スーパーもも姐さんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

格差って何だろう?

2018年11月28日 22時10分32秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

明日車検で早起きなので手短に。

 

明日の15時にひとり紅白のLVの当落メールが来ます。

 

前にも書きましたが、6月のNHKホールのLVエントリーで落選で、そのことを職場の慰安旅行のあいさつで話したら「知り合いが当選した」と言って気分が悪くなってしまい、イライラした日々を送ったからです。

 

当時は仕事のこととかいろいろあって感情が爆発したこともありました。

 

実は最初モレラ岐阜だけのエントリーでしたが、この日ポートメッセなごやで開催されるクリエーターズマーケットに行くので名駅にあるミッドランドスクエアシネマもエントリーしました。

 

それが吉と出るか凶と出るか・・・。

 

そこで思ったことを書きます。個人的な意見もありますのでご了承ください。

 

私は7年前に桑田さんの神戸と横浜で行われた「みんなで元気になろうぜの会」の遠征費用を捻出できなくて、エントリーを断念した反省からツアーのない年の暮れに横浜アリーナでライブが開催される場合はその費用を残すようにしています。

 

そのおかげで14年の「ひつじだよ!全員集合!」を見に行くことができましたが、新幹線だけははずれたときに払い戻しが大変なのであえてチケット料金入金翌日にマーサ21のJTBで買うことになりましたが、その日は思い出すだけでトラウマの職場のクリスマス会の劇の練習で強制的に残らなければならず、閉店ぎりぎりでJTBに行きましたが、行きのぷらっとこだまはグリーン車しか取れませんでした。(そのおかげでいい旅になりました。)

 

葡萄ツアーの武道館公演の時もカプセルホテルと夜行バスで体調を崩す覚悟でエントリーを考えたら落選でした。

 

2年前の年越しは発表と同時にホテルを予約し、観光するところも予定を立てて計画を立てたのにチケットは先行予約もローチケも惨敗で心が折れてしまい、ツイッターで怒りから「夜遊び聴かない!」とまでつぶやき、とあるサザンファンの方から「怒りのベクトルをほかのところに向けるべき」と諭され、その費用は年明けにいとこと東京ディズニーランドとキルトフェスティバルになりました。

 

それ以後応援団のやり方に不信感を感じ、昨年は母の病気で桑田さんのソロライブも下手すると行けない状態で「ライブに行けないのなら応援団もSNSもやめる」宣言までしていました。

 

私自身もSNS疲れを感じることもあります。

 

チケットや転売等の問題はサザン以外も同じだというのはわかっています。

 

私は応援団に加入して12年になりますが、そのころからファン同士の格差というのは感じていました。

 

オフ会とか参加してそれは強く感じることもありました。

 

特に5年前のサザン復活の時は応援団のBBSが荒れたのも事実です。

 

大きいツアーになると2回行きたくても1回が限界です。

 

SNSで何回も行った人とか見るとそのお金どこから捻出するんだろうと思うこともあります。

 

くどく言いますが、葡萄ツアーの時に予想外にチケットが当選したので老後のたくわえを取り崩したという話にカチンときてmixiを放置しています。

 

応援団加入当時不安定なパート勤務でしたが、今は介護の仕事をしています。介護の仕事は人間関係がぎすぎすしやすいので離職率も高いです。

 

2年前のクリスマスに自宅のトイレが壊れて修理するのに20万円かかったのを見ているので好き放題お金を使うことに恐怖を感じました。

 

母はステージ4でそれなりに元気でもいつ急変するかわかりません。

 

親が死んだら貧乏生活になるのは確かです。

 

2度と17年前に結婚してから仕事を探しても仕事はなく、貧乏生活を強いられ、お金がなくて同居しても人間関係がぎすぎすした生活が原因で離婚して苦労したのは2度とごめんです。

 

最後に個人的な意見でごめんなさい。

 

 

 

 

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後のことを考えるとはこういうこと。

2018年08月20日 21時35分25秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

この話は昨日書く予定の話でした。

 

しかし昨日の勤務が早番状態で、仕事帰りにゲオでポンタカードの切り替え(カードの磁気がパーになった)とアスマートで注文したサザンの40周年グッズの引き取りでヤマト運輸の営業所に行き、帰宅後すぐに部屋の掃除をし、それから夕食でぐったりしたのでブログどころではありませんでした。

 

今日は接骨院に行き、土砂降りの中でコストコに行きました。途中びっくりドンキーで昼食を食べることになりましたが、伝え方がうまくいかなかったのでレギュラーバーグのセットがディッシュになってしまいました。申し訳ないのでお味噌汁をプラスしました。(その後桃パフェも食べる)

 

帰りが16時過ぎになってしまいました。

 

業務スーパーのハム切り落としが激ウマなのと肉みそを作ったらトウガラシの入れ過ぎで激辛・・・。

 

ここからが本題です。

 

前回のブログで「大森さんは後のことを考えていなかったのか?」と書いた話の続きです。

 

本人のFacebookによると「海のOh、Yeah!!」に自分の名前がクレジットされていないことでかなり取材を受けたという。

 

居酒屋で頼み放題だとウハウハ発言をしたことでサザンファンのSNSが大炎上!!

