スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

新潟富山の旅その3&ラスト。

2024年08月27日 16時56分36秒 | いつものお話
最後です。


砺波のホテルの朝ご飯を腹パンになるまで食べてしまい、荷物の片付けがしばらく出来ませんでした。


おまけにクロワッサンをトースターで真っ黒にしてしまいました。


荷物をまとめ、30分遅れでホテルをチェックアウトしてから砺波のチューリップ公園へ。


本当は4月の終わりにチューリップフェアを見に行く予定でしたが、コロナ感染で断念しました。


昨年は花壇に何もなかったのですがいろんな花が咲いていました。


塔を登ると花壇でチューリップを作っていました。


暑いので早めに退散しましたが、岐阜に戻るには早すぎるので思い切って氷見に行くことにしました。


ナビで設定したらチューリップ公園から氷見まで約1時間…。


必死になって運転し、ひみ番屋街という道の駅に行く予定が道を間違えて、ひみの海探検館の駐車場に車を置いて町を散策したら忍者ハットリくんの壁画がありました。


氷見市は藤子不二雄A先生の故郷で、後で知った事ですが、メインロードの近くにA先生の実家のお寺もあります。


メインロードを散策するとA先生のキャラのオブジェがあって写真を撮り、町を走るバスには怪物くんと仲間達が描かれていました。


探検館に入っていろいろ見てからひみ番屋街に向かってお昼に白エビのかき揚げ丼を食べました。


海を見ながら足湯につかったあとはお土産を買いました。


特に真空パックに入ったぶりのステーキは美味でした。


氷見を出て、能見自動車道から岐阜に向かいました。


新潟と富山の楽しい思い出も終わりが近くなりました。


長い飛騨トンネルを抜け、混雑覚悟でひるがの高原SAに入った時は16時頃でした。


ソフトクリームを食べ、お土産を買い、家に電話して1時間後に自宅の近くのICに到着しました。


家に向かう前に行きつけの中華料理店でお弁当を買って自宅到着。


荷物を下ろすだけで一苦労しました。


疲れていたので早く寝ました。


翌日はメンタルクリニック受診があったので起きるのが大変でした。


6連休も一気に終わりました。


往復ひとりで高速を運転して、ひとりでおじおばの家に行き、ひとりでホテルに泊まってあちこち観光して思ったことは母が何故自分のきょうだいに自分の予後が短いことを隠し通したということでした。


実は母の母校は例の上越市の中川市長がヘイト発言した高校出身です。


母は結婚後舅姑との関係と地域での人間関係に苦労して干渉的な面もあったけど、パート先の縫製工場に来ていた別れた旦那の自閉症の義弟も、今の家の近くの中学のヤンキーも差別しなかったし、自分が介護の仕事をしていたときに手のかかる利用者様が唯一心を開いた相手が母だけでした。


それ故中川市長のヘイト発言に怒り以上の感情を持っています。


今度はその答えを探しに来年も新潟に行く予定ですが、サザンのツアー優先なのでどうなるか未定です。


本当は体調を崩しやすい8月に休職することも考えていたけど、上司に休みが長すぎると戻りづらくなるということでお坊さんの来る14日と17日から6日だけの休みになりました。


今もロスがあります。


9月からは逆にドライブしやすい時期です。


今後は当選したらの話になるけど、サザンのロッキンラスト公演のLVと多治見の陶器市があります。


また佐藤嘉風君の実家のカフェにも行く予定です。


最後にETC料金とホテル代と新潟でのガソリン代の請求額を見るのが怖いです。



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新潟富山の旅その2。

2024年08月25日 20時52分42秒 | いつものお話
前回の続きです。


本当は10時30分に上越ICに行きたかったけど、母の実家に行くのが大回りになり、約1時間オーバーなりました。


お昼近かったけど、富山で食べたいので名立谷浜SAで笹団子食べていました。


その後有磯海SAまでの道のりがしんどかったです。


行きは海がよく見えましたが、帰りはデンカの工場がよく見えました。


有磯海SAまで必死になって運転していました。


本当は新湊きっときっと市場でお昼の予定でしたが、間に合わなくて有磯海SAのレストランでお昼。


ます寿司と氷見うどんとホタルイカの佃煮とホタルイカと白エビの天ぷらとお刺身の定食が美味しかったです。


お土産も藤子・F・不二雄先生が高岡市で藤子不二雄A先生が氷見市出身ということもあってF先生のドラえもんと富山の名物が描かれたクリアファイルと雷鳥のビーニーベイビーのぬいぐるみとちいかわのキーホルダーと富山ブラックラーメンの即席麺を購入。


