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精神科医師のブログ。
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発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ

2010年05月09日 | Weblog
信州発達障害研究会に行ってきた。今回で96回目だそうだ。
私が行くのは5回目。
個々最近は決まって塩尻のレザンホールで行われているが毎回結構な人数があつまる。
今回も中ホールが、ほぼ埋まっていた。300人は来ていただろう。
常連さんもいるのだろう。

公演中に手を上げてもらった様子では、教員1/3、当事者家族1/3、その他1/3くらだろうか?
病気ではないのだから当然とはいえ、医療現場の関係者は少ない。
しかし精神医療の現場でも発達障害は重要であり医療関係者こそもっと参加してもいいのにと思ってしまう。

発達障害に関しては医療関係者よりも教育関係者のほうがよっぽどよく勉強しているのではないか。
もっともいまだに「甘えているだけ、わがままなだけ」という先生もいるにはいるが・・・。

また当事者の親が多いのは発達障害の親も熱心にならざるを得ないところがあるのだろう。
会場では一緒に仕事をさせてもらったこともある高校の養護の先生なんかとも会った。



今回の講師は小栗正先生。
医療少年院や法務省などでご活躍され、いまは特別支援ネットの代表。
グループで高校への発達障害の支援のために巡回相談されている方だそうだ。
ピシッとスーツを着込んでいるが、痩せ身でカールした髪で飄々とした雰囲気。
身振り手振りをまじえて、話し方もどことなくユーモラスな方で思わずひきつけられてしまう。
今日からでもすぐにでも使える具体的な手法が盛りだくさんでとてもわかりやすいお話だった。

相談事業をしていて高校ではじめて見つかる発達障害というのも高校の種類によっていろいろだそうで、進学校ではきれいな高機能自閉症やアスペルガー症候群の子が見つかるという。
それは日本では勉強が出来ていれば友人がいなくても、別にその子を批判しないという雰囲気があるので問題とされずそのままきているからだそうだ。(うーん、思いあたる。)
しかし勉強はよく出来て大学まではなんとかやれても社会に出たらその日にずっこけてしまいそうな子達だ。
一方、勉強があまり好きでない生徒さんたちの行っている高校は、より大変で発達障害の徴候があっても知的なハンディキャップが何の支援もなく放置されていたりということもある。
定時制の高校などは進路指導の先生が困り果てて相談があったところ、中程度の知的障害で手帳就労が必要なレベルということもあるという。

このあたりの事情は臨床現場の実感としてよくわかる。

今の日本では高校生の15から18歳くらいの子が学校と言うフレームを外れるとサポートがなくなってしまい、ある意味子供を地獄に突き落とすようなことになってしまう。
だから非行のある方が、義務教育でないからといって中退してしまうとその後がないので非常に慎重にならざるを得ないという。


この辺りは本当に深刻だ。
日本の教育現場の貧しさの象徴のような気がする。プロフェショナル仕事の流儀で熱血な定時制高校の先生が描かれていたがああいう先生にあたれば幸運。あたらなければ退学、非行・・。とバッドシナリオに流れ込んでしまうだろう。
フリースクール、バイパス校などいろいろあるにはあるが一部の通信制高校など高校卒業資格をちらつかせた貧困ビジネスのようなものまであるようだ。
30歳くらいまでになんとか自立の道筋、シナリオをうまく描ければ良いのだが・・。医療や福祉もかかわり家族も含めて丁寧なサポートが必要だろう。

さて、具体的な約束やソーシャルスキルの支援についての話がいろいろあったが、サポート(支援)とセラピー(治療)を取り違えてはいけないということは強調されていた。
カウンセリングや精神分析などのセラピーは1対1の関係で少し子供返り(退行)させた、何を行っても許される関係で自己表現を促すのが典型だ。しかし1対1の人間関係とは実はあまり社会的なものではない。(恋愛くらいではっきり行ってアブノーマル)
濃密な対人関係スキルなどを学習させようとするのではなく、挨拶や頼む、謝るなどの基本的なスキルを、それが必要とされる場で練習すると言うことが大切で、その際具体的かつ生産的であることがポイントだそうだ。
本当はサポートが必要な人にセラピーを行うと、退行させてしまい、個別指導が孤立指導になって引きこもってしまうという。
「うつ病」の症状を持っているかどうかがセラピーの適応の分かれ目だが、もし迷うのであればサポートからということだそうだ。

