本題を前に私事ですが、先週の金曜日に姪が目の虫刺されで1週間入院となり、弟から入院先でご機嫌斜めな写真を送って来ました。
そして今日めでたく退院しました。
19日のNHKのBSプレミアムで萩本欽一さんと小堺一機さんが熱海を旅するという「真似して真似され二人旅」が放送されていました。
20年前の番組ですが、嫌なことも忘れるくらい大爆笑しました。
この番組はものまねをする人とされる人がふたりで旅をするんだけど、今回欽ちゃんと小堺さんが行ったのは熱海です。
何故熱海なのかというと、お笑い芸人として挫折した欽ちゃんが熱海のホテルで営業の仕事をした修業の場所であることと、コント55号の人気ががた落ちし、自殺まで追い込まれた彼が失踪してたどり着いたのも熱海だと言います。
小堺さんは欽ちゃんを師匠だと思っても欽ちゃんは小堺さんを弟子だと思っていません。
同様のことが香川照之さんも体験したと言います。彼は東大を卒業後に俳優としてデビューし、2歳の時に離別した実の父親の市川猿翁さんがまだ三代目猿之助だったときに会いに行きますが、息子として認めて貰えませんでした。藤間紫さんの協力で和解するのに20年以上かかったと言います。
猿翁さんと香川さんのように実の親子でもわかりあえるのは難しいのです。
小堺さんは小学生の時にNHKの合唱団に入り、その時に出演していた今でいうEテレの番組のメンバーから外されるという経験をし、大学生のときに合唱団時代のメンバーだった山尾百合子さんがハガキを送ったことでTBSの「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場に出たことがきっかけでタレントとしてデビューするもの、大学卒業後に故勝新太郎さんが主宰する勝アカデミーという育成スクールで故岸田森さんの指導を受けます。
その裏に「何をしても中途半端」と厳しく言われた南極越冬隊経験を持つ寿司職人の父秀男さんの言葉がありました。
欽ちゃんとの関わりは所属事務所が一緒で、駆け出し時代に「欽どこ」で関根勤さんとのコンビ「クロ子とグレ子」として出たことです。
めちゃイケの「マジオネア」のクイズのネタにもなったように厳しく言われることが多かったと言います。
それゆえ小堺さんは欽ちゃんにコンプレックスを持っていると言っています。
貫一お宮の像の前でどういうコントをやるかというトークと小堺さんの欽ちゃんのものまねの特徴について語るのと欽ちゃんがお世話になった芸者さんやホテルのハコバンの人との思い出話で盛り上がりました。
途中小堺さんの熱海の海岸での「北の国から」の五郎さんとNHKなのに古畑任三郎と薄暗いバーでバニーガールを従えての勝新太郎さんのものまねで欽ちゃんを語りますが、ブタっ鼻で小堺さんだとバレバレ(笑)。
欽ちゃんからのテストの課題で小堺さんがホテルの宴会場で食事をしている団体客相手に欽ちゃんがやった小学生に扮してのコントをやるのですが、一部が受けただけで途中で帰ったおじさんがいました。
後で欽ちゃんが出てきて種明かしをした時、欽ちゃんが出てきたときの宴会場の盛り上がりは異常でした。
小堺さんに取ってはそれが相当なショックだったらしく、帰りは気まずい空気が出来てしまいました。
それはふたりで食事をしている時もでした。
2回目は欽ちゃんが熱海で考え、故坂上二郎さんとコント55号を結成するきっかけとなった机というコントで弁士が欽ちゃんで詰襟の学生服をきた小堺さんとのドタバタ劇です。
最初は二郎さんが弁士で欽ちゃんが学生だったのが受けが悪く、立場を逆にしたらバカ受けでした。
動画で見たら欽ちゃんがおもいっきり飛び蹴りするシーンであれだけでも大爆笑しました、
最後に手紙の返事の話で、ふたりでビールを飲んで今までのわだかまりが溶けました。
私は小堺さんが85年から17年までやっていた「小堺くんのおすましでSHOW」の90年から94年の名古屋公演に行っていて、92年にやった回でその年に「北の国から」のスペシャルの名場面でもある「純が東京でタマ子(裕木奈江さん)という女の子と肉体関係を持って妊娠させてしまい、タマ子のおじさん(故菅原文太さん)にかぼちゃを持って土下座する」というのをタキシード着てやった芸は恐怖を感じました。(当時ブームだった「ずっとあなたが好きだった」佐野史郎さんの冬彦さんより怖かった。)
小堺さんの田中邦衛モノマネは桑田佳祐さんの前川清のものまね同様オーバーなおかつ本人が憑依している。
あと小堺さんと松尾伴内さんとバイオリン奏者の中西俊博さんとバイオリンをウクレレにして漫談をしたのとリカちゃん人形をフライパンでソテーして料理研究家の結城貢さんのものまねをしたのもです。
小堺さんのコントで爆笑したのが今だったらコンプライアンスに引っかかるもので、欽ちゃんがせっけんのくにに行き、いきなり服を脱ぐせっけんのくにのお姉さん役の明石家さんまさんに「ダメだよー!こんなところで裸になって!!」といい、あげくのはてにはさんまさんを突き飛ばすというものや、ゴジラのぬいぐるみをかぶった小堺さんがアダルトビデオの女優で、ベッドシーンの撮影でブラジャーやパンティを助監督役の松尾伴内さん(だったと思う)が脱がせるとAV男優役のラサール石井さんがグラサンとぽっちゃりとした身体にビキニパンツ一枚で登場するというオチのコントとさんまさんが隊長の探険隊コントで当時社会現象となっていた人面犬を探すというもので、ジミー大西さんの原住民の歌に合わせて小堺さんの人面犬が登場するんだけど、鈴木宗男のような怖い顔でなおかつ拗ねていて「私は寂しい人面犬♪」と歌い、最後に案内したジミーちゃんが「すみません、嘘をついていました。」で終わるというもの。
小堺さんといえばコナキジジイのものまねも爆笑で、錦織一清さんと一緒にやったこともありました。
私はこういう小堺さんを見ていたので宴会場のシーンは衝撃でした。
欽ちゃんが小堺さんにやらせたかったのは自分を理解しない人をどう笑わせるかということだったのかもしれません。
20年前にやった「桑田佳祐の音楽寅さん」の渋谷ゲリラライブは最後に人が大勢集まり、モニターを見て身の危険を感じたユースケ・サンタマリアさんが桑田さんを救出に行くけど、これが熱海のホテルの宴会場だったらどうなっていたんだろうか?
自分を理解しない人をどう笑わせるかということは介護の仕事でも言えるのではないかと思った。
言葉を言い替えれば「自分を理解しない人をどう笑顔にさせるか」ということである。
20年前はお金をかけて番組を作る時代でしたが、リーマンショック以後お金を制作費を削るようになり、コンプライアンスの問題でテレビが面白くなくなってきました。
最後のメッセージではありませんが、また欽ちゃんと小堺さんのふたりで熱海を旅して欲しいです。