 

そこでふと思ったのが「何故大江千里さんはセカンドキャリアをうまくやれたのか」である。

 

彼以外にも母校の短大の先生になった菊池桃子さんや早稲田大学で研究をしているといういとうまい子さんや身近にも岐阜市の隣瑞穂市と各務原市で湯麵屋を経営し、自らも接客するSuchmosのTAIKINGさんの父親でFC岐阜の監督をされていた戸塚哲也氏のようなケースもあります。(湯麵戸塚の湯麵はぜひ食べに行ってほしいです。)

 

レベッカの小田原豊さんはレベッカ在籍中から様々なアーティストのレコーディングやサポートに参加しているし、布袋寅泰さんもBOOWYがブレークする前に「ストップひばりくん」と言うアニメのオープニングソングでギターを弾いていたし、「風の谷のナウシカ」で王蟲の声をギターで表現していました。

 

そこで何故大江千里さんはセカンドキャリアをうまくやれたのかその答えを出してみました。

 

ここからは夏休み中の子供さんやその親御さんにも読んでほしいです。

 

1・一浪後に関西学院大学経済学部に入学、昭和56年にCBSソニー(いまのSME)のSDオーディションで入賞したもの「学業優先」(高校時代にオーデションを受けまくり、親に迷惑をかけたので)で大学4回生の昭和58年にデビュー。ちなみにこのオーデションは40年たった今も開催されています。一番有名なのは松田聖子さんと故尾崎豊さん。レベッカもこのオーディション出身。

http://www.sonymusic.co.jp/sd/about/index.html

 

2・デビュー当時は「日本一忙しい大学生」と言われ、東京と大阪を行ったり来たりの生活。無事に大学を卒業し、東京へ。

 

3・味覚糖のCMで知名度が上がったもの、人気が一気に上がったのは夜昭和63年ごろで「夜ヒット」出演やアルバム「1234」のヒットや「ひょうきん族」に飛び入り出演して大竹しのぶさんと結婚したばかりの明石家さんまさんに怒られたり、ドラマ出演で人気がブレークする。平成に入ってから光GENJIに作った「太陽がいっぱい」のヒットや映画でも共演した山田邦子さんとのコント番組で小中学生層にも人気が上がる。

 

4・「さんまのまんま」出演時、「テレビは苦手」「コンサートで3万人(当時の西武球場のキャパ)を相手するのは怖くないが、テレビの向こうの見えない一億人は怖い」と告白。ド緊張から大泥酔し、明石家さんまさんの顰蹙を買う。

 

5・平成2年にアルバム「APOLLO」がオリコン1位を獲得。しかし、そのアルバムをひっさげたツアーで見た光景と打ち上げの席である関係者に「人気がなくなり始めてるって、わかってますよね。これからはプロデューサーとして、別の立場で音楽にかかわっていくことって、考えていますか」と言われる。その予想通り「かっこ悪いふられ方」のヒット以後人気が低下する。

→https://toyokeizai.net/articles/-/206780?page=4

 

6・阪神大震災時関学OB会で大江千里であることを隠してボランティアに参加。髭面でボランティアに参加していた写真を写真週刊誌に撮られる。地下鉄サリン事件時泉谷しげるさんとゲリラライブをJR東京駅で強行開催。

 

7・住宅好きだったことで不動産の番組にも出るようになる。

 

8・35歳以後大江千里としての活動よりトーク番組のMCやアニメやサンリオピューロランドの音楽やアイドルの育成などに携わる。

 

9・47歳で「シンガーソングライターの大江千里」から引退し、アメリカの音楽大学でジャズを学ぶために留学する。大学に入ったもの「ピアノの下手な日本人」というレッテルをはられ、映画「セッション」より厳しい世界の中で無事に卒業。

 

10・事務所(ソニーミュージックアーティスツ)は円満退社。自ら社長となってプロデューサー、マネージメントもこなす。

 

11・全盛期より収入はかなり減ったもの、楽しく音楽をやっている。

 

12・トランプ政権が始まる前にアメリカのグリーンカード(永住権)を取得。その費用で全財産を使う。(一説によると諸費用で億は必要とも)現在はNY在住でジャズライブが収入源。

 

13・本業とは別にボランティアにも力を入れており、ノーギャラでのライブも開催。

 

14・トランプ政権とジャニーズとAKBとEXILEの批判をしない=人や社会を悪口や批判をしない。日大と母校のアメフト部の件もコメントをしていない。=言うとおかしな記事を書かれたり、揉めるから。

 

事実SNS等で彼のことを悪く言う人がいないのも事実です。あと星野源さんのファンになるきっかけも大江千里さんの影響が大きいです。

 

