カラオケ大好き(だった)私の持ち歌の一つ「琵琶湖周航の歌」。作詞:小口太郎・作曲:吉田千秋。大正6年に旧制第三高等学校ボート部歌として作られ、昭和8年に「第三高等学校自由寮生徒」の歌唱でレコーディング。その後、昭和36年(1961)に「ボニージャックス」が吹き込んだのを皮切りに「ペギー葉山」「小林旭」「渡哲也」「倍賞千恵子」など、60組以上の歌手がカバーし、中でも昭和46年(1971)に「加藤登紀子」がカバーしたレコードは70万枚の大ヒットになり、私の愛唱歌となったのもこのレコードが切っ掛けでした。今でも滋賀県に行って琵琶湖が見えてくると、反射的にこの歌を口ずさんでしまいます😊
われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあればしみじみと
昇る狭霧(さぎり)やさざなみの 志賀の都よ いざさらば
西国三十三か所第30番札所「竹生島:宝厳寺(ほうごんじ)」への玄関口として賑わう今津港。桟橋の突端に有るモニュメントは、三番の歌詞に登場する「赤い泊火(とまりび)」。太古から変わることの無い琵琶湖の風景の中に赤々と燃える泊火は、人々の息吹の証しかもしれません。
浪のまにまに漂えば 赤い泊(とまり)火なつかしみ
行方定めぬ浪枕 今日は今津か長濱か
この何とも美しい抒情詩で綴られた「琵琶湖周航の歌」。今津町はその「琵琶湖周航の歌:発祥地」として知られており、高島市今津町中沼には「琵琶湖周航の歌資料館」もあります。
第三高等学校(現・京都大学)ボート部の部員であった小口青年は、大正6年6月の周航中にこの歌詞を思いついたと言います。この年の周航は、雄松(近江舞子)~ 今津 ~彦根~ 長命寺(近江八幡)に宿泊する4泊5日の旅程で、周航2日目の6月28日夜、今津の宿で披露されました。資料館には一番から六番までの歌詞が並べて展示されています。
当初の歌詞の下に現代の歌詞が並べて書かれていますが、こうして見ると微妙な手直しがあるのが分かります。でもあえて直す必要があったのかどうか・・・
当初は、吉田千秋が作曲した「ひつじぐさ」のメロディに当てて歌われていたものが定着し、後に学生歌として伝えられていきました。ただ、口伝えで継承された為か、現在のメロディは原曲の「ひつじぐさ」とはかなり異なっています。資料館では実際に聞き比べる事が出来るので、興味有る方にはお勧め。下の写真は就航の歌が誕生した当時の今津と、琵琶湖就航の様子を写したものです。
第三高等学校時代の『小口太郎』青年
『吉田千秋』が作曲した「ひつじぐさ」のメロディにのせて歌い継がれてきた「琵琶湖周航の歌」。「ひつじ草」とはスイレン科の多年生水草で、未の刻に開花するという謂れからこの名がつけられたそうです(実際の開花時間は午前中から夕方まで)
今津港から見る琵琶湖は、青くどこまでも果てしなく・・まさに湖=うみと呼ぶに相応しい姿です。はるか沖合いに見える島影は、4番の歌詞に歌われた「古い伝えの竹生島(ちくぶじま)」。まだ一度も参拝した事はありませんが、参拝した友人曰く、まさに仏の御手の中に居ると感じられたそうです。
ラストは、今津町の琵琶湖岸:周遊基地に建立されていた『梅本峡童』の句碑(昭和五十一年四月建之今津俳句会)
【湖の 初明かりして きた里けり】
訪問日:2016年月6日14日
ご訪問有難うございます。
竹生島といえば、弁財天様。
私ごとですが最近すこし弁財天様と関わりある
話を見聞きことがあり、
そうしてtibinekoさんのブログを開ければ竹生島。
ご縁を有難く感じます🙏
大正6年といえば100年前ですね。
ふと思いついた詩が100年人の口にのぼり、
楽しませ続けるということに、言葉の力を感じます😊
弁財天さまは音楽の仏さまですから、
大変ご利益を感じる記事でした🌸
旦那様はお元気でしょうか。
またお二人でお出かけできると良いですね🙏
ご訪問有難うございました。
どうぞお元気で。