車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

日招(ひまねき)八幡大神社 in 愛媛県松山市

2020年11月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

松山市保免西に鎮座される「日招(ひまねき)八幡大神社」。御祭神は『品陀和気命、息長帯姫命、宗像三女神』。

〆鳥居の奥にたつ神門、その先は不自然なほどの明るさ。一瞬、戸惑いを覚えるほど・・下調べをした時、そんなに境内広かったかな?

神門内より神域を守護されるのは、長い時を此処で過されたのが窺える随身さま。

境内には仮殿以外に社殿は無く、周囲に結果が張り巡らされた基礎の石組みが残されています。どうやら参拝はこの仮殿でということで・・もしかして社殿の建替えとかが成されるのでしょうか?

由緒「崇峻天皇2年(589)筑紫より宗像大神を当地に勧請し、門嶋宮と称した。大同年間(806~809)痘瘡を患った大納言雄友卿が当社に祈願すると平癒したことから伊予痘瘡宮と呼ばれ崇敬を集めた。 元慶2年(878年)石清水八幡宮より八幡宮を勧請し石清水八幡宮と称するようになった。元暦元年(1184)佐々木高綱入国の際に砥部城主、荏原城主と合戦となり勝敗の決まらないまま日没となる時当社に祈願し軍扇で入日を招くと日が差昇り勝利を得ることができたことから日招八幡宮と改めた。」愛媛県神社庁

仮殿の手前左右より神域を守護されるのは、嘉永7年(1854)4月吉日建立の狛犬さん。阿吽共にイカ耳でサザエのような巻き毛を身にまとい、綺麗に装飾された玉に寄りかかっています。 そして吽形さんの玉の上には、一生懸命に親狛を見上げる小さな子狛の姿も

境内の一画に置かれた「おとよ石」「昔、松山城が造られたごろのことなんよ。 松前の港には、大名から送られた紋入りの 石垣用の石が山のようにあってな。 この石を、毎日たくさんのおたたさんが 頭にのせて、松山へ運びよった。その中の一人、 おとよは長い勤めじゃけん疲れきっとったけど、 その日も勤めに出たんよ。 一つ丸に二の字の入った石は、大きいので、 だれも顔を見合わせて運ばなんだ。 ほやけどおとよは、「私が勤めましょう。」 と言うたんよ。みんなは、止めたけんど、 「これくらいのことがでけんようでは、御城主様にすまん。」 と言うて運び始めたんよ。出合を過ぎるへんから おくれがちになって、よろめいとった足も、日招神社の ところまで来て、とうとう前に進まんようになって、 倒れてしもたんよ。 それで、このけなげなおとよをあわれんで、その石を、 「おとよ石」といい、この神社に残すことにしたんよ。」 松山のむかし話

昔話にケチをつけるのはタブーですが、あ・え・て!! 何人かで協力して運ぶという発想は無いんか😡!!

参拝日:2011年6月12日


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