あと故大橋巨泉さんが「セミリタイア」出来たのも今の奥様との再婚後に「東京は空気が悪いので住めない」と静岡県に移住したのと「11PM」でカナダに行ったときに日本円と日本語が通じるお店がないのでそれなら自分で作ろうということで「OKギフト」を運営し、ニュージーランドとオーストラリアにもお店を広げました。残念ながら2年前に巨泉さんが亡くなったことでどうなるかわかりません。

 

私はその47歳の時に母が大腸がんでステージ4であることが分かりましたが、千里さんじゃないけどこれからどうやって生きていくか考えています。中学で勉強と部活と人間関係でつまづき、高校も女子高ゆえに厳しく、就職後はその反動で遊んでばかりいました。退職後は自分を見失って1年は働かない生活でした。パート生活を経て結婚しても何もない環境になじめず、家族からも孤立して隣町の図書館が逃げ場でした。離婚後お金も資格もなくて自暴自棄になった時期もありました。職業訓練校に行っても再就職で苦労してパートで働いた養蜂会社は1年半で首同然で退職。仕事が見つからなくて家でインターネットばかりしていたことで「家を出ろ」と言われたこともありました。

 

今は曲りなりに介護の仕事を10年続けています。介護福祉士を取ったことがプラスになりました。

 

本当はケアマネの資格も取りたいけど、大学受験並みの勉強しなければいけない。(過去2回不合格)

 

今は「勉強ができないので中学を出たら就職」なんて絶対無理です。

 

私自身中学で勉強ができなくて絶望し、テレビとアニメと音楽に依存してしまいました。誰も自分のことを分かってくれないと悲観し、それが原因で結婚するのも遅れました。1年退職金&失業保険ニート生活もしたし、親も責めました。

 

最後に大江千里さんの言葉を借りますが「運命を変えることは難しいかもしれないが、自分がどう生きるかは自分自身が決めること」というのを今のサザンファンと大森さんに伝えたいです。

 

このブログは長いので書くのに休み休みとはいえども時間がかかりました。

 

 

 

 

 

 

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どうしたらみんな幸せに生きることができるんだろう・・・。

2018年06月09日 22時41分57秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

昨日書く予定の話でしたが、ツイッターに書いたものを加筆しました。

 

内容が内容なのであえてコメント欄は閉じました。

 

10年前の私はアキバの事件のニュースを見ながら便まみれになって利用者さんのおむつを替えていました。介護の仕事を始めて8か月目でした。前の年の同じ月はヘルパー2級の資格を取る勉強をしていましたが仕事は見つからず、ニチイさんからヘルパー―2級の証明書が来るまで日雇い派遣をして働いていました。池田小の事件の時は結婚してすぐでした。


両方の事件に共通していえるのは加害者が子供のころに虐待を受けて育ったということです。事実私の周りにも親に虐待を受けて育ったクラスメートがいたし、高校も女子高で同性のエゴやマウンティングや父親に支配されて育ったクラスメートもいました。それゆえ「子供の虐待」のニュースは仕事も生活も出来なくなるくらいの感情を持ちます。離婚をしてから自分は「孤独」だったけど、理解のある家族やSNSの仲間がいたから頑張ることができた。


それ以上に今回の目黒の事件は怒り以上の感情が爆発しました。SNSで訴えるだけでは怒りは収まることはできないです。最後にこのような事件が起きないように子供の虐待のない世の中とお金をかけなくても子供を育てることができる社会にしてほしいです。このようなツイートでごめんなさい。


目黒の事件以後、ニュースを見て涙を流し、殺された子の親を見て殺意的な感情まで芽生えました。事件の報道を聞くたびに心が締め付けられる気分です。


秋葉原の事件が起きた半年後に飯島愛さんがアミューズが入居している渋谷のビルにあるマンションの一室で変死体となって発見されました。

 

彼女がなくなる8年前に出た「プラトニックセックス」に周囲がお受験の勝ち組だったことで両親が子どもにつらく当たる人で、父親は些細なことで手を上げ、母親は世間体を気にしすぎて「あなたのため」と言う言葉で彼女を追い詰めたと書かれているが本に書かれていることは全部嘘だと言っていたAV男優がいました。(加藤鷹さん)

 

事実SNSでも彼女の親を批判する人は少なくないと聞くし、そうなってしまった背景に80年代の一億総中流と東京という環境ゆえに荒れた公立中学に子供を行かせたくない親が中学受験をさせ、不合格になった子供がヤンキーになったり、親が子どもの虐待に走るという悲しい話を聞きました。あとツイッターで「色々言われているけどいたって普通の家だった」というのもありました。

 

私は反発もしたけど、理解ある親のおかげで曲りなりに生きることができました。10年前は「自分はどんなことがあっても悪い道には進まなかった」と上から目線の物言いをしたけど、この年になってその考えは思い上がりが強すぎて出た言葉なのかもしれません。

 

あとお受験に代表されるように日本の教育にお金がかかることやスクールカーストの問題や見栄と虚勢と意地の張り合いから来るマウンティングや母親任せの育児も虐待の原因の一つと言われています。

 

昨年放送したドラマ「コウノドリ」での星野源さん演じる産婦人科医の四宮先生がナオトインティライミさん演じる父親に言った厳しいセリフも世のお母さんの生きづらさを物語っています。

