先週新しいXPERIAの機種変更をしましたが、ただでさえお金がいるのに松任谷由実さんのデビュー50周年ベストアルバム「ユーミン万歳!」とXPERIAのマニュアル本を探しに行った丸善岐阜店で大王製紙の元会長で創業者三代目の井川意高氏の懺悔&暴露本を衝動買い(ユーミンのアルバムは楽天ブックス)してしまいました。
「ユーミン万歳!」は新聞の広告に「卒業写真」以上の卒業ソング「最後の春休み」が収録されているので買ってしまいました。
このアルバムは思ったよりバカ売れで、注文して届くのにしばらくかかりました。
後で予想外に売れたためメーカー欠品とのこと。
収録曲はドラマCM映画等に使われていたもが多いのでユーミンファンはもちろん初心者にも聴きやすいのも事実です。
彼女が「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」とコラボした「空ユミアワー」で「埠頭を渡る風」の♪もうこれ以上もうこれ以上の歌詞が「妄想令嬢」と聴こえるというネタは大爆笑しました。
嘉門タツオさんの替え唄メドレーでは「恋人がサンタクロース」が「恋人がサンコン」で嘉門さんが替え唄の許可を取るに当たりサザンの桑田佳祐さんを激怒させたエピソードを知っているのでユーミンの心の広さが解る。
ドラマ「誰にも言えない」の主題歌「真夏の夜の夢」は立教女学院の大先輩でもある故野際陽子さんが出演していることもあってイントロが野際さんが出演した「キーハンター」の主題歌「非情のライセンス」を意識しているのではと思いました。
ユーミンと関係のある人には大江千里さんのライブサポートにユーミンのライブでコーラスと振り付けを担当した濱田美和子さんだったし、濱田さんの後任が桑田佳祐さんに「顔が怖い」「顔面世界陸上」とありがたくないニックネームをつけられた清水美恵師匠がサザンと桑田さんのライブサポートをしていました。
昨年の桑田さんのツアーにもユーミン繋がりで田中雪子さんが参加していて、過去に彼女のライブでコーラスを担当していました。
これ以上に「ユーミン万歳!」はレベッカのNOKKOさんのご主人で世界的なエンジニアでもある保土田剛さんがミックスを担当しているのもポイント。
特典が来年の彼女のツアーの先行予約ですが、名古屋公演が8月なので桑田さんが矢沢永吉さんに対抗して8月の終わりに新国立競技場でサザンの45周年ライブやります宣言したら死にますよ。
話は変わりまして「溶ける」は朝から晩まで生まれてから死ぬまでお世話になっている製品を作っている会社の創業者の孫の綺麗事ではない話です。
なぜ「生まれてから死ぬまで」と大袈裟に言ったのには赤ちゃんのおむつ(GOON)と女の子は生理用品(エリス)と介護を受けるときはおむつ(アテント)を使うからです。
事実亡き母が緩和ケアに入って歩けなくなり、寝たきりになったときにおむつが必要となり、介護の仕事を始めたときに職場が当時ユニ・チャームの大人用おむつを使っていたのですが、私が買ってきた長時間用のパッドでは大きいので訪問看護のナースさんから普通サイズのパッドを買ってきて来て欲しいと言われ、父では解らないので私が買いに行くことになったもの、ユニ・チャームの普通サイズのパッドが家の近くのドラッグストアにはなく、アテントの普通サイズのパッドを買いました。
1日を通すとティッシュとトイレットペーパーとトイレ掃除用クリーナーと台所ではコストコで1個あたり100円以下だからと買ったキッチンペーパーを使います。
特にティッシュのシェアはナンバーワンと言われています。
意高氏が逮捕された背景にギャンブル依存があったというのも衝撃ですが、愛媛の小さな町で製紙会社の御曹司として生まれたことで一部の了見の狭い教師から嫌味を言われたり、大王製紙を批判されたこともあったという。
