リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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リハビリテーションからリカバリーへ その4

2010年05月12日 | Weblog
胃腸科では内視鏡診断治療の最先端の技術や学問的姿勢はすごいなと思いながらも、一方で根治の望めない癌のひとたちがアメニティもあまり良くない古い病棟でずっといるのをみて、こりゃ許せん。なんとかならないかなと思いました。

佐久病院で学んだことは

「とにかく住民、患者のもとへ出て行け、生活をしれ。いって何が必要なのか考えろ。」
「住民とともに考えろ!そのためには演説をするな!劇がいい。」
「地域の有象無象との格闘技。そのためには男芸者にもなれ。」

変な病院ですね。

そして初期研修をおこなううちに、高齢者や難病の人、障害者をささえる医療をしたい、そのためにプライマリケアとリハビリテーションと緩和ケアを身につけて地域診療所へ出ようと思うようになりました。
地道な医療実践は地域づくりにもつながると考えまずリハビリテーション科を後期研修医の進路として選びました。
 
その前に初期の2年目の最期から後期の初めにかけて内視鏡スクリーニングと緩和ケアをやりたいとおもってもう一度胃腸科を回らせてもらいました。地域医療やるなら内視鏡くらいできなきゃいけないと軽い気持ちでおもっていました。
でもこの胃腸科は全国から内視鏡診断と手術の修行にくるようなところです。
そもそも胃腸科に緩和ケアをやりたくてまわる人なんていないようで、どうも当てが外れたようになり、上手くいかなくなり、緩和ケアも内視鏡も、何も出来なくなってしまいました。
自分は足場を固めながら地道に確実にというのがどうも苦手なようです。「二兎追うものは一兎も得ず。」でした。

同じ時に回っていた同期が、内視鏡や腹部超音波検査もちゃくちゃくとマスターし、仕事もテキパキとスマートに業務をこなして行くのをみて本当に落ち込みました。
小さい頃から持っていたアトピーはひどくなるし、それまで外科の時なんかも平気だったラッテクスには感さするし・・・。
精神的にも不安定で身の置き所のない状態になりました。

ちょうどそのころ祖父と祖母にがんが見つかり、どちらも1ヶ月くらいの入院で亡くなりました。
結局、その科の研修を中断して少し休みをいただき、亡くなる直前の祖母と1週間くらい過ごしました。
いったん仕事に戻り亡くなってからお葬式となりましたが、

「スランプだねぇ。」といわれたのが祖母と交わした最期の会話です。

やりたいことと、自分ができることが違ったり・・・。
もとめられていることが違ったり・・・。
能力がたりなかったり。

そして何か変だなとおもったときは、「いったん立ち止まって十分休んでから考える。いろいろな人に相談してみる。」ことが重要なのですが、意外とこれが難しいものです。