本題を前にネタバレも含まれているので見に行っていない人は絶対見ないでください。
21年ぶりに柳ヶ瀬のシネックスで「ひみつのなっちゃん」見ました。
高島屋のカードがあったので1200円で見れて、駐車料金(ただし指定されたところのみ)も3時間免除です。
映画の後でみそかつで有名な一楽でお昼を食べ、高島屋で目の保養兼チョコレート兼夕食の買い物をしました。
ただし柳ヶ瀬は昨年の信長まつりに木村拓哉さんが来て異常に盛りあがったことで彼の主演映画「レジェンド&バタフライ」のでかいフラッグが何枚も展示してあります。
「ひみつのなっちゃん」は3人のドラァグクイーンが自分達の恩人「なっちゃん」の葬式に行くため東京から郡上市に行くことになった。3人はなっちゃんが「ゲイ」であることを隠しているためあえて「普通のおじさん」として行くのだが…。というお話。
郡上は故さくらももこ先生お気に入りの街で、趣味の釣りのために郡上に別荘を持っていた俳優の近藤正臣さんが住民となり、東京オリンピックの閉会式に登場した郡上おどりやこの時期だと郡上本染の鯉のぼりの寒ざらしが吉田川で行われるのがニュースになっています。
この映画の最大のテーマは「隠し事をしてもいずれはばれる」という乙女チックなタイトルとは裏腹に人間の心の闇を3人の珍道中とドタバタ劇として描かれています。
主人公バージンとモリリンちゃんのおみ足もセクシーですが、個人的にはぶりっ子口調のズブ子ちゃん推しです。
岐阜県枠として東海テレビのドラマ「最高のオバハン中島ハルコ」の岐阜県でのシーンで佐野史郎さん演じる悪徳政治家の秘書を演じたマジプリの永田薫君のイケメンスーパー店員と宿屋の娘役で自身も郡上八幡出身の市ノ瀬アオさんが出演しています。
何故私が「この映画の最大のテーマは『隠し事をしてもいずれはばれる』」と述べたのかというと、結婚相手の家庭がいわゆる「機能不全家庭」で元ヤンキーの義妹(自分より年上)と自閉症の義弟がいました。弟が帰省すると存在を隠すために靴を家の中庭に隠していました。
家が郡上の手前の美濃市で、自由な環境にいた私は田舎特有の環境と自由もお金もなく、仕事をしても上手く行かずに体調を崩して最終的には離婚しました。
離婚して岐阜市の家に戻った14年後に自身も自閉症の息子さんを持つ元東レ社長の佐々木常夫氏の講演を聴く機会があり、そこで義弟の存在を隠す家庭だったことをカミングアウトしたら「かくしてもいずれはばれる」と発言しました。
告別式のシーンでバージンが棺に向かってなっちゃんの家族や親戚の前で自分がゲイであることを隠さずに話しかけ、そこにモリリンとズブ子もついて棺から離れなくなり、親戚の人が3人を引き離そうとした時点でなっちゃんがゲイであることが解ってしまうというオチに出ています。
与える物やメディア的に世界一恵まれていても、子供の自己肯定感が世界一低いと言われる日本社会で、LGBTQであることを死ぬまで隠し通した有名人もいれば、きちんとカミングアウトしている人もいます。
10年前の桂文枝師匠と山瀬まみさんコンビの「新婚さんいらっしゃい」のパリ収録で、番組初の男性カップルが登場しましたが、否定的な意見が多かったのも事実です。
否定的な意見が出る中でふたりが正々堂々とした態度で話していたのが印象的で、文枝師匠とまみさんもどう会話したらいいのか解らないのが見えました。
5年前に放送された「おっさんずラブ」と「きのう何食べた?」のヒットがきっかけで、LGBTQをテーマにしたドラマや映画が増えました。一昨年の東京パラリンピックの開会式では自身もトランスジェンダーであるはるな愛さんがパフォーマーとして出演していました。
昨年の1月にめいが自閉症スペクトラム障がいであることが判明して以来、子供を型にはめる日本の教育制度に疑問を感じ、自分が生きづらさを抱えて大人になったことに気がつきました。
2年前に亡くなった母は私が結婚していたときに障害のある義弟にも優しく接し、障害を隠すことに疑問を感じていました。自分が縫製工場のパートで働いていたときもバブル期で研修にきた技能実習生の中国人の青年や今の家に引っ越してからも散歩途中に出会った近所の中学のヤンキーにも優しかったです。
私が介護の仕事をするに当たり、どんなことがあっても利用者さんには手を出すなといい、外国人の職員さんは絶対に差別はするなと口を酸っぱく言いました。
父とも話したのですが、一部地域の成人式が荒れるのも人に迷惑をかけてはいけない、威圧的な服装や態度をしてはいけないという人がいないことも大きいのではと思う。
母も干渉的な性格である反面、なっちゃんのような優しい心の持ち主でした。
母亡き後に前の家の近所の人との人間関係やマウントの取り合いに苦しんだことを知り、ショックを受けました。
最後にLGBTQの人達、特に日本の子供達が生きづらさを抱えない世の中になって欲しいのとエンディングの渋谷すばる君の歌にもあるようにブラック校則等で子供を枠にはめ、自己肯定感の低い子供を生み出す教育がないようにして欲しいです。