インターを下りて新湊方面へ。


海王丸パークが見え、新湊きっときっと市場へ。


名物の白エビソフトクリーム(トッピングなし)を食べようとしたら立川志の輔師匠の独演会のポスターがあり、「歌ってガッテン!」で桑田佳祐さんのチャン・グンソクさんの下ネタに激おこしたのを思い出しました。


志の輔師匠が富山出身なのは知っているけど、新湊に来て衝撃的な事実を知りました。


ウィキペディアで調べたら新湊出身なのです!!


お盆の影響で休みだと思っていた観光船が運航していることを観光客の人から教えてもらい、大急ぎでチケットをペイペイ支払いで買い、ギリギリセーフで乗船出来ました。


船のアナウンスも志の輔師匠で少年時代に海に落ちた話をしていました。


普段長良川という景色を見ている私に取って海は特別なものであり、海を見ると心が落ち着きます。


今BSTBSでOAされている「男女7人秋物語」で今は亡き川崎木更津間のフェリーが出ていることも影響大です。


100円ショップのセリアに売られている貨物コンテナの小物入れを買い漁っていたので本物を見た時は迫力がありました。


驚いたのは船の上にいるカモメが落ち着いていること。


ハイスピードでの運航でオエオエ状態になった日間賀島往復の船と違い、ゆっくりと海が見れました。


港に戻って船の写真を撮ってから駐車場に戻り、ホテルのある砺波へと言いたいところですが…。


ズボンが血で汚れてしまい、砺波のイオンにベルーナがあることを知り、ベルーナでズボンを買おうとインターからイオンに行こうとしても道は解らず、途中クスリのアオキで生理用品を買い、無事にイオン到着。


好きな色ではなかったもの、ズボンを購入して履き替えてホテルへ。


チェックインしたもの、フロントの人の説明不足で部屋に入れず、再度手続きと支払いをして無事に入室出来ました。


休憩後、ドンキで買い物してからドンキ近くの石焼きステーキ店で夕食。


海鮮が続いたのでお肉が食べたくなったからです。


お昼に氷見うどん食べていなかったら8番らーめんで夕食も考えていました。


ドンキのレシートのお陰でサラダが無料になりました。


夕食後、ホテルのコインランドリーが空いているのを見て洗濯をし、乾燥機にかけて洗濯物を干してお風呂に入って寝ました。


余談ですが、新湊に行く途中に能登地震の影響で市場と港に行く道が工事をしていました。憧れの港町も地震のリスクがあると改めて感じました。


次回に続く。
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新潟富山の旅その1。

2024年08月21日 22時15分42秒 | いつものお話
18日から20日の2拍3日で新潟と富山にひとりで高速道路を運転して行きました。


自分の家からIKEA長久手のある愛知県長久手市と三井アウトレットパークのある滋賀県竜王町と牧歌の里のある岐阜県郡上市までは行けたのですが、今回はこの倍の距離を行くので緊張して眠れず。


当日は6時に家を出て、山県ICから東海循環道と東海北陸道と北陸自動車道で新潟まで行きました。


7時30分にひるがの高原SAで休憩することになりましたが、お盆ラストと夏休みの部活とスポーツ少年団の合宿も重なって大混雑。


景色見ながら自分で作ったサンドイッチ食べていました。


SAを出て、今度は富山県方面へ。


10・7キロの飛騨トンネル走行は恐怖との戦いでした。(BGMは桑田佳祐さんのツアーのDVD)


