てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

小さな画廊の新たな船出

2008年04月17日 | 雑想

ギャラリーヒルゲート

 今さらいうのも何だが、最近の展覧会はけっこう高い。

 ぼくにはタダ券をもらえるようなコネもなく、たいていの場合は実費で出かけることになる。ときには割引券を買うこともあるが、コンビニで発券されるようなやつはどうも無愛想で好かない。きちっとオリジナルの図柄の入った前売券を手に入れることができる店は、画材屋とか駅のサービスセンターとか、いずれにせよそんなに多くない。

 かつて混雑必至といわれた某展覧会に行く前に、チケット売場で行列することを警戒して、ローソンの「ロッピー」という端末で券を買おうと試みたことがあった。しかししばらく待たされた挙げ句、応答がないとかでもう一度やり直してくださいといわれる。それがあまりに何回もつづくのでついにあきらめたのだったが、何よりも閉口したのは待っている間の画面に「中川翔子コンサート」の案内がでかでかと表示されたことだ。これではまるで、“しょこたん”のコンサートのチケットを買おうと悪戦苦闘しているかに見えるではないか? ぼくは意味もなく赤面しながら、機械が応答するのを今か今かと待っていたものである。

 週末ごとにいくつも展覧会に出かけていると、見る見るうちにお金がなくなってしまう。入場料より高い図録に手を出すと、てきめんに家計を圧迫する。それでも、やはり買ってしまうのである。これはほとんど病気のようなもので、なかなかやめられるものではない。

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 給料日前ともなると、かなり逼迫してくる。それでも、どうしても絵が観たい。そんなときは、画廊に出かけることにしている。他の都府県はどうか知らないが、京都にはやっぱり画廊が多い。

 だが実をいうと、画廊の雰囲気がぼくはちょっと苦手なのだ。何といっても、作者がそこにいるのがいちばん困る。知り合いの人なら、いやあ今回もよくできたお作品で、などと無難なあいさつをしておけばいいのだろうが、ぼくには画家の知り合いはひとりもいない。もし作者に感想を求められたとしても、下手にお愛想をいうのもしらじらしいし、いきなり辛辣な批評を浴びせるのも失礼だし、ある女優みたいに「別に」といってすませるわけにもいかないし、なかなか答えに窮することだろうと思う。

 だが実際のところ、作者のほうから話しかけられることはほとんどない。向こうは向こうで、こわいもの知らずの自信家でもないかぎり、他人に作品を観られるのはちょっと恥ずかしいのではないか。アトリエにこもってたったひとりで仕上げた作品を、第三者の眼の前に晒すのは、本当はかなり不安なのではないか。ぼくにはそんなふうに想像されるのである。

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 京都には有名な画廊がいくつかあるが、寺町通にある「ギャラリーヒルゲート」はアクセスが便利で行きやすく、よく立ち寄る。

 ここは作家の水上勉のすすめでオープンしたということで、最初の展覧会は水上の書画と骨壺の展覧会だったということだ。オーナーの人見さんという女性は、当時は枚方市の職員だったそうで、いわばまったくの素人がはじめた画廊であった(ちなみに、水上の肝いりではじまった画廊はここだけではない。彼はけっこう美術に熱心だったようだ)。

 そんな小さな画廊も今年で20周年を迎え、建物もリニューアルされたということを聞いて、先日ふらりと足をのばした。そこでは何と、115人もの作家の小品からなる記念展が開かれていた。有名なところでは安野光雅の水彩画や、『原爆の図』の丸木夫妻、“おときさん”こと加藤登紀子、小説家でもある司修、細密な鉛筆画で知られる木下晋などなど、実に多彩な顔ぶれである。これが、20年の間に築き上げてきた人脈ということなのであろう。驚いたことには、中村獅童から花が贈られていたりもした。

 水上勉の作品も、もちろんあった。かつて「水上勉が遺したもの」という記事にも書いたことがあるが、彼は手ずから竹で紙を漉いて、そこに絵を描いたのである。

 また、彼が作った骨壺のレプリカもあった。この画廊の最初の展覧会では、こういったものが並べられたのだろう。蓋の上に花が咲いていたり、小さな亀がのっていたりする、洒落た骨壺。20周年を亡き水上に報告するためのように、それは部屋のすみにひっそりと置かれていた。

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 歓談スペースは壁で仕切られ、画廊の内部はずいぶんすっきりとしていた。何よりも特筆すべきは、2階に新しくカフェギャラリーがオープンしたことだ。天井の梁がむき出しになったロッジふうの2階にはテーブルがいくつか置かれ、かなり本格的な喫茶室といった雰囲気だった。この日はコーヒーを飲む時間はなかったけれど、寺町通の雑踏を見下ろしながらひと息つくのもよさそうだ。

 その寺町通に面して、「HILLGATE」と書かれた立派な看板が設置されていた。まるでシアトル系のコーヒーショップのような、都会的で洗練されたデザインである。最初はちょっと違和感があったが、そのうちだんだん慣れてくるだろう。

 しかし入口のドアのところには、水上勉が「ぎゃらりい ひるげえと」とひらがなで書いた看板も健在である。往年の大作家の息のかかった画廊として、そして美術を通して結ばれた人脈が一堂に会する場所として、生まれ変わったヒルゲートの門出を心から祝したいと思った。


水上勉の筆になる看板

(了)


DATA:
 「開廊20周年 リニューアルオープン記念 小品展」
 2008年4月5日~4月20日
 ギャラリーヒルゲート

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