 

子供が欲しくてもできない人もいます。私もそうだし、弟夫婦はおととし妊娠したと喜んだらすぐに流産でした。

 

4月に行きつけの猫と遊べるダイニングのママから生後6日の子猫を見せてもらった時に「かわいいからとべたべた触ると母猫が育児放棄を起こす」という忠告を受けました。

 

その母猫は2度目の出産で、胎内に7匹猫がいましたが、5匹生まれて、1匹は母猫がつぶして死んでしまいました。子宮に異常があったので避妊手術をしました。

 

その後ネットで調べたらうさぎのほうがもっとすごいといい、つがいで飼うときは掃除等で外に出すと交尾してすぐに妊娠するのとメスのうさぎの場合は出産するときに死んでしまうケースがあるという悲しい事実も・・・。

 

我が家はおじいちゃんのペットロス以後ペットは飼えません。でも、尾木直樹氏がEテレの「ウワサの保護者会」でペットの飼育の問題の時に「動物園に行くといい」という意見以後先ほどのようなお店や岐阜だとアクアトトや畜産センターや牧歌の里や清流里山公園のようなところや名古屋の東山動植物園や名古屋港水族館もいいなと思いました。時間とお金が許されるのなら大須のうさぎカフェにも行きたいです。

 

最後に管理教育と女子高ゆえにマウンティングで傷ついた心を「男女7人夏物語」で明石家さんまさんの今井良介の「人間ってもっとええもんやで」に救われた経験があります。おととしの桑田さんのライブが外れたときは紅白の時の星野源さんの歌に救われました。みんなが幸せに過ごせる世の中になってほしいです。

 

 

 

 

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どんなことがあっても自分を見失うな。見失ったら負け。

2017年12月09日 21時20分55秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

前々から書こうと考えていたネタです。

 

話の内容が重いのであえてコメントは閉じました。

 

この話は最初好角家のツイ友さんにツイートした話がきっかけです。

 

白鵬が「貴乃花親方が出席するのなら巡業に行かない」といった話で自分の経験で「中学入学前にその中学で先生が生徒の陰湿な嫌がらせを苦に自殺し、そのことが保護者や生徒にきちんと説明(あの当時は校内暴力で学校が荒れていたから)していなくて、制服も買ってもらったし、仲のいい友達もいる中不安感を出して先生が自殺するような中学には行きたくないとは言わなかったという話をツイートしました。

 

当時住んでいたところは環状線が出来て道路の便が良くなったのと、畑だったところを道路にして多額のお金が入ったことで成金となった人が多く、そして新興住宅が増えたことで子供の知らないところで古い住民と新しい住民との間で人間関係がぎくしゃくしだしたのと、今でいうマウンティングやカーストもひどかったです。

 

そういったこともあって、岐大附属へのお受験と名古屋の私立はお金持ちが行くものということもあって、お金持ちの家であろうと貧乏な家であろうとよほどの事情がない限り小学校から持ち上がりでみんな同じ中学に行きます。

 

悲しいことに家庭での欲求不満をいじめで出したり、禁止事項が多くしつけの厳しい家庭に育って自分の意見が言えなかったり、ヤンキーや今問題となっている発達障害で先生との確執があった同級生もいました。

 

仮に中学受験をして名古屋の私立中学や岐大附属に行っても昔からの仲のいい友達は見つけることは出来ない。

 

現実に中学生になって、中1ギャップで勉強も部活も人間関係も躓きました。不登校寸前にもなりました。高校も私立でした。親も恨んだこともありました。

 

しかし、自分が間違った道に進まなかったのは自分自身強い心があったことと、ヤンキーになっても同情されないというの野もあったし、理解のある友達や先生の存在やアニメや音楽や親の存在もあったのかもしれません。

 

今度は高校に入学する前に岐阜の高校で先生の理不尽な体罰が原因で精神的に追い込まれた女子生徒が自殺したり、修学旅行先で生徒が殴られて亡くなったという事件があって人間不信になり、今度は「些細なことで生徒を殴る教師のいる高校には行きたくない」と精神的に気分が悪くなりました。

 

事実、入った高校も底辺校でヤンキーばっかりだったので3年間が黒歴史だったし地獄で早く自由になりたいと思いました。

 

社会人になってからその反動が出て、遊び狂ってしまい最終的には自分を見失いました。

 

カルビーをやめてからはもっとひどかったです。

 

結婚後貧乏生活を強いられた時は「やりたい放題をした罰が当たったのでは」と思いました。

 

今から15年前は派遣社員でテレビの組み立てをやっていて、自由がない環境で仕事をやっていて、トイレに行く時間も指定されていて苦痛でした。向こうの家族ともうまくいかず、最終的には精神的に追い詰められて離婚しました。

 

再就職しても仕事は限られるし、年下の上司に罵声を浴びせられることもしょっちゅうでした。その職場も1年半でやめさせられました。

 