富山県に突入し、城端SAで休憩し、留守番の父に電話。


お土産チェックをしようとコンビニに入ったらBGMがサザンの「恋のブギウギナイト」でした。


眠たいのでシート倒して休憩。


シートを倒して休憩したお陰で運転が楽に。


有磯海SAからは海がよく見えました。


新潟に入って、海が見えた時はハイになりました。(BGMはもちろんサザン)


最後の休憩場所の名立谷浜SAに夏限定の柿の種の花火缶とバスセンターのカレーがあったので速攻で買いました。(昨年帰りに買おうと思ったら買えなかったので。)


上越ICで降りて上越市立水族博物館うみがたりのある直江津方面に向かいました。


うみがたりになる前の水族館にいとこの兄貴と行ったときはまだ小さかったです。


日曜日とお盆で凄く混んでいました。


水族館に入る前にお昼ご飯を食べるのも一苦労。


お昼は今回のイベントのすみっコぐらしコラボのカレーです。


カレーを食べてからスタンプラリーの用紙を買い、有磯海SAのローソンで買ったチケットを見せて入場。


水族館は各務原市にあるアクア・トト以来です。


イワシのトルネードも見れました。


スタンプラリーも兼ねていたのでスタンプを探すのに一苦労。


私が入った30分くらい後にイルカのショーが行われていて、運良くイルカのプールの水槽のところでショー見ていました。


コラボ展示のところではチンアナゴもいました。


最後のところがペンギンのプールで、ペンギンがいっぱいいました。


スタンプラリーもぺんぎんのところで無事おしまい。


お土産売り場ですみっコぐらしのグッズと姪に竹の食器を買いました。


GWにこども陶器博物館で高いお金出して買ったハローキティのプレートを自宅の駐車場で落としてパーにしたので…。


スタンプラリーの景品のキーホルダーは全員集合でした。


うみがたりを出て、ネットのニュースで見た上越妙高駅のひまわり畑を見るために上越妙高駅へ。


途中トイレとお土産チェックで入ったスーパーナルスで柿の種の限定缶を買いました。


トイレに行ったのも水族館で不正出血が解ったからです。


上越妙高駅のひまわり畑は亡き母に見せてあげたかったです。


宿泊するホテルのある妙高市の道の駅に到着したら、弟から「おばさんの家に行ったら?」というLINEが来ました。


ナビでおばの家の住所を入れたもの、そこまで行くのに四苦八苦。


新潟は雪対策で信号機が縦なのでちんぷんかんぷん。


何とかおばの家に着いた3つ上らいとこが出ました。


おばはがんの影響で食道と胃を切除し、母が亡くなる前に脳出血で倒れて身体が不自由で、私のことも最初は解りませんでした。


おばと母の実家と隣町に住むおじの分の手土産を渡して道の駅のホテルへ。


ホテルチェックイン後、お土産チェック。


お土産売り場に子供の頃に母の家で食べたいちごソースの入ったアイス「ビバリッチ」があったので買いました。


子供の頃の思い出の味そのものでした。


夜は回転寿司を食べました。


疲れていたので寝たのが21時…。


5時過ぎに目が覚めてゴロゴロした後に朝食会場へ。


SDGsの提唱でフードロスを減らすため早く行かないと料理がなくなるので早めに行きました。


朝は基本パン派ですが、美味しいコシヒカリがあるのでカレーかけて食べました。


チョコレートのパンで手がベタベタになりました。


ホテルでテレビの情報番組を見て、荷造りをしてからホテルをチェックアウトした後にお土産売り場に行き、父の土産のお酒と雑貨売り場で見たいちご柄のがま口と三条市の刃物売り場にあった花柄のアイスクリームのスプーンを買いました。


