「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

波賀城へ

2014-09-16 23:35:16 | 城、城跡、歴史
先日の3連休最終日の15日、兵庫県宍粟市波賀町上野にある”波賀城跡”へ行っってきました。



この波賀城跡、弘長年間(1261年 - 1263年)に芳賀七郎が築城し13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として拡張した山城で、因幡街道と千種を結ぶ街道を眼下に望む独立峰の城山(標高458m)の山頂に位置しています。

波賀町に残る「中村又治家文書」には、鎌倉時代中期の弘長年中(1261~1263)に、宍粟郡上野村の古城主であった芳賀七郎光節が勅命に背いたので討手として鎌倉幕府の御家人であった中村氏が古城を攻め、芳賀氏を討ち取り、恩賞として当村の小野村等を貰って移り住んだそうです。この時の伝承として『馬隠しの伝説』と言うのがあります。

中村氏は初代光時から、戦国時代末期の吉宗まで、20代にわたって波賀城主であったと言われており、中村氏は赤松氏の支配下のもとでその勢力を維持していました。

『馬隠しの伝説』
その昔、波賀城主の芳賀七郎は素晴らしい馬を飼っていました。この名馬は走らせれば飛ぶが如くで、一日にして京へ行けるほどの名馬でした。ある時そのことが都にまで聞こえ、その名馬を献上せよとの命令が届きました。七郎は名馬を惜しんでそれに従わなかったので、合戦になりました。彼は馬を山の洞窟の「馬隠しの穴」に隠して戦いましたが、とうとう力尽きて戦死してしまいました。討ち死にする前に名馬を解き放って最後を飾ったと言う事です。


この城跡の見どころは、石垣。



櫓の周辺は石垣が復元されていて、布積くずし積みとなっています。
コーナー部分の算木積みはまだ完成していないようです。



あまり見かけない石垣です。

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