これを見て芸能人が自分の子供をお受験をしたり、インターナショナルスクールに入れざるを得ない事情が分かった反面、私の周りでは環状線が出来たことで急に発展して子供が増えた弊害で格差が生まれて学校が荒れてしまいました。岐阜でナンバーワンの岐阜高校に合格したのに「うちの子供は灘(東大合格者が多い中高一貫校)」に行けたとマウントを取った同級生の親がいる一方で、ヤンキーになった挙げ句に高校はおろか就職も出来ずに落ちつぶれた同級生もいました。
大王製紙の規模を大きくすることとなり、井川家は東京に移住することとなり、三代目である意高氏は父親から中学受験をするように言われる。
意高氏が思うように勉強が出来ず、成績も伸び悩んでいたことから父親がゴルフクラブで体罰をする教育虐待をするようになった。
その父親こそワンマン経営で社員を威圧し、最終的には意高氏ともども経営陣より大王製紙を追放されてしまう原因となった人物です。
大王製紙がライバルのユニ・チャームに差をつけられたことも意高氏の父親をワンマン経営者にさせてしまったのではと思う。
私は仕事でユニ・チャームのおむつと自分自身が生理用品と尿もれナプキンを使っているので言うのですが、たしかにユニ・チャームの製品のほうが使いやすいのも事実です。
意高氏が生まれたのが昭和39年という高度成長期で、倹約家の父親の教育方針もあり、中高は国立の筑波大学付属駒場で大学は東大というエリートコース。
彼が東大を卒業した年はバブルの全盛期で遊びまくっていたのと、大王製紙の三代目というネームバリューもあり、愛人になろうと新製品目当てで近寄るアイドルやグラドルやお金目当てで近寄った芸能人や元政治家も実名で書かれていました。
特に市川團十郎を襲名することになった市川海老蔵さんとは新之助時代からのお付き合いで故小林麻央さんと結婚するときは披露宴に招待されたという反面、平成22年に起きた殴打事件についても細かく書かれています。(関東連合との関わりも。)
海老蔵さんも意高氏以上に未来の團十郎として厳しく躾けられ、梨園の一般常識が通じない環境で育った反動で遊び人となったことで事件が起きてしまった。(海老蔵さんは隠し子騒動の時にマジでフルボッコにしてやりたいと思ったら例の事件が起きてしまった。)
ギャンブル依存のくだりは「しくじり先生」の貴闘力さんを思い出してしまいました。
背筋が凍ったのが服役中の刑務所での理不尽なルールと陰湿な人間関係のエピソードは恐怖でしかなかった。
この本は故飯島愛さんの「プラトニックセックス」以上の胸糞の悪さです。
「プラトニックセックス」を職業訓練校帰りのJR岐阜駅の三省堂書店で立ち読みした4年後のクリスマスイブに彼女が変死体で発見されたのをテレビのニュースで見たときは子供の頃に周囲がお受験の勝ち組で、母親が典型的毒親で子供を追い詰め、父親がスパルタ教育をする人で真面目な良い子だった彼女は完璧主義を求める母親からテストの点数を巡って責められたことをきっかけに性非行に走ってしまい、レベッカの「MOON」の主人公のごとく家に戻らなくなった。
彼女が中学高校の頃はバブルの絶頂期だったこともあり、学校もまともに行かずに夜の町で遊びまくり、金銭目当てで男に近寄るようになりました。彼女をナンパしたお笑い芸人が来年の宮崎県知事選に再度出馬する東国原英夫氏だったエピソードは有名。
その後クラブ等に勤めたもの、トラブルに巻き込まれた経験もありました。お金のためにアダルトビデオに出演し、時代の寵児になった裏で孤独を抱えていたという。
ラストでは両親と和解できたもの、本が出た8年後のクリスマスイブに変死体で見つかったこともあり、年末年始も近いことで家族葬で内密に済ませ、あとは芸能界関係者のためのお別れ会になりました。
