気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

悲しきこと多々あれど、これほど悲しきことはない

2018-06-28 21:29:07 | エッセイ

私は戦後、中国から引き揚げてきた時は小学6年でした。小雨降る中、石炭を運ぶ無蓋車で収容所の大連からタンクウと言う小さな港から米軍の上陸楊脩艇母艦に乗船し祖国の土を踏んだ経験をもっています。後数時間で祖国の地を目前に無情にも小雨降る悪天候に見舞われ5歳の男の子2人が亡くなり船尾から日章旗に包まれ水葬するのを目撃しました。これは敗戦後の混乱の時期でありました。しかし、祖国を目前にして5歳児と言う弱きものが親の保護を得ても絶たれたのでした。

 昨日の朝、弐階の格子の雨戸の隙間から朝の陽射しが射し込んできて目が覚めました。仕事があるでなし、勤めもあるでなし、まさに自由の身である。あるとすれば、悲しいいかな医者通い位である。今日はそれもなし。余りないと手持ち無沙汰なもので体調管理にはよくない。くずぐず言ってないで、起きるか決断しろや~。起きる事にして一階に静かに降りて新聞を取に下りました。

 一晩過ぎて、今朝は、弐階のの格子の雨戸の隙間からは朝の陽射しは射し込まず降る雨脚の音だけが聴こえてきました。今日も、昨日と同じく眼が覚めたもの何をするでなし、平和な壱日があたりまえの如くめぐて来たのです。目黒の女児虐待死事件が騒がれていました。

 私は今から84年前に生を受け、父母に大事に育てられ、兄弟とも良く遊び、友人にも恵まれ、妻にも子供にも孫とも楽しく過ごし日々変わりのない朝を迎えている幸せな老人です。この時に事件が起きたのです。

 子供がこの世で最も信じられるのは母親しかいないのではないですか。

その母親に

 必死に考えて紙にダンボールに書いた文章も分かって貰えない

 5歳女児の無念さを思うと、胸が張り裂ける思いがします。

このようにして許しを乞う実の子が何処にいますか。しかも、許して貰えなかった

 余りにも、悲しく、余りにも悲惨だ。無力な自分に一時、情報を遮断し読もうともしなかった。 きっと、頭が良く字を覚える才覚に長けた子でありましょう。口で言うだけでなく、未明の午前4時に起きて覚えた字を頼りに紙に文章にして許しを乞った。文章は5歳児のレベルを超えている。必死だったのでしょう。それを思うとやりきれない。字を知っていたこそ事実が知れたことにもなったのです。また、悲しみを増す結果にもなった。知らなければよかった。

 「いずれそちらに行った時には真っ先に探そう。お爺ちゃんで良ければ胸に抱いてあげましょう。お土産には美味しいお菓子をお腹いっぱいたべましょうね」と言って上げたい。

 今朝、床の中で耳にした雨音を聴いた時、ふと、口にでた童唄がある。平和だ。

    雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし

    紅緒のかっこも 緒が切れた

    千代紙 折りましょう たたみましょう

 今の私には何にもできない。少なくとも今の心を落ち着かせ心静かにさせてあげたいたいものだ。死ぬまで許して貰えなかった母への願いは何時か或る日、許しあえる母と娘になるのを祈念したい。

 寝床で口すさんだ北原白秋作童唄「雨」を口すざみご冥福を祈念したい。

 

終わり