車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山形村内の道祖神:石仏~Ⅲ~ in 長野県山形村

2022年09月02日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

山形村小坂・中原町(六部塚)に「小人のささやき」と名付けられた「双体道祖神」「供養塔」「筆塚」各一基。

向かって左側が男神であることから仏教系と思われる「抱擁双体道祖神」。男神は女神の肩を引き寄せ、女神は法衣の裾を広げて男神を迎え入れる・・睦まじい二人の時間がゆっくりとながれています。

「画家:市川月静の筆塚」

山形村中大池・上手東辻に「筒井筒中大池」と名付けられた「握手抱擁双体道祖神」「子宝地蔵」各一基。

「寛政七乙卯(1795)十一月吉日  中耕地組 」の刻。寄り添う二人の間には、何物も入り込む事のできない濃い時間が流れているようです。

近くには、正月行事や祭りの際、紙飾りや巾着で飾った竹組みの「おんべ」を取り付けて道祖神の脇に建てる「御柱」もあります。

山形村中大池・下村(中大池公民館)に「十二単衣」と名付けられた「握手抱擁双体道祖神」「二三夜塔」「庚申塔」各一基。

「男神は冠のひもをきちんと顎の下で結び、女神は十二単衣をきちんと重ねて着て、垂髪を自分の右後へ束ねて綺麗に垂らしています。手は浅く肩を抱きあっています。女神が男神の親指を握り、男神は親指以外の4本の指を握っています。いくぶんすまし顔ですが仲睦まじさが滲み出ています。双神の袖口の衣服の重ね着はとても美しく、特に衣装が整然として端正です。」山形村道祖神巡り

山形村小坂・堂村上辻に「まぼろしの双像」と名付けられた「双体道祖神」・「庚申塔」・「庚申仏塔」各一基。

「石質が軟らかい為と彫りが浅いこともあり風化が進み、双像の輪郭がすっかりぼやけてしまい、男女の区別がつかないのが残念です。いかにもまぼろしの双像です。向きあった双神は手を繋ぎ、向かって右側の神は体全体が逞しく感ぜられ、左側の神はしなやかな腰をしており、その姿は美しく、肩から腰、裾に至る線は優雅で浮世絵を思わせる様です。当時の庶民の生活を想い浮かべさせ、暖かい感じが伝わってきます。双像の立っている台の下に深く彫られた窪みがありますが、この神様が好きなあんころ餅を窪みに押し込んで供えたと言われています。山形村道祖神巡り

「庚申仏塔」

山形村小坂・日向に「素足の道祖神」と名付けられた「握手双体道祖神」「秋葉様の小祠」「念仏供養塔」「観音像」「庚申塔」等4基。

「寛政七乙年(1795)十二月八日  日向村中」の刻。長い年月によって男女神の姿は朧になっていますが、山形村道祖神巡りによれば「衣装は共に公家風ですが、頬をすり寄せ肩を組み、手に手を取り合って裸足で走ってきたような感じです。若さいっぱいで逞しく、他の道祖神にくらべ唯一自由闊達さが表現されています。裸足の指の先まで刻まれているところなどとてもユニークです。」

「観音像」

山形村小坂・大日堂辻に「つつましき女神」と名付けられた「握手肩抱き双体道祖神」一基。他「名号碑」「念仏供養塔」「庚申塔」等11基。

「嘉永五子(1852) 大日 」の刻。 村内道祖神の中で唯一、男神が女神の5本の指を握っており、男神が女神より積極的である事から「つつましき女神」と名づけられたそうです。

「山形小学校[松本市コミュニティ]」バス停横、山形小学校体育館前にあった「山形村の道祖神」。上面が道祖神のマップになっています。

地元の方でなければ理解できない地図です(^^;)

山形村の道祖神~Ⅳ~に続きます

撮影日:2016年4月22日

 


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