ここ最近ブログを書くのも疲れているのでなかなか書けません。
平尾昌晃さんが亡くなった時もそのことを書こうとして断念しました。
それも「愛は不死鳥=コサキンソング」で。
平尾さんといえば桑田佳祐さんと同じ茅ヶ崎出身で、彼がまだロカビリー歌手として活躍していた時にまだ子供だった桑田さんが豪邸からスポーツカーで出てくる平尾さんを見てかっこいいと思った話が印象的でした。
結核でロカビリー歌手として続けることができなくなり、そのことが作曲家としての人生のスタートだったことや女性関係が派手で未成年の少女に手を出したという話も・・・。
ご冥福をお祈りします。
話は変わりまして、今日からレベッカの「ブロンドザウルスツアー」以来の27年ぶりのツアーが大阪から開催され、母の入院中(5月22日)に予約したレベッカのおさいふポンタ引き取りと自宅に26日発売のDVD「REBECCALIVE85-86」が佐川急便から届いていました。
このDVDは昭和60年12月25日に渋谷公会堂で開催されたレベッカのツアーと翌年昭和61年11月1日に早稲田大学の学園祭で開催されたシークレットライブが収録されています。
「1979・84の歌謡曲」の著者スージー鈴木氏は当時早大生でこのライブを間近で見ていたといいます。
レベッカブレーク当時中3でしたがハマるにはまだ早く、高校3年生になってからレコード買いました。高校を出て社会人になってCDを買い、ライブが行けると思った矢先に解散。95と00年の復活ライブは横アリだけで、おととしの横アリライブもサザンの武道館公演優先で断念し、今年のライブもケアマネ試験と母の入院で最初はあきらめましたが、母も退院して調子が良く、ケアマネ試験も諸事情で受験をやめてエントリーしたら8月19日の愛知県体育館公演がステージバック席で当選。
レベッカがブレークし解散するまではサザンの曲ではありませんが「働けロックバンド」状態で、NOKKOは精神的に追い詰められていたといいます。ブロンドザウルスツアーもツアー中に盲腸の手術を受け、そのことでバッシング記事を書かれ、事務所との確執もあり、翌年1月19日の日本武道館公演を最後に活動を休止、平成3年2月14日に解散が発表されました。
レベッカのデビュー30年前年の平成25年にDVDにもなっているツアーがCD化され、翌年のNOKKOのソロライブで「フレンズ」をやったことでレベッカが再活動することになりました。
メンバーのうち高橋教之さんは「介護離職」で音楽活動から引退し、運送会社で働いていました。2年前の再活動時、彼がレベッカのメンバーだったことさえ知らなかった仕事仲間もいたといいます。
情熱大陸では自宅にゴールドディスクが飾られていました。
この姿を見てセカンドキャリアの在り方について考えさせられました。しくじり先生に出演された音楽関係者の多くは「解散してからのこと」を考えていなかった人が多く、元チェッカーズの鶴久政治さんは「また再結成する」とタカをくくっていたといいます。
小田原さんはいろんなアーティストのサポートとしても活躍していて、桑田さんとのかかわりも大きいです。小田原さんはパワフルなドラムプレイをする人でもありますが、そんな彼に「ドラムを下手に叩いて」と言った逸話があります。
85年のツアーのほうはDVDでも再発売していますが、最初このライブを見たときにエキサイトしたのは今も覚えています。
28日に桑田さんのライブの先行予約の当落メールのことで不安になっていたのを吹き飛ばしてくれたのはNOKKOのパワフルな歌声でした。来月のライブがますます楽しみになりました!!