パート4にまでなりました。
話は平成17年になります。
今の家に出戻って離婚届を出してから友達と無職になったのでクレジットカードの契約も出来なくなりました。
苦労して決まった再就職先もパートでギスギスした環境でした。
養蜂会社で蜂を育てる仕事なので土日は休めても祝日出勤でした。
再就職が決まる月に我が家でインターネット接続が出来るようになり、インターネットが友達でした。
秋にサザンが7年ぶりにアルバムを出すことになり、6年ぶりにナゴヤドームでライブをやるというので思い切ってチケットを取ろうとしても電話は繋がらず、お昼すぎに取れました。
しかし、家の近所のローソンでチケットを発券したら席が5階席…。
6年前の時は30分で繋がって、席もスタンド1列目でした。
ひとりでナゴヤドームに行き、スクリーンもまともに見れない状態で見て、寂しく帰りました。
しかし、インターネットのおかげで仲良くなったサザンファンの人達との出会いで孤独な思いをすることはなくなりました。
オフ会がきっかけで年明けにサザンのファンクラブに加入しました。
ブログを始めたこともプラスになりました。
養蜂会社に再就職した2年後に育てている蜂が外来種に引っかかるということで、夏に事業所兼工場を閉鎖することになりました。
桑田佳祐さんが年越しライブのMCで「無人島でライブがしたい」と発言したことで6月25日に静岡県浜松市で夢人嶋という音楽フェスをやることが発表され、ひとりで行くのも怖いのでおそるおそる離婚してから5年会っていない東京のいとこを誘ったらOKで、チケットもホテルも確保出来ましたが…。
本来なら系列の工場に異動の予定が、上司と折り合いが悪かったこともあり、首を言い渡されました。
それもフェスの前日でした。
フェスに行ったもの、キャパの割にはトイレも少なく、生理だったので地獄でした。ライブが終わっても待機が長く、ホテルに着いたのは日付が変わる前で、ツアー客だと夜中の3時だとか高速道路で行った人によると到着したら朝でそのまま仕事に行ったというのもありました。
散々な目にあったフェスの最大の収穫は加山雄三さんとアミューズ繋がりでポルノグラフィティと福山雅治さんのライブが見れたことです。
岐阜に戻ってから再度仕事を探さなければならず、決まった会社も5日で解雇(後で知ったのが解雇の背景に職場の主の人間が私のことを気に入らなかった)で、人間不信になった私は仕事を探す勇気もなくなりました。
当然親子関係も険悪になりました。
翌年の5月に今の介護職員初任者研修を受け、ヤマト運輸のアルバイトと日雇い派遣の仕事をしながら実習を受け、資格を取り、老人保健施設への再々就職が決まり、平成23年に介護福祉士資格を取得しました。
ヤマト運輸のアルバイトを始めた頃に仕事がないので暇つぶしで描いていたダンディハウスCMの桑田さんの似顔絵がネットで知り合った似顔絵師のコンクールで佳作となりました。
同時期に桑田さんのソロライブツアーが発表され、定職に就いていない状態なのに横浜アリーナの年越しライブをエントリーしてしまいました。
横浜アリーナ公演は落選しましたが、第2希望の日本ガイシホール公演が当選しました。
そのチケットがアリーナ1列目という神席で、母とふたりで大喜びしました。
離婚してから介護の仕事が決まるまで辛いこととがたくさんあったのが救われました。
ライブでは桑田さんに岐阜から来たことをいじられながらも楽しい時間を過ごすことが出来ました。
次はサザンの30周年ライブを見よう!と張り切っていたら東スポの記事で解散と書かれ、正式発表で無期限活動休止なので大騒ぎ。
30周年ライブが日産スタジアム4日間公演で、私は運良く東京のいとこがいたので行くことが出来たけど、中には病気や家族の反対で行くことが出来なかった人もいました。
東京に行くのは10年ぶりでした。
ライブの前はいとこの会社の親睦会に参加しました。