来年で彼女が亡くなって丸15年、再来年は十七回忌です。
彼女が歌った「あの娘はハデ好き」とおう曲の最後がクリスマスは一人ぼっちだったという歌詞があるが、それは現実になってしまった。
彼女に必要だったのは「恋人はサンタクロース」の歌詞に出てくるおしゃれなお姉さんだったのかも知れ無い。
話は最初に戻りまして「ユーミン万歳!」とユーミンのデビュー50周年を一番お祝いして欲しかった人がいます。
それは元TBSアナウンサーの故松宮一彦氏です。
彼は自分が担当する番組のタイトルにユーミンが昭和55年にリリースし、先にも述べたクリスマスソングの定番「恋人はサンタクロース」が収録されている「SURF&SNOW」をつけた人です。
ポスト久米宏と言われた人で、久米さんが黒柳徹子さんとコンビを組んで司会をしていた「ザ・ベストテン」では中継の進行を担当する追っかけマンとして活躍し、松田聖子さんの初登場の羽田空港での中継も彼が進行を担当していました。
ウィキペディアにも書かれているように深夜番組のハガキ職人だったことで音楽の知識が豊富で、競技スキーの名人でもあり、自ら「スーパーDJ」を名乗っていました。
こだわりが強い性格と管理職となったことで自由な仕事が出来なくなり、亡くなる1年3か月前にTBSを退職しますが、一番の原因は3度の結婚と派手な女性関係だったという。退職後に行ったハワイでの交通事故で交際相手が腰椎圧迫骨折の後遺症で重い障害が残り、相手が週刊誌に告発したことと狂言自殺騒動で仕事を失いました。
平成11月の9月の終わりに違う交際相手が松宮氏のマンションを訪れたところドアが重いのでおかしいと思ったらドアノブにネクタイを掛けていて、首を吊った状態で発見され、遺体は彼の母親が引き取り、告別式は行われずにそのまま火葬となりました。
彼の死のショックは芸能音楽関係者やTBSの先輩後輩アナウンサーへの影響に大きく響き、自殺の報道を泣きながら読んでいたアナウンサーもいました。
松宮氏がやりたかったのはラジオDJとしてこの時代に昭和30年代から平成までのヒット曲を流す番組を作ることでした。
松宮氏はユーミンと同学年で、生きていたら69歳になっていました。
存命ならデビュー50年記念で朝から晩までユーミンの曲を流す特番をやっていたと思います。
それ故に松宮氏がこの世にいないのがすごく残念です。
最後に岡崎市に住む姪がユーミンと宇多田ヒカルさんと
同じ1月19日生まれでもうすぐ七五三で来年4歳です。
姪は2歳になってもなかなか言葉が出ないので小児科で診てもらったところ自閉症スペクトラム障がいであることが解りました。
姪の父親である弟は父と私に「長い目で見て欲しい」と言いました。
母が生きていたらと思うと複雑な気持ちになりました。
私は8月終わりのブログで「世界中の人には幸せになれる権利がある」と書きました。
カミングアウトになるけど、今回の桑田佳祐さんのドームツアーに行けないイライラも椎間板ヘルニアの原因で、行けない立場のファン大勢いることが解っていない人が多い怒りからファンクラブも辞める覚悟もしました。
テレビでは不穏になるようなことばかり流れています。
仕事柄行動制限もあります。
そんな状態なら治るものも治りません。
職場も簡単に長期の休みは取れません。
そんな不安と怒りの中で購入したのが「ユーミン万歳!」と「溶ける」でした。
今では車と家でのBGMが「ユーミン万歳!」でタンスの奥にしまった平成10年にリリースしたベストアルバム「ノイエムジーク」まで引っ張り出しました。
今回のブログは長文になってしまいましたが、これからも素晴らしい音楽と本は買っていきたいです。