、ICUやリニアックが導入できないということになってしまうと、せっかくの棚ボタのお金をいただけることができなくなり、40~50億かかる再構築の計画予算自体がなくなってしまいます。それでは本末転倒です。
リニアックやICU導入のついでに、老朽化した中病棟を建て替えることもできません。
次にいつチャンスが来るかもわからず、これは病院自体の存続に関わることです。

そして高齢者がふえるということは「がん」がふえるということです。
「がん」の3大治療のひとつである放射線治療機器がない医療圏などというのはあってはならないのです。
車などで松本や長野の病院まで通うことが困難な高齢者が治療の可能性のあるがんのために1~2ヶ月も都市部の病院に入院して放射線治療をうけるなどということは悲劇です。3大治療法の一つの放射線治療ができないなどということがあってはなりません。
緩和ケアや外来化学療法などよりも優先して整備を行わなければいけません。
声がないからといって、気づかず型、がまん型の潜在ニーズを無視してはいけないのです。

変化の激しい時代、いまや悠長にボトムアップで医療をつくっている時ではありません。
院長は困難を承知であえて今までやっていなかったことにも拡大していく決断をくだそうとしているのです。
センスと志のあるものが舵をとり、時代の波に乗り、変化に対応しなければならないのです。

大町総合病院再生プランをみても、これ以上高度な、医療、特にがん診療に関してはやるつもりもないようです。
だから宮澤敏文県議が主張するように、がん医療に関しても、救急医療に関しても大北地区のもう一つの病院である安曇総合病院が、どんなに苦労をしても赤字をおってもやらざるをえないのです。
これが住民の願いなのです。地元選出で「がん征圧」をテーマに長年取り組んでこられた宮澤敏文県議も「北アルプスいやしがん医療構想」という壮大な夢を訴えられてきておられます。
このような巨大医療クラスター構想は神戸のような交通や研究拠点のあつまる拠点ではなく自然にあふれ信州のような雄大な土地にこそふさわしいものです。
もはや役割を終えた精神医療を縮小して閉じ、がん診療、とくに放射線治療、それからICUをつくっての血管系の救急にも手を広げる。
人口の少なさなどは問題ではありません。

その道ははるかに遠いですがチャレンジする価値のあることです。
リーダーシップのある院長と、力のある政治家の後押しは力強いかぎりです。

安曇総合病院を日頃から応援して下さっている池田松川選出の地域住民の代表の宮澤敏文県議がいうように、「皆でもっと真剣になるべき」だと思うのです。
宮澤県議は選挙では他に立候補がいないということで、最近の選挙では無選挙での当選でしたが紛うことなく我々の代表です。住民と対話集会をかさね、「アルプス山麓からガンをなくす会」の皆さんと静岡がんセンターも視察してこられました。
「医療は医療者だけのものではありません。もっと地域住民の願いに耳を傾けるべきです。」と県議は言います。我々は地域住民の想いに答える義務があります。
日本国憲法憲法25条(生存権)で「国民は健康で文化的な最低限度の生活をおくる権利がある。」とうたわれています。
医療は社会共通資本でありインフラですから、水道や安全な食品の供給同様、どんな過疎地であっても都市部と同じ十分な医療供給体制が必要なのです。
地域にどんな医療が必要かということに関しては、地域で実践している医療者がきめるものではなく、住民の声を聴くべき事柄です。声なき人の声を拾う義務があります。

市立大町総合病院には内科医が不足し診療制限しているような状況です。
そのあおりもあって安曇総合病院でも一般診療を丁寧にやるだけでも大変になってきている状況です。
2つの病院で協力して地域に必要な医療を供給していかなくてはなりません。

しかし、健康管理、健康づくりから終末期まで日常的に丁寧に診察して寄り添い、生活を支え、健康意識をたかめ、福祉とも一体化して協業し、都市部の高度医療機関とも連携の体制をつくり必要ならば素早く高次医療機関に紹介し、急性期医療が終わればまた地域で見ていくだけでは不十分なのです。

そのような医療の存在は当然であり、あってアタリマエのことです。

宮澤敏文県議が住民の声を聞いてまわったところ、地域住民の喫緊の願いは、なんといっても救急医療体制の充実であり、がん診療体制の充実なのです。

僻地に住んでいるから医療において不利益を受けるということはわずかでもあってはなりません。
そのためにはいくら公費をつぎ込んでも仕方がないという考え方もあります。
(今回の補助金はまさに国民がそういう考えに同意をしているということでしょう。政治が機能している証拠です。)

現在日本の医療政策の基本は行政的には「第2次医療圏完結体制の整備」であり、「いつでもどこでも義務を果たす国民に一定レベルの医療サービスの提供」することは国政の基本である。」あります。
それはどれだけ小さい医療圏であってもかわることはありません。

