
発売されたばかりの「歴史街道」(07年1月号 PHP研究所刊)を買ってきた。
目あての記事は「特集 これならわかる! 関裕二先生の古代史100問100答」だ。来年1月に受験する「奈良検定」対策というわけではない。最近は古代史研究がどんどん進んでいるので、自分の知識をアップデートしておかないと、(特に他県から来られた方に)間違ったことを言うリスクがあるからだ。
最も興味のあったのが「聖徳太子」のこと。先日(11/26)訪れた平等寺(びょうどうじ 桜井市三輪)も、太子により「大三輪寺」として創建された、とされている。
※写真は、同寺境内にある聖徳太子像。目がちょっと怪しい。
以前、谷沢永一著『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 04年4月刊)を読んだことがある。同書によると、太子実在の証とされる「現物」(銘文)と「文章」(経典の注釈書)の各3点セットは、いずれも太子とは無関係なのだそうだ。
法隆寺の釈迦三尊像・薬師像、中宮寺の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)それぞれの銘文は後世の叙述であり太子とは無関係、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の3つ(=「勝鬘経義疏」「法華義疏」「維摩経義疏」)は敦煌などの発掘調査で、中国で書かれたものだと判明したという。
谷沢氏は《聖徳太子は蜃気楼である。聖徳太子は、古代日本における憧れの心情に基づく理想の人間像を、文字のうえに結晶させたところの、誠に発する虚構である》とする。
「歴史街道」の特集記事に、関裕二氏(歴史作家)は以下のように書いている。
《Q64 聖徳太子の本名は何ですか? 実は、わかりません。『日本書記』が厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳(とよとみみ)など、あまりにも多くの名を掲げているからです。ちなみに聖徳太子という名は後世つけられたものです》
《Q65 聖徳太子は実在しなかったという説もありますが? 「聖者」としての聖徳太子は『日本書紀』の文飾であり、架空とする説が一般的です。つまり聖者ではなく、凡人の厩戸皇子なら実在しただろうというのです。『日本書紀』が蘇我氏の悪逆ぶりを引き立たせるために、聖徳太子を聖者に仕立てたと考えれば、十分ありうる話で、今後の論争が楽しみです》
そういえば娘(中学生)の歴史教科書には、最初の1か所だけ《厩戸皇子(聖徳太子)》とあり、あとはすべて《厩戸皇子》と書かれていた(日本書籍新社版)。
この「歴史街道」の特集には、上記のほか《天皇家は、どこからやってきたのですか》《蘇我氏はなぜ天皇家に背いたのですか》《長屋王はなぜ祟るといわれたのですか》など、私のような古代史ビギナーの疑問にわかりやすく答えてくれている。
知識のアップデートにも、もちろん「奈良検定」対策としてもお勧めだ。
目あての記事は「特集 これならわかる! 関裕二先生の古代史100問100答」だ。来年1月に受験する「奈良検定」対策というわけではない。最近は古代史研究がどんどん進んでいるので、自分の知識をアップデートしておかないと、(特に他県から来られた方に)間違ったことを言うリスクがあるからだ。
最も興味のあったのが「聖徳太子」のこと。先日(11/26)訪れた平等寺(びょうどうじ 桜井市三輪)も、太子により「大三輪寺」として創建された、とされている。
※写真は、同寺境内にある聖徳太子像。目がちょっと怪しい。
以前、谷沢永一著『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 04年4月刊)を読んだことがある。同書によると、太子実在の証とされる「現物」(銘文)と「文章」(経典の注釈書)の各3点セットは、いずれも太子とは無関係なのだそうだ。
