気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

昔のひとの心に染みる詩文

2016-09-18 11:39:19 | エッセイ

 昨晩、昔の職場で共に仕事に励んだ仲間が集い旧交を温めあった。           帰宅し疲れを癒しながら観ているテレビで子供がハーモニカで「湖畔の宿」を吹奏していた。時代は戦後間もない時期のようだ。 この歌は流行歌であって子供の唄う歌ではない。だが、自分の子どもの時代に振り返り想い起こしても戦時中に子供の歌があったかどうか記憶がない。「歌は世につれ世は歌につれ」と言うが、当時のこの歌とは流行歌であり、軍歌であったと思う。 

 ふと、脳裏を過ぎったことがあり書き記してみた。

 それは、父の転勤で中国大陸に渡った昭和16年の頃の話である。         大東亜共栄圏建設のもとに多くの日本人が中国大陸に渡った。 世相を反映し、巷には退廃的な唄が流行していた。この唄を耳にすると列車の窓から観える荒涼たる中国大陸が蘇る。 歌詞がいい。

「馬賊の唄」  

僕もゆくから君もゆけ 狭い日本にや住みあいた 波のかなたにゃ支那がある    支那にや四億の民が待つ

僕には父も母もなく  生まれ故郷に家もなく  幾とせ慣れた山あれど      別れを惜しむ家もなし 

ただいたわしの恋人や 幼きころの友ひとも   どこに住めるや今はただ    夢路に姿をたどるのみ

昨日は東 今日は西  流れ流れしうき草の   果てしなき野にただひとり   月を仰いで草まくら

「流浪の旅」

・・・・・~

昨日は東 今日は西と 流浪の旅は 何時までつづく  果てなき海の沖の中なる 島にでもよし 永住の地欲し

 

 もうひとつ想い起こしたことがある。                       それは茨城県笠間市に笠間日動美術館がある。現役時代に何回か通った地である。この別館に春風万里荘があり叱られた想い出がある。掲出物の文章をメモをするが大変だ。撮影禁止だが絵画でもなし係員もいないのでカメラを構えた。すると、マイクで「撮影禁止です・・・」とアナウンス。昭和62年頃でも監視カメラはあったのか・・。やむを得ずメモを続けた。これは唄ではない。詩である。

「戦友別杯の唄」   大木敦夫作

言うなかれ 君よ 別れを 世の常を また生き死にを

・・・・・~

輝かし 南十字を いつの夜か また共に見ん  身よ 空と水 うつるところ

黙々と雲は行き 雲は行けるを

 

昔のひとの文には心に染みるものがある。 他に華厳の滝にも「悠々たるかな・・・」の碑がある。

 雑文は止めたいものです。

終わり