県は県内10の医療圏に1つずつの、がん診療連携拠点病院の設置を求めている。当然、2次医療圏の1つである大北医療圏(人口66000人と木曽医療圏の3万2000人についで2番目に小さい。長野県の人口の3%)にも、大きな医療圏に負けない立派ながん診療連携拠点病院や高度救急医療を提供を完結する必要であるのです。

そして、制度上、がん診療連携拠点病院には放射線療法提供体制の整備が必要なのです。
高価な医療機器や高度な技術や知識を持つ専門医も、都市部からはなれた僻地であり患者が少ないからといって地域の病院には不要ということにはならないのです。
恥ずかしいことに大北保健医療圏(人口6万6千人)から21.9%の患者が松本保健医療圏(人口42万人)で受療しています。(救急車は3割が松本保健医療圏に行っています。)
これは大北地域の中核病院である、当院と市立大町総合病院の医療提供内容が住民の期待に答えられていないことの現れであり実に恥ずべきことです。
地域住民の利便性をそこなうことのないような、医療機能を真剣に考えていく必要があります。



救急医療に関しても白馬・小谷など松本や長野などの都市部から離れた地域では恩恵になかなかあずかることができません。これはとんでもないことです。
信州で2台目のドクターヘリも信大に配備されました。
多発外傷や、脳卒中や心筋梗塞が疑われる患者は救急隊の判断で大北地区の病院を素通りしていきます。脳梗塞においてもtPA治療の適応できる可能性が遠方であれば遠ざかります。
さらに大町総合病院にはベッドは開いていても医師がおらず、安曇総合病院は本当に満床などのことで、ふだん当地域の医療機関にかかりつけている普段から寝たきりで徐々に衰弱し食べられなくなった高齢者など松本医療圏の病院に搬送されることがあるなどのこともあり、救急車の平均搬送時間は他の医療圏よりも余分にかかっています。

松糸高規格道路なども計画されていますが、それもかなり将来の話です。

「県は、2012年度の第6次保健医療計画(2013~2017年度)策定で4医療圏(北信、大北、木曽、上伊那)の範囲の見直しを検討している。」といいます。
二次医療圏とがん診療

これは人口が少なく土地が広いということに甘えて高度救急医療体制の整備を怠ってきた我々の努力が足りなかったということです。実に、恥ずべきことではありませんか。
同じ長野県でも南佐久では佐久総合病院が過疎地でありながら高度なフルセットの医療機関を備えることができたというのに・・・。
情けないことです。

宮澤敏文県議のように現場の我々の言うことにもしっかり耳を傾けてコミュニケーションをとろうとしてくださり率直なパートナーシップを組める政治家は貴重な存在です。
政治家が住民の声を代表して医療者を叱咤激励するのは、ただ職務に忠実なだけです。
どこかから予算を分捕ってきて医療者を叱咤激励することでいい地域医療が実現できると信じています。
我々医療者は甘んじて聞き入れなければいけません。

これまでに十分な実績と碧眼がある中川真一院長先生と、地域住民の声を代表し、がん征圧をライフワークとして取り組んでこられた宮澤敏文県議が、地域の医療と安曇総合病院の将来を考えに考え抜いた結果、安曇総合病院がこの地域で必要な役割を果たし、生き延びていくためには、より急性期を担う病院編へと発展する必要があり、ICUやリニアック、ERが必要だと訴えているのです。

そしてその整備を地域医療再生基金を使うことで、我々のふところをあまり傷めず(補助率は三分の1です)に行うことのできる最大のチャンスが巡ってきているのです。再構築という形で一気にすすめば、ついでに老朽化した病棟の建て替えもできるかもしれません。

ICUやリニアックさえ導入すれば大学医局も優先して放射線科医や外科医などの医師を派遣してくれるようになります。
地域に必要な高度医療を担う病院として認められ、そこで働く職員のモチベーションもうなぎのぼりです。
当病院に来た医師は地域のために高度専門的知識を遺憾なく発揮して張り切って働くでしょう。
ICUさえあれば、多発外傷や、重症感染症、高度に侵襲的な術後の全身管理なども可能となります。脳卒中や心筋梗塞の急性期の介入もタイミングを逃さず地元で行えるようになり多くの人の命が救われ、また後遺症も少なくすることができるでしょう。

過剰投資となって将来にわたって赤字が続いても気にすることはありません。
職員だって地域医療の充実ためには、ボーナスなんていりませんよね。
院長や県議は乏しい私財を投げ打つでしょうし、地域住民も県議だってきっと助けてくれます。

しばらく我慢して頑張っていれば、評判を呼び患者は遠く診療圏をこえた地域からも集まるでしょう。
リニアックの波及効果で入院する人も増えます。外科医、院長の目論見では外科医も集まるでしょう。
いい建物をたてて機械を入れても赤字になるならそれは医者のせいです。
院長によると松本地区での放射線治療機器の供給は不足気味で、松本地区の患者も当院に来るようになるとのことです。より広い地域の人のお役に立てるのは嬉しいことです。
松本から高齢者が通うのは大変ですから当院に入院して放射線治療をうけてもらうことになるのでしょう。