法隆寺の釈迦三尊像・薬師像、中宮寺の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)それぞれの銘文は後世の叙述であり太子とは無関係、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の3つ(=「勝鬘経義疏」「法華義疏」「維摩経義疏」)は敦煌などの発掘調査で、中国で書かれたものだと判明したという。
谷沢氏は《聖徳太子は蜃気楼である。聖徳太子は、古代日本における憧れの心情に基づく理想の人間像を、文字のうえに結晶させたところの、誠に発する虚構である》とする。
「歴史街道」の特集記事に、関裕二氏(歴史作家)は以下のように書いている。
《Q64 聖徳太子の本名は何ですか? 実は、わかりません。『日本書記』が厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳(とよとみみ)など、あまりにも多くの名を掲げているからです。ちなみに聖徳太子という名は後世つけられたものです》
《Q65 聖徳太子は実在しなかったという説もありますが? 「聖者」としての聖徳太子は『日本書紀』の文飾であり、架空とする説が一般的です。つまり聖者ではなく、凡人の厩戸皇子なら実在しただろうというのです。『日本書紀』が蘇我氏の悪逆ぶりを引き立たせるために、聖徳太子を聖者に仕立てたと考えれば、十分ありうる話で、今後の論争が楽しみです》
そういえば娘(中学生)の歴史教科書には、最初の1か所だけ《厩戸皇子(聖徳太子)》とあり、あとはすべて《厩戸皇子》と書かれていた(日本書籍新社版)。
この「歴史街道」の特集には、上記のほか《天皇家は、どこからやってきたのですか》《蘇我氏はなぜ天皇家に背いたのですか》《長屋王はなぜ祟るといわれたのですか》など、私のような古代史ビギナーの疑問にわかりやすく答えてくれている。
知識のアップデートにも、もちろん「奈良検定」対策としてもお勧めだ。
いろいろ謎が多くて、奈良検定だけでなく、法隆寺検定や斑鳩検定もできそうですね。
最近、冬の奈良の広告(JR東海?)の露出がばんばん出てきて、法隆寺には久しくお参りしてないなあと思った次第です。
紙幣から聖徳太子が消えてバブル崩壊でしたっけ?
早速JR東海のサイトでCMを見ました。
知らないうちに、法隆寺篇になっていました。
こういう形で奈良を広く紹介していただけるのは、
とても有り難いことです。
♯京都の人に「奈良を訪れる観光客には立派な
カメラと三脚を持った人が多いですね」と言われ
ました。そう言われれば…。なぜでしょうかね。
> 紙幣から聖徳太子が消えてバブル崩壊でしたっけ?
調べますと、昭和59年11月に諭吉に変わっていました。
http://www.boj.or.jp/type/list/yuko/data/now.htm
三一書房から出版された氏の古代史シリーズは、継体天皇以降の古代史を天武天皇までを独自の史観で解明したものです。
その独自さ故に学界は奇説として黙殺していますが、通説とは異なった分析が多く、アカデミーとしてもきちんとした反論を行うべきだと思います。
石渡氏の見解は、聖徳太子は蘇我馬子の分身で、天武帝の時に日本書紀が編纂されましたが、蘇我馬子(じつは用明天皇)の事績を無視できず、聖徳太子を創出してその事績として記録したというものです。
参照: 「蘇我馬子は天皇だった」 石渡信一郎
1991年6月15日第1版 三一書房
早速この本を検索しましたが、品切れ中のようですね。
本の紹介として
《聖徳太子は実在しなかった。太子は蘇我馬子の分身であり、架空の人物であった。大化の改新(645年のクーデタ)で王権を奪取した継体王家は『日本書紀』によって、蘇我氏が天皇家であったことを隠蔽した。本書は、蘇我氏の驚くべき出自を明らかにする》とありました。
hashimoto_hさん、ご教示有り難うございました。
《聖徳太子がいなかったことは、とっくに学界の常識となっている。いまさら素人の私などが出る幕ではないのである》
とカゲキなことが書いてありました。
私見では、これからは「厩戸皇子(聖徳太子)」という表記が主流になると思います。
ぜひこの出版社について調べてみることをおすすめします。胡散臭すぎてもう何も言えませんw
もっと深い議論をしてほしいものです。