そのサポートの方法だが、経験だけでは身につけにくいのが発達障害だから積極的に、スモールステップにわけて教えることが必要。
例えば盗癖に関しても盗んだとみるか、借用行動のエラーと見るかで指導の内容がまるで変わってしまうという。
盗んだと見れば道徳的指導や心理学的意味を解釈することが必要となるが、無断借用ならば、借りるものが出来るものと出来ないものの分別、頼む練習、断られたときの対応。借りられたときのお礼。ちゃんと返すこと、などをスモールステップで練習するというアプローチになる。
盗んだのか無断借用かなんてことは神様でないとわからないことであり、であるならばより具体的なほうを選んだ方がベターで子供に与える侵襲性が少ない。

そして今回のテーマでもある「約束を守る練習」についてはより詳しくお話しくださった。
紙に書く、相互完結的、新鮮さを失わないように期間を定める。
ご褒美やペナルティ、イエローカードやレッドカードなどを取り入れる。
敗者復活戦いれる。ご褒美は子供に聞く。などのコツがある。
約束を破るのをまっているようにペナルティというのはうまくいかず、うまく行っているときは約束ゲームをしているような雰囲気になるという。
そもそも子供たちはルールは遊びの中で学習するのだから、ルールを守ることの面白さを学ぶというのが大事だという。

また、こだわりに関して・・。

「学校には行かないことに決めた。」
「○○君がいるから教室にはいかない。」
「小学○生のときに先生に無理やり食べさせられたから給食はたべない。」

などのこだわりが自閉症で問題となることがある。

しかし、こだわりは軽いパニックのことがあり、周囲からはわがままに見える。
説諭されても眼前の状況は変化せず、小さいパニックが累積して大パニックにいたる。
これは教師の敗北・・・。

またその子のこだわりを周囲がこだわると余計強化してししまう。
つまり受容、反論、励ましなどをしてはこだわりの片棒を担ぐことになってしまう。

こだわりを軽くするためには視点を移すことがよいという。
具体的には、昭和天皇のように「あっ、そう」と聞き流し
「ところで・・・」とこちらの視点を提示する。
そして、いったん視点は未来に持っていくといい。

例えば、「ところで高校は?」などと・・・。
「行きたい」と子供が正論をはいたときこそ傾聴し、そのために今何が必要かと現在へ舞い戻る。

あ、このやり方は自分でも、認知行動両方的にも使えるな・・・。

んで、「高校に行くことは考えてない。きめてない。」という子には「おぅ、迷っていることはすばらしいぜっ。」
「何もしてほしくない。」という子には「慎重な態度と言うのはすばらしいぜっ」
と肯定的フィードバックをおこなうそうだ。
永遠不滅のこだわりはなく、ときどきケロリとするからややこしいのだそうだ。

それから、保護者との対応。まさに今トラブルっていますというときにどうするか・・。
「教師を変えてくれ、A君とB君を別の学校に」などと無理難題を言って来ることもあるがこれはメタファー(たとえ話)の暴走。
今トラブっています。というのに「仲良くしましょう。」というのは「馬鹿にするな」ということになってしまう。
「学校には問題はないんですか!」という話になる。防衛規制、否認のメカニズムがはたらくしごく正常な心理だ。
しかし本心では保護者は後ろめたさを感じている。
そこで愛情というファクターをだしても不毛だという。
支援者が子供との信頼関係ができているかどうかが大事で、子供の代弁者として子供と同じ側から保護者の方を振り返るスタンスがよいという。

究極の支援は動機付けであり、外向的なADHDの子はみんなから注目されるようなことは俄然やる気が出るし、内向的なPDDの子は自分の好きな分やのマニアックな話題で目がきらきらする。そういうところから取っ掛かりをつくって関わっていくのがいいようだ。

すぐに実践できる、具体的かつ生産的なヒントがいっぱいの公演内容だった。
(ここにまとめたのはほんの一部です。)

今回いけなかった方も小栗先生の許可を得て公演内容はDVDに録画して希望者にはなんらかの形で手に入るようにすると信州発達障害研究会の降旗代表。
是非どうぞ。

発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ
小栗 正幸
ぎょうせい