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奈良ものろーぐ(17)三輪そうめん/伝統ある地域ブランド食

2017年09月20日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
奈良日日新聞に毎月1回(第4金曜日)連載している「奈良ものろーぐ」、8月25日(金)に掲載されたのは「三輪そうめん/伝統ある地域ブランド食」だった。
※トップ写真は、「和食屋八寶(はっぽう)」(奈良市 東向商店街)の冷やしそうめん

遠方からのお客さんに「日本のそうめんの発祥は、三輪です」とお話しすると、驚かれる。そして次に聞かれるのが「揖保乃糸ではないのですか?」。確かに、手延べそうめんの全国シェア45%とトップの座に君臨するのは揖保乃糸だが、そうめんの発祥は三輪だ。その証拠に、兵庫県たつの市周辺には「三輪」姓の人が多く住み、またたつの市には大神(おおみわ)神社(桜井市三輪)から勧請した三輪神社(通称 素麺神社)も祀られる…。前置きはこのくらいにして、記事全文を紹介する。

今日(8月25日)は、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売された日なので「即席ラーメンの日」だそうだが、まだまだ暑いので涼しげな三輪そうめんの話を。
    
日本の麺類の起源は奈良~平安時代に食べられていた「索餅」(さくべい)だとされる。日本名は「麦縄」。奈良時代に中国から渡来したようだ。「縄」にたとえられることからすれば、結構太かったのだろう。

索餅は、小麦粉と米粉を混ぜ、塩を加えた湯で練って蒸したもの。これを紐状にすれば麺になり、短くして縒(よ)ると菓子になる。いわば日本での「粉もん」のルーツである。

長屋王邸跡から出土した木簡に「…山寺麦縄」とあり、寺から麦縄が届けられたという記録が残る。のちに伝わったそうめんがこの麦縄(索餅)に取って代わっていく。

三輪山本の『手延べそうめん年表』によると、平安京遷都の頃、「大神(おおみわ)神社の大神主・穀主(たねぬし)が大和地方の飢饉のさい、保存食として小麦をひいて棒状に練り乾燥させたそうめん状のものをつくったという(大神神社伝承)」。

江戸時代になると「三輪素麺はお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました」(奈良県三輪素麺工業協同組合のサイト)。

現在、兵庫県の「揖保乃糸」は手延べそうめんの全国シェアでトップ(約45%)を占めるが、同地には「三輪」姓の人が多く住み、また大神神社(通称:素麺神社)がまつられることから、三輪から職人が移り、製法が伝えられたと考えられる。

平安時代から、7月7日の七夕の日には索餅を食べる習慣があった。七夕は小麦の収穫の祝いであったことから新小麦で索餅を作り、神に供えてそれを食べることで、無病息災・五穀豊穣を祈ったのだ。のち索餅に代えてそうめんが供えられるようになった。このようないわれから、全国乾麺協同組合連合会は7月7日を「七夕・そうめんの日」と定め、そうめんの普及に努めている。

今年の七夕には「桜井市三輪素麺の普及の促進に関する条例」が施行された。通称名は「そうめん条例」。三輪そうめんは「桜井市地域ブランドに認定され、更に、他とは違い手延べによる細く白い優れた品質を保持し、国が地域特有のブランドとして保護する『地理的表示保護制度』の登録も受けた」「三輪素麺を食する習慣を広め、伝統文化への理解の促進及び本市の地域経済の活性化を図るため、この条例を制定する」(同条例)。

早速この日には、市内の保育所で給食にそうめんが出されたり、商業施設ではそうめんのプレゼントなどの催しが行われた。三輪素麺工業協組は9月1日から12月25日までの期間中、そうめんを使った斬新なイベント案を募集している。詳しくは同組合(℡ 0744-42-6068)へ。

三輪そうめんは細くてコシのあるのが特徴だ。奈良県が誇る地域ブランド食、皆さん、もっと三輪そうめんを食べましょう!


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