そんな私の考えを変えるきっかけとなったのは10年前に介護の仕事を始めたことです。

 

何故ならそれしか仕事がなかったからです。

 

資格を取って再就職しても利用者さんとはうまくコミュニケーションは取れないし、おむつも交換できないし、うまく移乗介助できないし、着替えもうまく解除できないし、お風呂でもパニクられるし、何よりも利用者さんに接するのが怖かったです。

 

当時の職場は介護度の多い方が多かったので体力を使いましたが、今の職場は認知症の方が多く、いろんな方がいるのでその人の合わせなければいけなくて苦悩しました。

 

特にコミュニケーションがうまくいかなくて年下の上司にパワハラみたいなことをされて、話の分かる人に事情を話して事は解決したもの、その上司が上層部とトラブルを起こしてやめることになりました。

 

介護の仕事で学んだことは世の中は自分の思い通りにはいかないということ我慢した分自由な生活をしたいという考えをしてはいけないということです。

 

最初の職場は老人保健施設で、入職した2か月後にクリスマスも大晦日も家に帰りたくても帰宅することさえできない利用者さんがいるという残酷な現実を知りました。家に帰っても彼らの居場所はないからです。

 

認知症の利用者さんと接するうちに「世の中は自分の思い通りにはいかない」ということも学びました。

 

あと努力もしないのに不平不満を言ってはいけないということも。

 

それ以上に自分の考えを変えるきっかけは母の大腸がんでした。

 

5月にインフォームドコンセントでステージ4で手術をしなかったら余命8か月で、手術をしても2年が限界という残酷な現実を告げられました。絶望する私の隣で母は茫然としていました。しかしそんなことでは負けない強い心を私と両親と岡崎に住む弟夫婦は学びました。

 

中学高校時代の私は絶望しすぎて自分を見失ってしまったのかもしれません。特に中学生の時は「高校に行けないと一生落ちこぼれになる」と思い込んでいたからです。

 

でも、高校に行きたくても行けない人がいるということを知ったのは結婚してからでした。

 

母の入院中はそれどころではなく、一日一日が必死でした。

 

母の退院1か月後の7月に買い物で行ったモレラ岐阜の七夕飾りの短冊に書いた願いが通じたのは半年後で、転移した肺と肝臓のうち肝臓のがんが消え、肺のがんは様子見ということでクリスマスもお正月も笑顔で過ごすことができます。

 

最後にどんなことがあっても自分を見失ってはいけないし、見失ったら負けということです。あと、心が不安定だと何をやってもうまくいかないです。中3の時の担任に中3の時のクラスでいじめられなかったこともあり、「心が落ち着きましたね。」といわれたことも大きいです。

 

 

 

 

 

 

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桑田さんの名古屋公演の後の残念なニュース。

2017年11月22日 22時45分05秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

どうしても書きたい話です。

11月19日の桑田さんの名古屋公演の後で流れた残念なニュースなのでみんなに読んでほしいです。

 

ファンのマナーの問題ではありません。

 

浜崎あゆみさんのライブドタキャンのニュースです。

https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20171118/Mdpr_news1728805.html

 

それも開始20分前の中止なのでファンが激怒。ファンクラブも更新しないという意見や彼女の空気を読まない言葉に批判が出ています。

 

話によるとライブでそのホールが埋められなかったり、開始時間が遅れたりするとペナルティが課せられるというし、過去に大江千里さんの名古屋センチュリーホールの時に月曜公演だったせいもあり、3階席は空席でした。(実話)

 

昨年の今頃は桑田さんの年越しライブのファンクラブ先行予約のチケットが平日なのに落選で、その上知り合いのサザ友さんがただでさえとるのが難しい大晦日の年越し公演のチケットを取れたというのにショックを受け、再来年(18年)のサザンの40周年を最後にファンクラブもライブに行くのもやめようと決意したくらいです。

 

今年は母にがんが見つかり、ライブもあきらめていましたが、ファンクラブの先行予約も無事に当選し、11月19日を迎えました。

 

桑田さんを見るのはおととしの葡萄ツアー以来で、その日のためにぼさぼさ頭を美容院でカットし、服まで買い、スケッチブックに質問ネタまで書いて気合を入れていました。

 

オープニングが始まった時は昨年桑田さんの年越しが取れなくて悔しい思いをしたことはすべて忘れました。

 

強いて言えば大阪のチケットが取れたら行きたかったけど、お金の関係で断念しました。

 

それゆえ今回のニュースは残念である以上にファンのことを考えると怒り以上の悲しみがあります。

 

再会したサザ友さんの中にはこのライブを見るために関東から来ていて、19日公演が終わったその日に遅い新幹線で帰郷して明日から仕事という人もいました。

 

私は複数公演行く人に対して批判的な見方をしていましたが、そこまでさせるというのは好きという気持ちが強くなりすぎるのもあると思います。

 

葡萄ツアーの時にmixiの書き込みに予想外にチケットが当たってしまったので老後にためたお金を使ったという意見と今回のツアーのチケットを巡って自己中心的な意見があまりにも多いので腹が立ってそれ以後mxiは見ていません。