そして2日連続でビバリッチ食べました。


この日は母の長兄のおじが勤めていた日本曹達の二本木工場の近くにあるえちごトキめき鉄道の二本木駅のスイッチバックを見に行きました。


駅が日本曹達のネーミングライツを取ったので駅の看板にうさぎのマークが入っており、ラッピング電車も日本曹達仕様。


二本木駅を出てから母の実家に行こうとするも、道を大回りして国道を出る羽目に。


何とか母の実家近くに行くことが出来、ダメ元で行ったらいとこの兄貴が農作業をしていたのを声かけして挨拶してから国道18号で上越IC方面に向かった。


国道18号走行中に上越ICがどこにあるのか分からず、車のガソリンも入れないといけないのでそれが不安でした。


無事にガソリンスタンドも見つかり、エネオスのエネキーをかざして給油し、タイヤの空気圧も見てもらい、トイレに行ってから上越ICに向かって富山方面に向かいました。


続きは後日。

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今の世の中些細な遺恨が多すぎる…。

2024年08月17日 22時06分14秒 | ももちゃんの読んでくれてありがとう
フワちゃんとやす子さんの遺恨を見てこんなことを思い出した。


今の芸能人に欠けているのはサザンの桑田佳祐さんが元メンバー逮捕時にコメントした「人間関係大事にしろ」「叱ってくれる人を置きなさい」という言葉でした。


桑田さん自身も過去に某アーティストと遺恨があったし、サザンの所属事務所アミューズの創業者である大里洋吉氏は天下のナベプロでキャンディーズのマネージャーをしていた人で、彼女たちの「普通の女の子に戻りたい」宣言の仕掛け人でもあったので、芸能界の人間関係がいかに難しいかを教えたのではと思う。現社長でマネージャーの中西正樹氏はサポートメンバーの斎藤誠さんが「コミュニケーション能力に長けている」と褒めており、桑田さんも全力で彼のことを信頼しています。


私自身も子供の頃からスクールカーストやマウントの取り合いの酷い環境にいたし、自分の親も周囲の人との人間関係に苦しんだ。


今だから話せるけど、高校時代のクラスメートに中学時代から先生も手に負えないヤンキーがいて、そいつのいじめのターゲットにあいました。私は我慢していたけど、心配してくれる人が親にいじめのことを話しました。その時に父親が話の解る弁護士に相談すると言ったお陰でいじめはなくなりました。父親が弁護士に相談していなかったら高校も辞めていたかもしれません。


私の年代は校内暴力のあおりもあり、ヤンキーとかが多かった。その裏で生きづらさを抱えていた人もヤンキー以上に多かった。


私自身も学校というシステムが合わない子供で、めいがASDであることが解り、仕事ストレスで体調を崩し、耳鼻科の先生に忠告されて行ったメンタルクリニックで勇気を出して検査を受けたら自分自身もASDでした。


今は多様化社会で不登校でも通信制やサポート校で高校進学出来るけど、私の時は高校に行けなかったら絶望とも言われていた。


今だから話せるけど、中3の夏休みに岐阜から母の実家のある新潟に帰省していたときに留守番していた祖父の元に担任から電話がかかってきた。


今の岐阜新聞のテストが月末にあるので勉強をサボっていないかの監視でした。


担任は厳しい人で、いじめを絶対許さない反面、当時の教育現場が男尊女卑で受験に関係ない科目の教師の立場が悪かったこともあり、生徒に対して支配的な面もありました。


私の悪口を言った元クラスメートまで公開処刑していました。


ふたりの専門学校進学者以外は全員高校進学でひとりの落ちこぼれも出ませんでした。


何故なら担任が怖かったからです。


私は高校そして社会人と人間関係を築くのに苦労しました。


母の死後、その苦悩を父に打ち明けたところ、父は黙って私を受け入れ、教師という人間が心の狭い人が多いというのと、ダメでもほかの道を見つければ良いと言っていました。


私は結婚後に旦那の妹ふたりが高校に行けなかったのを見て「厳しい環境で我慢して高校に行けた自分は恵まれているんだ。」と思いました。上の妹は機能不全家庭が原因でモラハラ気質が強く、ヤンキーとなり、高校入試失敗で暴走族に入り、親が苦労して辞めさせてもその性格は抜けませんでした。


