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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

多賀(たが)大社 in 滋賀県多賀町多賀

2025年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

犬上郡多賀町多賀に鎮座される「多賀大社」。御祭神は『伊邪那岐大神・伊邪那美大神』。式内社で、旧社格は官幣大社。

古くから「お多賀さん」として親しまれ、また神仏習合期には「多賀大明神」として信仰を集めました。

由緒「日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。 生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。」公式HPより

大鳥居の前にあってこの広大な神域を守護されているのは、明治43年9月建立の端正な顔立ちの狛犬さん一対。お伊勢の親神様のお膝元に居るせいなのか、自信満々なドヤ顔がツボ😊

鳥居からまっすぐ正面にある石造りの反り橋は、太閤秀吉が母である大政所の病気平癒の願をかけ、大僧正・慈性により天正16年(1588)に造営させたもの、「太閤橋」とも呼ばれています。(現在の橋は寛永15年〈1638〉に再築、多賀町指定文化財)

橋の内側から見る境内入り口、鳥居の下に見える土産物屋の大きなしゃもじは、お守りとして授ける「しゃもじ=御多賀杓子(おたがじゃくし)」に由来したもの。

この「御多賀杓子(おたがじゃくし)」。社伝には「元正天皇( 養老717 ~723 )、病に伏した天武天皇に、神山の枎栘( しで) の樹で「飯しゃもじ」を作り、蒸飯と共に献上した所、病が治った。」。お多賀さんでご祈祷を受けた際には必ずこのおしゃもじがいただけたそうです。ちなみに私たちが調理の折に使う「お玉杓子」や、カエルの子供「オタマジャクシ」の由来になっています。

「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」

「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」

俗謡に謡われる「お多賀の子」とは、伊勢の御祭神「天照大神」が「伊邪那岐命・伊邪那美命」の御子である事に由来したものといわれています。ところでこの俗謡のフレーズ、確かどこかで聞いた覚えが・・・・・・!!そう!あれは宮津・龍神社の【伊勢へ詣らば元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ】。そこから見えてくるものは、やはり伊勢神宮に対する庶民信仰の深さと、ある種の対抗心なのかもしれません。

先の太閤橋を過ぎて御神門を潜ると真っ直ぐに参道が続き、拝殿へと至ります。ちなみに私たちは2006年8月・2015年7月に参拝させていただきましたが、二度目の参拝時は生憎の雨で随分と暗い画像になっています。

さらに8月初旬の「万灯祭」の準備に向けて、境内には1万灯を超える提灯を下げる為のロープが張られ、随分と異なった雰囲気になりました。そんな訳で二度の参拝画像を取り混ぜての「多賀大社」紹介です。

町指定有形文化財の社殿は、拝殿から回廊、神楽殿、幣殿、本殿へと続く大社造で、神明造や住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされています。

社殿の右手前に建つ「神馬舎」。うちには白馬が収められています。

「神馬舎」の左前には「さざれ石」。今更説明するまでもなく「国歌:君が代」に詠まれているように、千代・八千代を象徴しています。

新年一月三日の「能始」に用いられる「能舞台」。舞われる曲目が「翁」であることから、古くから「翁始式」と呼び慣わされています。

能舞台の近く、玉垣の中に鎮座する「寿命石」。説明に、鎌倉時代の僧『重源』は東大寺再建の成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠、夢に現われた天照大神より「寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げられ、20年の寿命を得、見事東大寺を再建させました。報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝えられます。境内に残るその石は「寿命石」と呼ばれ、今も長寿祈願の信仰の対象とされています。 

「寿命石」の後方に見える朱の鳥居は「金咲稲荷神社」

多賀大社には本当に沢山の摂社・末社が祀られています。なのに二度も参拝しながら、結局参拝はこの一社だけ。

参道を挟んで絵馬殿。そのまま左手奥に進むと「文庫」・「神輿庫」が並ぶ一角に出ます。

さらに奥に進むと神仏習合時代の名残でもある「鐘楼」が見えてきました。鐘楼のつり鐘は県の有形文化財に指定されているそうです。

さらに奥に進むと羽釜が掛けられた竈が二つ並んで奉納されています。特に何かの説明は無かったのですが、もしかしたら献茶式で使われるお湯を沸かしていたものかもしれませんね。

多賀大社の境内はとてつもなく広大で、とても一度や二度で周りきれるものではありません。この境内図をみても分かるように、私たちが参拝したのは本当に一部分だけ。回り切れなかったそこかしこが、今更に心残り。

多賀大社、最後の画像は境内から3kも離れた彦根市高宮に建つ「多賀大社・一の鳥居」。寛永12年(1635)建之の鳥居と鳥居脇の常夜灯は、いずれも県指定有形文化財に指定されています。

参拝日:2006年8月11日&2015年7月16日

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tibineko一口メモ

おたが杓子の文字が初出したのは、斎藤徳元:作、寛永11年(1634)発刊の「尤(もっともの)草紙」。枕草子に模した仮名草紙二巻のうち、全80項目にわたる物尽くしで、「まがれるものしなじな」で《大工のさしがね、蔵の鍵、なべのつる、おたが杓子》が登場しています。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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こんばんは (続々強子の部屋)
2025-05-19 19:45:25
多賀大社、立派ですね。
大鳥居から始まって何から何まで
立派です。素晴らしいところを旅されたのですね。
いやお参りでした。
お幸せな時を過ごされましたね。
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強子さま (tibineko)
2025-05-19 22:29:17
鳥居を潜ったとたんに背筋が伸びる感覚
あれは本当に何度経験しても感動いたします。

できるなら元気なうちにもう一度お参りしたいと願いながら
いつの間にか歳月だけが過ぎてしまいました
それでも、いつかもう一度・・の思いは
今でも消えずに残っています😊
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