気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

孫よ!運転免許は甘くはないぞ!

2018-01-10 16:00:36 | エッセイ

 私の孫は孫息子である。昨春高校を卒業し、今は大学1年生で歳は18歳である。親元を離れ大学の寄宿舎生活を始めた。 食事は3食とも学生食堂である。 施設が至りつくせで良いが郊外は所詮郊外にある。孫は日本人の血が騒ぐのか永らく剣道を習っている。その剣道を教える講道館は大学の街にはなく、高速道路を使って行かなければならない。隣り街にある。 そこに行くには鉄路のない米国では車でしかない。 16歳から取得できる免許を見送っていたぐらいだから車の運転には余り興味はないようだ。 しかし、車なしでは生活ができない。「まず、免許の取得だ。運転技量は後からでも実務の場で教育を・・」と言うことで母親の娘は暮れの休みで帰省する年末に運転免許試験を行う試験場を探しに息子を連れて冬の海岸沿いをひたすら走った。見た目は仲の良い母息子のロマチックな風情を醸し出していたが、実は、必死に試験場探しに翻弄している親子である。都会のSFにほど近い処は早々と店じまい。車は自宅を出発して1時間半も掛かって見つけた試験場でやっと受験をし合格の証明を貰った。母親の執念にほかならない。 休みの短い年末ではいたしかたなしだ。

それにしても、規制条件が付いているとは言え、こうも簡単に免許を交付して良いものかと救われた孫にはありがたかったが何か考えさせられた一幕でした。

娘曰く、「免許はまず、取得できた。だが、運転なんぞ、とんでもない。当分の間は我が家で実務教育してからのデビユー」と聞き安心した。

車の怖さの実例をお爺ちゃんが味わった話をして更に慎重に運転する心構えを植えさせようと思った。剣道の昇段試験が益々受けられなくなるだろう。運転が出来ないのだから・・・。

早朝に母親の娘に送られオークランド国内空港から寄宿舎に戻っていった。途中、傍で母親の運転さばきを視て何を感じただろうか。

終わり


戌年生まれの「ゆく年くる年」

2018-01-01 18:18:42 | エッセイ

 何時もの通り眼が覚めた。外から聴こえる音はいつもより静かさを感じた。 

時計の針は午前6時半を指していた。 今日は平成30年1月1日即ち元日である。 しかも、戌年である。 と言うのは、私の7回目の干支の年を迎えたのである。 目出度くもあり目出度くもなし。 雨戸を開けると冬の弱い日射しが目一杯に差し込んできた。 

 元日を意識し記憶に留めたことはない。                   だが、84歳を迎える年の元日を追想するのも、またとないことと悟った。        前日の大晦日も知りたくなった。 そこで、時計の針を1日前に戻して見ることにした。 例年だと、大晦日の夜は少しばかりお洒落をして、やや高級感ある雰囲気のある店でふたりだけで食事をした。 そして、家に戻り紅白を観て、「ゆく年くる年」で除夜の鐘の音を聴きながら新しい年を迎えていた。そうだったな~。

 今年の戌年を迎える大晦日は一年歳を取ったのか、静かに家にこもりたくなり、買い物にだけにふたりで出掛けた。夕食をすませ自室にこもり年賀はがきの宛名書きとひと言を書き加えた。 文面には「今後は年賀のご挨拶を失礼する」旨を付け加えた。 テレビのリモコンを見ないで触れた。どう間違えたのか古い邦画「君の名は」が流れてきたのには驚いた。 暫し、懐かしく筆を止め、駅舎など古い昭和に郷愁を覚えた。チャンネルを戻しNHK「ゆく年くる年」の除夜の音を聴いて戌年を迎えた。

 弱い日射しの朝の元日、妻とお雑煮を食味し終え、自室で年賀はがきの続きを書き始めた。日記風の賀状も今年で最後かと思うと寂しいものがある。その賀状を近くのポストに杖を突いて出かけた。 後ろから抜き駆けるようにポストに走ったのはふたりしかいなく、元日の住宅街はやはり静かだった。歩きながら4月には自動車運転免許証も自主返納する。サンフランシスコに住む娘から息子が免許をやっと取得出来たとの連絡があった。孫に直接「おめでとう」のメールを送信したのを思いだした。 

その時、玄関先で郵便物の落ちる音を感じた。 時計を視た。 時間的にはそろそろかな・・・。やはり、年賀はがきは来ていた。来年はなくなるだろうと思うと一抹の寂しさを感じながら賀状の束をを取りだした。 妻の分を仕訳をして妻に渡した。

 穏やかな時間が過ぎ午後3時頃、何気なく覗いたポストにカードが入っているのに気がついた。 写真7枚組を素敵にレイアウトされ更にクリスマス祝いのお礼を日本語で添えた娘の日本語専攻の大学1年の息子とバスケ好きの高校2年の娘の兄妹ふたりからのカードだった。米国から帰国する時にも必ずと言って良いほど貰っていた。

 春には日本語の通訳研修に孫娘が来日すると言う。そこに、チャットで割り込んできたのが、孫息子だ。「夏には日本に行くよ」 腰が痛いとか、筋肉が張るとか、疲れるとかは言っている暇はなさそうな戌年になりそうだ。

他愛もない老夫婦の元日の一日でも、眼を見張れば、いろいろと動きがあるものなのですね。

こうして、戌年の元日が過ぎ、始まった。

終わり