 

私の友人に病気で葡萄ツアーをドクターストップであきらめ、それが原因でファンクラブも退会した人もいます。

 

病気でライブを断念した人やお金の都合でライブを断念した人や、家庭の都合でライブを断念した人がいることを彼女には知ってほしかったです。

 

最後にあゆが歌う桑田さんの「東京」のカバーは絶品といわれていたのに・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スマホはほどほどに使いましょう。

2017年09月12日 21時55分46秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

昨日の話。

 

山手線車内で乗客がリュックに入れていたスマホのバッテリーから発火があったという事故があり、そのことを鉄道ファンのツイ友さん(野球大喜利つながり)に話したら「この前は京阪で同種の事故が起きていて…安物買いの銭失いにしても、列車止めたら失う物が大き過ぎて…。」と言うお返事。


私はアンカーの10000mAhのバッテリーを使っていますが、昨年のバス旅行の時に買って3年たったせいもあってかバッテリーがすぐに減ったので、翌月にコストコに行ったら安くて2個合計で10000mAhはあるバッテリーが売られていて、それを購入したら今度はフル充電するのに時間がかかり、東京への旅行用にアマゾンでアンカーの最新型のを買いました。


レベッカのライブで名古屋に行ったときもゲートタワーのビックカメラにアンカーの専門のお店があるので安くなっていたのを買いました。


今のところ発火のトラブルはありませんが、何年かしたら処分したほうが無難なのかも・・・。


7月にメガネの生活が始まったのもスマホが原因なのかもしれません。

 

私は時々おいしいものを食べたりいい景色を見つけるとスマホに撮影してそれをインスタグラムに投稿しますが、場合によってはそれが反感を買ったりマナー違反になるというのをテレビの情報番組でやっていました。

 

そうなってしまう背景に「いいね!」がほしいという承認要求から来ているという心理を挙げていました。

 

特に女の子にそういう傾向が高いといわれています。

 

私がインスタにアップした写真の中に廃墟と言われた本巣市のショッピングモールリオワールドがあります。私はその写真を「これが現実です」というテーマでアップしました。

 

「いいね!」がほしくてやったのではなく、現実を見てほしかったからです。

 

ブログ書くたびにバッシングされる辻ちゃんやインスタに写真アップされるたびにアンチの攻撃に遭う浜崎あゆみのようなのも考え物です。

 

本当に生活がリアルに充実しているのならインスタに自慢的な写真アップしない。

 

7月くらいにコストコでパーティーピーポーらしきグループがコストコのレジの前で自撮りやっていたのを見たときはドン引きしました。

 

ブログのアイコンの写真は頭を下げて撮影してもらいました。

 

最後に来月から桑田さんのツアーが始まりますが、会場で写真撮りまくってその写真を年賀状に使う自分がいる。

 

 

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80年代って犠牲の時代だったのか?

2017年08月11日 23時24分31秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

昨日仕事前にザテレビジョンを買いました。購入した理由は創刊35周年特集に「男女7人秋物語」が掲載されていたからです。

 

今日は2日前に楽天で注文した「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」の傑作選が届きました。この本の最後に「コロコロアニキ」という雑誌に「キヨハラくん」がモデルとなった清原和博氏の逮捕で急きょ変更となった漫画「いつかのホームラン」が収録されていて、80年代に子供時代と10代を過ごした人間にとって考えさせられる話でした。

 

明日は日航機の事故から32年で三十三回忌です。当時中3で担任の先生も厳しく、中1ギャップでつまづいたのでその心の傷が大きいです。友人に当時6歳の子供の時に事故のニュースを見て飛行機が乗れなくなったと言っていたのでテレビはあまり見させない(今だったらネットやスマホ)のも大事である反面、東日本大震災以後「真実を伝えることも大事だけど、映像を見て傷つく人もいる」というジレンマを感じました。

 

今日から世間はお盆休みですが、仕事柄お盆休みはなく、(シフトで明日と16日と希望休みで19・20日)19日にレベッカのライブを見に行きます。

 

レベッカは高校2年生の終わりにファンになって、コンサートにやっと行けると思ったら解散で、苦節30年(大袈裟な言い方)で初めてのライブです。

 

22日は岡田有希子さんの生きていたら50歳の誕生日です。私は7月31日に47歳になりました。

 

8年前にマイケル・ジャクソンが亡くなった時に「80年代は犠牲の時代」とブログに書いたけど、本当にこの時代は行きづらい時代だったのかと思うようになりました。

 

きっかけは母の大腸がんがステージ4で自分が心がこじれたまま大人になったのではと気が付いたことでした。

 

そういう考えをするようになったのは自分が勤めていた職場の利用者さんの娘さんが神経質な人で、職員の何気ない一言が原因でうつ病になったという話です。その原因が腕の内出血の原因をあやふやに説明したことでした。

 

その方はすでにターミナル状態になっていて、亡くなった時にそのことを信じなかったというのです。

 

