車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール&マンホールカード in 香川県高松市

2021年01月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

高松市(たかまつし)は香川県の中部、高松平野に位置する市です。坂出市、さぬき市、木田郡三木町、綾歌郡綾川町、仲多度郡まんのう町に、更に海上を隔てて香川郡直島町、小豆郡土庄町・小豆島町。さらに県を跨いで徳島県美馬市、岡山県玉野市に隣接。北は瀬戸内海に面し、高松港および高松新港(通称新湊)を中心に半円状の市街地を形成。かつて国鉄の宇高連絡船が就航していたこともあり、四国の玄関口として発展。香川県の県庁所在地および最大の都市で、四国地方において愛媛県松山市に次いで2番目の人口規模を誇り、中核市に指定。高松駅からは四国内の各都市を結ぶ特急列車が発着し、更に1988年の瀬戸大橋開通により、高松ー岡山間は約1時間程度でアクセス可能。四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国を代表する企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点として発展してきました。「市の木:黒松」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「活力にあふれ 創造性豊かな 瀬戸の都・高松」

江戸時代には御連枝の高松松平家が治める高松藩の城下町として盛え、玉藻町には日本三大水城の一つとされた高松城:別名玉藻城天守が存在しましたが、老朽化のため天守が明治時代に破却。

現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されています。「玉藻」の名は『柿本人麻呂』が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされています。

明治21年(1888)年、愛媛県から分離され香川県が発足、高松はその県庁所在地となる。

明治23年(1890)、町村制の施行により 高松市、香川郡宮脇村・中笠居村・百相村・東浜村・栗林村・太田村・鷺田村・安原上西村・ 一宮村・円座村・下笠居村・弦打村・雌雄島村・上笠居村・川岡村・多肥村・檀紙村・が発足。
木田郡潟元村・古高松村・木太村 林村・三谷村・川添村・坂ノ上村・川島町・十河村・東植田村・西植田村が発足。

1898年、百相村が町制を施行・改称して香川郡仏生山町となる。
1914年、香川郡宮脇村を編入。
1915年、香川郡中笠居村が町制施行・改称して香西町となる。
1920年、木田郡潟元村が屋島村に改称。
1921年、香川郡東浜村、栗林村が高松市に編入。
1922年、木田郡坂ノ上村が町制施行・改称して木田郡川島町となる。
1933年、木田郡屋島村が町制を施行、木田郡屋島町となる。
1940年、香川郡太田村、鷺田村、木田郡屋島町、木太村 、古高松村が高松市に編入。 木田郡屋島町・古高松村・木太村が高松市に編入。
1951年、安原上西村が香川郡上西村に改称。
1955年、木田郡川島町、十河村、東植田村、西植田村が合併、木田郡山田町が発足。
1956年、香川郡香西町、仏生山町、一宮村、円座村、上笠居村、川岡村、下笠居村、弦打村、多肥村、檀紙村、雌雄島村、木田郡川添村 、林村、前田村、三谷村を高松市に編入。
1966年、木田郡山田町が高松市に編入。

2005年、香川郡塩江町が高松市に編入。

2006年、香川郡香川町、香南町、木田郡庵治町、牟礼町、綾歌郡国分寺町を編入。現在に至っています。

マンホールには、屋島を背景に「扇の的を射んと馬上で弓をつがえる那須与一」がデザインされています。右下「おすい」の表記。(名古屋市下水道科学館:展示蓋)

右下に「げすい」の表記

大会キャラクター「はまうみくん」がデザインされた、「第24回全国豊かな海づくり大会」の マンホール。

香川県立高松工芸高校デザイン科の生徒の作品を採用したシールタイプマンホール。「高松城模擬天守」と、「うどんを食べる那須与一」がデザインされています。マンホールのQRコードを読み取ることによって、マンホール周辺の飲食店情報や、高松市の観光情報等を得ることが出来ます。以下5点は義姉からの提供😄

「栗林公園」と朱塗りの「偃月橋」がデザインされています。

巨大なうどんを前に嬉しそうな「奉公さん」、背景に屋島がデザインされています。

「うどん丼」に架けられた「栗林公園の偃月橋」。丼の中には「市の木:黒松」がデザインされています。

「高松城模擬天守」と、「市の木:黒松」がデザインされています。

明治27年(1894)4月27日 制定の市章は「中央に「高」の字を配し、これを松葉4本で菱形に囲ったものです。「高」の字体は、旧藩時代に御用船ののぼりに用いられていたもので、外郭の松葉は、「松市」に通わせたものです。色を変えない松の緑に市の悠久繁栄を祈念して定められました。」公式HPより

高松市消防局の耐震猛火水槽で、消火活動中の3人の消防士と、周りに火の手がデザインされています。

中央の紋章は、高松市型と分かるように漢字の高の周りを松で囲うデザインを施し採用したと思われるとの事です(高松市上下水道局 企業総務課より) 

消火栓・仕切弁の上部には、「高松市上水道紋章」。

高松常磐町商店街マスコットボーイ『常盤玉吉』。通称「ときたま君」。総延長日本一の商店街のショーウィンドウから街の平和を見守っています!

高松市さぬきうどん協同組合のゆるキャラ『うどん脳』。饂飩が大好きで、饂飩ばかり食べてたら・・・ある朝、目覚めると「うどん脳」になってたツル!😲

撮影日:2011年6月17日&2017年8月10日

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2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「高松市」のマンホールカードは、「瓦町FLAG 8F 市民サービスセンター」でいただけます。

1987年に設置開始されたマンホールには「屋島」と扇の的を射んと弓をつがえる「那須与一」がデザインされています。

「平家物語から「扇の的」の一場面を切り取ったデザイン蓋です。平安時代末期、約6年間にわたって続いた源氏と平氏の内乱「治承・寿永の乱」。 その合戦の一つである「屋島の戦い」において、源氏側の武士・那須与一は、平氏側の船上に掲げられた扇の的を見事に射抜いたと伝えられています。 このデザインは、戦いの場であり、また昭和9年に国立公園として初めて指定された瀬戸内海国立公園に含まれる「屋島」を背景に、風、波、はためく扇、 今まさに弓を射ようとする与一を描いたもの。当時の緊迫感あふれる状況と弓矢の躍動感を巧みに表現したデザインです。」

訪問日:2017年8月10日


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