人口の少ない土地ですが自動車社会です。
24時間オープンでどんな疾患でも、とりあえずは診療してトリアージをおこない、必要なら高度医療をおこなうER(救急救命室)が機能すれば、安曇総合病院の周辺だけではなく松本や長野からも他の医療機関が診療機能を縮小する深夜にいたるまで患者さんが押しかけてくるでしょう。
南に11kmはなれたところの安曇野赤十字病院も救急部をつくりER方式の救急外来をやっていますからこの地域の方は安心ですね。

高度専門医療からトリクルダウンすれば、その中に日常の健康管理や在宅医療やリハビリ、精神医療などの支える医療の必要性を感じる医師もたまにはでてきて地域で必要なプライマリケアも行き渡るようになります。
あきらめずに頑張りましょう。

中川真一先生はやると決めたことはこれまで必ずやり遂げてきました。
方向性さえ間違っていなければ、これほど頼りになるリーダーはいません。
しかしそんな素晴らしい中川院長も、病院の赤字が続かなければあと2年で定年です。
事業を多方面に拡大する、すばらしい計画をたてて、リニアックとICUを残して華々しく退職です。
中川先生の定年後、毎年赤字になろうともその路線をわれわれが引き継いで行かないといけないのです。
中川院長のあとを引き継いで院長をやれる人がいるのでしょうか?

我々は中川真一院長に甘えすぎてきたのかもしれませんね。

私は院長や職員全員に次の本を薦めます。
仕事をしたつもり (星海社新書)
海老原 嗣生
講談社



こうして振り返ってみると研修医育成、電子カルテなど中川院長の業績も明らかです。
しかし、福祉のまちづくり、リニアック、ICU・・と私にも院長の考えや目指すところがわからなくなっています。なんだかどんどんズレていっているような気がします。
今回ばかりはちょっと秘密裏に性急すぎです。福祉のまちづくりはどうなったのでしょう。
病院職員のみなさん、地域住民の皆さん、まずは院長のいうことに注目して耳を傾けましょう。

私は前回のヒアリングの時に、急性期病院にむけてやることを増やしていく計画の意義や実現性について院長に質問したら、「そんなことを言うなら先生(私)が院長をやればいいじゃないですか!ボクが院長なんだから従ってもらいます。」と言われてしまい議論になりませんでした。
そしてこれまで、長野厚生連本所の盛岡専務理事長、大町保健福祉事務所長や県の職員、城西大学の伊関友伸先生など外部の人にも入ってもらい、さまざまな着地点を探ってきましたが上手くいきませんでした。
地域の方や職員の世論に訴えようとする掲示などは怪文書扱いされました。

宮澤敏文県議は「ここにいたるまでさまざまなドラマがあった。いまさらやめられるものではない。」といいます。
宮澤敏文県議は最近、動きが見えなくなってしまいましたが(以前、このブログのコメント欄にもコメントを頂きましたが・・→このエントリーの下部を参照)
地域医療再生基金を獲得するのに奔走していただいた張本人ですのでその想いもいま一度きいてみたいところです。

みなさん、確かに日常臨床の医療実践は大変です。
次々といろんなことが起こりますし、日々アップデートされる医学の知識技術に追いつくことも必要です。

しかし地域の医療のあるべき姿や将来像に関しても院長などの経営陣や地域の政治家にまかせるのではなく、現場の最前線ででニーズを感じている職員一人ひとりが地域医療に本当に必要なことは何か、地域でおこっていることは何かを知り共有してともに考えることも大切でしょう。
600人を超えて増えた仲間とともに地域でどんな医療を展開するのか。組織としてどこを目指しているのかを今一度確認し行動していきましょう。

そのためには病院職員や地域住民が中川真一院長と宮澤敏文県議の考えをじっくりと聞く一方で、現場の思いや地域住民の声を伝えてとことん議論する場を設定する必要があると思います。


「経営をやる人間と医療をやる人間は別だが、その人達がいつも喧嘩している姿を世間に見せることで、地域の人達に安心をあたえるべきだということです。」

「ディスカッション、ディベートがないと人間ってだめですね。対立はあったけども、結果的には良いものができて、最終的には住民が良いサービスを受けられればいいんです。」


という村上智彦先生の「ささえる医療へ」のなかの言葉をかみしめています。

5月7日の会議がどのような展開になるのか注目して見守っていて下さい。
お恥ずかしい内輪もめの話ですが、せめて明るところで議論しましょうよ・・・。ということが私の伝えたいことです。

(さらに当地域の医療情勢をフォローして下さっている他地域、他病院の野次馬のみなさん。他人事だとおもってニヤニヤして見ていないで率直なご意見をいただけるとありがたいです。)