小中の同級生に通っていた高校(それも進学校)に父親の言いなりになっていたクラスメートがいて、父親の死がきっかけで心のリバウンドが出てしまい、新興宗教にハマったという話を聞きました。その同級生はスピチュアルなものにハマる人が周りに多かったです。

 

私はそれを思い出し「これではいけない」と思うようになりました。

 

ケアマネ試験の勉強よりやらなければいけないものがあるんじゃないかと思うようになりました。

 

母が病気になってから子供のころの楽しい思い出も悪い思い出もプラスになるように考えるようになりました。7月にオンエアしたNHKの「ナビゲーション」の敏感な子供の話を見て「自分も敏感すぎる子供だったから当時の管理教育が嫌で嫌で仕方がなかったのでは」と推定的に考えるようになりました。

 

あと母と元FC岐阜社長の恩田さんの影響で「何とかカースト」に束縛されるから今の子供は生きづらいのではというのと「自分ができないのは管理教育のせい」という昔の自分がそうであったように自分ができないのをスクールカーストのせいにする子供が出てしまう。

 

最後にどんなことがあっても強い心で生きることができる人間でありたいと思います。

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小林麻央さんの死。

2017年06月23日 22時30分00秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう
今日は悲しい1日でした。

利用者さんを自宅に送った職員から利用者さんの自宅のテレビで小林麻央さんが亡くなったというニュースがやっていたという報告を受けました。

ご主人の市川海老蔵さんの記者会見は14時30分からで、私は訪問介護から戻った後に記者会見を複雑な気持ちで見ていました。

今日は忙しい日で、利用者さんを自宅に送ったらご主人が玄関先でぐったりしていて、職場がその利用者さんの家の近所なので体温計と血圧計を持って測定したら体温も血圧も高いのでご主人を自宅近くの病院に送り、利用者さんを職場にお連れし、ご主人の具合のこともあり、その利用者さんの泊まり利用でバタバタしていて帰りが遅くなり、接骨院も断念しました。

母が大腸がんで、元日ハム監督の大島康徳さんと同じステージ4で、肺と肝臓にがんが転移していて、抗がん剤治療が始まっています。29日からさらに強い薬の投与で副作用が待っています。

大島さんのブログで抗がん剤の副作用でイライラして奥さんに当たった話が書いていました。

麻央さんのブログを読むようになったのは母がきっかけでした。

大きい病気に無縁だった母に大腸がんが見つかったのはGW最中の平日で、GW明けの8日に急遽入院となりました。その時点でがんが重く、ステージ4であることを父から聞かされました。

13日に岐阜大学付属病院でインフォームドコンセントが行われ、16日に手術となりました。

手術後に看護師さんに病理室に呼ばれ、父と二人で切ったS字結腸を見たときのショックは大きかった。

手術して数日後の日曜日に母の面会に行った時にローソン近くのロビーで麻央さんと同じくらいの女性を車椅子で押していたご主人と女の子二人を見たときもそうでした。

母も彼女の死を冷静に受け入れていました。

母は大腸がんでお腹に便(要するにうんこ)をためるストーマという袋を付け、障がい者手帳ももらいました。

母は不自由な生活になっても前向きで、家事炊事もある程度やっています。

今まで何もやらなかった父でさえごみ出しと風呂掃除をやっています。

麻央さんの最後のブログはオレンジジュースの話でした。鼻に酸素吸入のカテーテルを着けてもお風呂に入るのが大変でも楽しく毎日を過ごしていました。

麻央さんは多くいや世界中のがんと戦う人たちに勇気と希望を与えてくれました。

私の母もあと2年が限界と言われていますが、本人は楽しく毎日を過ごしています。娘として思うことは黙って見守るしかないのです。

小林麻央さんのご冥福をお祈りします。


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バルタン星人のフィギュアとライナスの毛布。

2017年03月29日 22時59分52秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

昨日4月のシフトが出ましたが、2日に名古屋で8日に木曽三川公園と試験勉強のスケジュールを立てるのが大変です。

 

本音を言うとポートメッセで開催されるマンモスフリマに行きたいです!!

 

今年で介護の仕事を始めて10年になりますが、10年前の今頃はお金もなかったし、親子関係も最悪でした。

 

今はケアマネ試験の勉強で大変です。受かる確率は低いですが、頑張ります。

 

ここで本題です。

 

これは野球大喜利で仲良くなった鉄道と阪神ファンのツイ友さんとの会話から生まれた話です。

 

オリックスの東明という投手(それも岐阜出身)が寮に入るときにウルトラマンに出てくるお兄さんから頂いたというバルタン星人のフィギュアを持ってきたといいます。彼はそのフィギュアが大変なお気に入りだといいます。

 

私が大江千里さんのファンで、キャラクターやアニメが好きということもあって、阪急電車のスヌーピートレインやわたせせいぞうさんのイラストトレインの写真のツイートを送ってくれます。

 

スヌーピートレインの話で「ライナスの毛布」の話を思い出し、「東明のバルタン星人のフィギュアはライナスの毛布みたいなものなんだろうか?」というツイートで盛り上がりました。