私はヤンキーにいじめを受けたこともあり「ああなりたくない」と強く思いました。


向こうの家族との確執や田舎で自由もお金もない生活で体調を崩したことで3年で離婚しました。


その2年後にサザンの元メンバーだった大森隆志さんが逮捕され、それに関して桑田佳祐さんが言った言葉が「人間関係を大事にしろ」でした。


当時私は急性胃腸炎が治らない状態でその発言をラジオで聴いていました。


その年に桑田さんの「無人島でライブがやりたい」発言で静岡県浜松市の浜名湖ガーデンパークで夢人島フェスというアミューズのフェスが行われましたが、発表がフェスの2か月前で、突貫工事で準備されたのでガーデンパークから浜松市のホテルに戻れたのが日付が変わる前で、酷いと2日行った人で、東名で帰宅してそのまま会社に行った人もいました。


事件がなかったらフェスは早い発表だったのかもしれません。


事件の影響で2年後にサザンは無期限活動休止と過去のテレビ番組の映像が使えなくなり、大森さんの存在はなかったことになってしまいました。


桑田さんが文春の連載でコンプライアンスが厳しくなったと述べたようにフワちゃんの件で桑田さんの言葉の答えがその騒動に出てしまいました。


私自身も職場の管理が厳しくなったし、良かれと思ってやったことがNGだったというのもありました。


フワちゃんの件で離婚したときに元ヤンキーでモラハラ気質の旦那の上の妹に対して「あんな人間になりたくない」と思うこと自体人を傷つけてしまう行為なのではと思った。


母の故郷でもある新潟県上越市の中川市長もフワちゃん同様に思ったことをズバズバ言う人で、私立高校と工場労働者と高卒者に対する差別ハラスメント発言で針のムシロ状態です。


中川市長に対しても「あんな人間になりたくない」と思ってしまいました。


中高生の頃は反抗期が酷く、生きづらさを抱えていたため人に対して「あんな人間になりたくない」という気持ちの強い子供でした。


しかし、自分が介護の仕事をやってから言われたのは利用者様からの否定の言葉がほとんどでした。


それはどこかしら相手に対していい感情を持っていないのが態度に出てしまったのかもしれません。


今回6連休を取ったのも悪く言えば仕事ストレスで体調を崩したことで現実逃避するためだと言えばそれまでです。


弟は自分の娘がASDと診断されたとき主治医の先生から「芸能人とアスリートは特性の強い人が多い。」「この子は長い目で見てください。」と言われました。事実芸能界とアスリートは特性の強い人が多く、アメリカの水泳選手のマイケル・フェルプスのように特性をプラスにしてメダリストになった。芸能界はそれプラス機能不全家庭に育った人も多く、歌手の三浦祐太朗君の母の山口百恵さんのように生活のために芸能界の仕事を選び、人気絶頂期にアイドルを引退した。


最後に自分達にも言えるけど些細な遺恨が今の世の中多すぎる…。










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いよいよ明日です。

2024年08月17日 20時37分33秒 | いつものお話
新潟富山旅行が明日になりました。


ひとりで新潟まで高速道路運転は初めてです。


車にナビが付いているお陰で新潟行きを決めた反面、ひるがの高原から北に行けるか不安で不安で…。


お盆に父と弟と3人で高速道路の運転の話になり、5月に行った名神の竜王IC以西は運転が難しいと言っていました。


実際IKEA長久手行くときに楽勝だろうと思っていた東名高速道路の分岐点で四苦八苦し、初めてだった名神は竜王までは楽勝で行けたもの、帰りに工事渋滞で予定より遅い帰宅になりました。


今日は父を岐阜善光寺のお十七夜に送った後で墓参りをし、その後に行きつけの喫茶店の近くにある和菓子店で母の実家と隣町に住むおじおばの家に手土産買って、3ヶ月ぶりに喫茶店でランチ食べて看板ふくろうちゃんの写真撮ってきました。


夕食作るのが面倒なので韓国料理のお弁当とお惣菜買って帰宅後は荷物の準備と洗濯物片付けていました。


明日高速が混雑することを見越して早起きです。


無事新潟に着きますように。
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