複雑な気持ちでライブを見て複雑な気持ちでいとこのマンションに戻り複雑な気持ちで岐阜に戻りました。
心に大きな穴が空きました。
この年は大変な年でリーマンショックと小室哲哉さんの逮捕がありました。
安定した仕事に就いて1年経ってもまだ契約社員でした。
平成21年になり、レコーダーを買ったことでテレビがリアルタイムで見れない心配もなくなり、WOWOWに加入したおかげでいろんなアーティストのライブを見ることが出来ました。
平成22年に職場の異動で小規模多機能施設に変わり、人間関係の不安と不満を抱えた状態で介護福祉士の試験勉強が始まりました。
桑田さんのソロアルバムとツアーも発表され、ナゴヤドーム公演が試験の1か月前なので何とかなるだろうと思っていたら桑田さんが食道がんであることが解ってツアー中止とアルバム発売が延期になりました。
母の「桑田さんは原さんがいるから大丈夫」という言葉に励まされ、秋の実技試験免除の実習も試験不合格で心が折れたけど再試験で合格し、大晦日の紅白に勇気づけられ、雪の降る中で介護福祉士国家試験を受けて無事合格しました。
しかし、合格発表の前に東日本大震災が起きてしまいました。
その後桑田さんの宮城ライブが発表されました。私は「いくら桑田さんが好きでもこのライブは被災された人のためのライブだから。」と行くことを辞めました。
その変わり11年ぶりに東京ディズニーリゾートに行き、大散財してしまいました。
11月に弟が入籍することとなり、マンションの駐車場に2台も車を置けないからと乗っていたダイハツムーヴを私に譲渡することになりました。ダイハツがミライースを発表し、その車を買うための下取りになりました。
定職に就いて4年しか経っていないので貯金がなく、幾らか親に出して貰いました。
弟が籍を入れる4日前に桑田さんの神戸でのクリスマスライブと横アリのライブが発表され、東京と車でお金を使い果たした私は心がポキンと折れました。
その経験から年末にお金を残すよう心掛けています。それはボーナスが出る立場になった今もです。
年明けに布袋寅泰さんのライブに行き、車も納車されました。
春に桑田さんのツアーが発表され、ライブのある年末を楽しみに仕事を頑張りました。
4年前の日産スタジアム公演以来の桑田さんのライブは生理痛も忘れるくらいエキサイトしました。
翌年の6月に待ちに待ったサザンの再活動が発表され、大きなニュースになりました。
実はGW後に原因不明の高熱が出て、大学病院で診察を受けたほど体調が悪く、6月の半ばまで歩行も困難でした。
体調不良のことがあったので9月の豊田スタジアム公演で助かりました。
本来なら地元公演はひとりで行くのが定番ですが、名古屋より遠いのとひとりは寂しいので東京のいとことふたりで行きました。
父が70歳になったことを機に「行けるうちにひとり旅をしよう」ということで仕事柄諦めていたサザンの年越しライブに行く決意をしました。
当時の職場が夜勤が出来ないと正社員になれなかったこともあり、ケアマネ試験の勉強も本格的に始めたのもその頃でした。
4月に名古屋で仲良しの似顔絵師のイベントに行ったあとは休みも勉強でした。
9月頃に年越しライブがあることを見込んでこっそり新横浜のホテルを予約しました。
ケアマネ試験も終わり、サザンの年越しライブのエントリーをしました。
ただしエントリー日は12月28日でした。
その年に車の車検とパソコンの買い替えがあったのでお金の工面に苦労しました。前の職場のことと桑田さんのソロライブツアーで外れた経験から大晦日は避けました。
当落メール発送日はまともに食事が出来ない状態でした。
その日は遅番勤務で、話の解る仕事仲間が夜勤なので、仕事の終わりかけにこっそり見たら当選でした。
今の家に来て10年経っていたので天にも登る気持ちでした。
年越しはファンクラブでも取れないので複雑な気持ちでした。
平成26年12月28日に遠足前日の子供状態のままほとんど寝ていない状態で新横浜に向かうこだまに乗りました。