 

ライナスの毛布についてはスヌーピーの公式サイトにも開設しています。ライナスは常に毛布がないと安心できない男の子で、哲学的なことも言うことで有名です。

https://www.snoopy.co.jp/friends/linus/

 

ライナスの毛布については心理学的にも立証されているとも言われています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%BF%83%E6%AF%9B%E5%B8%83

 

スヌーピーはミスドでもらったグッズがあります。昨年暮れに購入した福箱にもいろいろ入っていて、車のカギにはキーホルダーを付けています。

 

利用者さんの娘さんがスヌーピー好きで、この話で盛り上がりました。4月に名古屋の高島屋ゲートタワーにお店ができるので見にいきたいのがやまやまです。

 

安心毛布の話ですが、私の部屋にはディズニーシーで買ったダッフィーとシェリーメイのぬいぐるみとインターネットで買ったゆるキャラのアルクマのぬいぐるみがあります。

 

クマのぬいぐるみは心が落ち着きます。

 

あとパソコン机には猫ピッチャーのミーちゃんのぬいぐるみとスターウォーズのTDLで買ったBB-8のドリンクがいれることができるフィギュアがあります。

 

あんまりあれこれ置くと家族からのクレームが・・・。

 

この話を聞いて職場で認知症の利用者さんに安心できるものがあれば落ち着くのではということに気が付きましたが、それを見つけるのが難しいです。

 

最後に一言・桑田さんのせいで桜の開花のニュースを聞くと中西君が京都で桑田さんの大顰蹙を買う下ネタ発言をした話を思い出す。(桜の開花=中西君は毎日股間が開花している。)

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昨日の「トットてれび」

2016年06月05日 22時19分05秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

今日はタイヤ交換の話と桑田さんがゲリラ的に「ヨシ子さん」を夜遊びで初OAした話と千葉ロッテのマスコットが股間にDBスターマンのマスコットを入れるという写真がツイッターのTLに流れた話を書こうかと思ったけど、それを書くと疲れるのでこの話。(片づけて疲れたから)

 

昨日の「トットてれび」は35年前に飛行機事故で亡くなった故向田邦子さんとの友情秘話です。

http://www.nhk.or.jp/dodra/tottotv/

 

前回の話でNYに行き、人生観が変わったトットちゃん(黒柳さん)は「徹子の部屋」という番組を担当します。記念すべき第1回のゲストは森繁久彌さんです。(第1回の時のタキシード風シャツまで見事に再現)

 

そんな彼女が仲良しだったのが当時人気シナリオライターとして活躍していた向田邦子さんでした。彼女は東京タワーの近くのマンションに猫と一緒に住んでいて、毎日顔を出しては向田さんの手料理とたわいのないおしゃべりをして過ごしていました。

 

彼女が描いたドラマは大ヒットしますが、多忙な日々でシナリオも遅れがちになってしまいます。

 

その後作家として成功し、直木賞を受賞します。向田さんは「おばあさんになった黒柳さんを描きたい」と言います。

 

しかし、昭和56年の8月向田さんは飛行機事故で亡くなります。

 

それは黒柳さんにとって悲しい別れでした。

 

物語に登場していた留守番電話ですが、向田さんの私物だといいます。

 

このドラマの脚本を書いた中園ミホさんを始め、同郷で美濃加茂市出身の北川悦吏子さんもそうですが向田さんや橋田寿賀子さんの登場を機に女性の脚本家が増えました。ふと思ったのですが、向田さんが生きていたら橋田さんの「おしん」はヒットしていなかったのかもしれません。

 

どうしてかというと男尊女卑が変わろうとしている世の中で「子供と女性が虐げられる」物語を描くのは嫌なのかもという見方をしていたのではと思います。

 

私自身も向田さんが亡くなったころに新潟に住む母方の祖母が寝たきりで過ごす姿と一緒に暮らしていた祖母が急に手術をしなければいけなくなり、それがのちにがんだったという悲しい現実を子供ながらに突きつけられました。

 

向田さんが亡くなった昭和56年は「窓際のトットちゃん」が大ヒットした年でもあり、この本で黒柳さんは今でいう「LD」という学習障害であることをカミングアウトしています。

 

今でもセリフを覚えることができないといいます。

 

このドラマを見て思ったことは心の広い理解あるご両親とNHKに入ってから出会った人たちとの支えがあったから黒柳さんは今も活躍しているということです。

 

昨日の回は本当の友達はガチでばかな話ができるということを考えさせられました。

 

デビュー当時その個性の強さが理解されなかったといいますが、その経験があったからタモリさんや桑田佳祐さんと言った個性の強い人を理解しているのだと思います。

 

次回は兄のように慕い、熱愛報道まであったという渥美清さんです。温和なイメージの強い渥美さんはプライベートも謎だったという話があります。

 

最終回は森繁さんだと思いますが、ベストテンの話もぜひやってほしいです。

 

最後に一言・車のタイヤのせいでレコーダーの買い替え延期です。

 

 

 

 

 

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