てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

難しいシャガール(4)

2012年11月13日 | 美術随想

マルク・シャガール『街の上で』(1914-18年、トレチャコフ美術館蔵)

 初期を代表する作品のひとつである『街の上で』は、これも以前に観たことがあった。空飛ぶ恋人たちと、眼下に広がるヴィテブスクの街並みは、シャガールにはお馴染みのテーマである。彼が「愛の画家」と呼びならわされる原点は、ここにあるといっていい。浮かんでいるのはシャガール本人と、最愛の女性であるベラに間違いはない。

 ところが、この絵の制作年代である1914年から18年は、世界的な視野に立ってみれば、第一次大戦が勃発してから集結するまでの期間と同じである。これは奇妙な偶然かもしれないが、シャガールの恋愛と結婚は、戦争とパラレルな関係にあったといえなくもないのだ。

 彼はすでに故国を出て、芸術の中心地であったパリやベルリンで活動していた。しかしたまたまロシアに一時帰国していたときに戦争が勃発したため、戻ることができなくなる。それを機会に、故郷にいた許嫁のベラと結婚式を挙げ、“天にも昇る心地”とでもいうような幸福な日々がはじまった、ということのようだ。

 このとき、シャガールはまだ20代の後半だった。後年の彼の絵は、恋人たちの周りを楽士や曲芸師や動物たちが取り巻いていて相当賑やかなのだが、ここでは上空にシャガールとベラのふたりだけしかいない。何ともすっきりした画面は、“難しくない”シャガールの典型のようにも思われる。

                    ***

 横2メートル近いこの大作は、今回のポスターにも使われていたとあって、多くの観客の注目を集めていた。皆、一様に感嘆の声を上げて、仲睦まじい恋人どうしの姿を眺める。若い人は、ちょうど自分と同い年ぐらいの異国の恋人たちを祝福するように、残念ながらもう若いとはいえない人は、過ぎ去った昔を懐かしく思い起こすように・・・。

 そのうち、ふと気がついて、誰もが画面の左下に顔を近づける。そこには、小さく何かが描かれているからだ。いったい何かしら? という好奇心に満ちたその人の表情は、次の瞬間、私は何も見なかった、というようなよそよそしい顔つきに変わる。ぼくは ― 少々意地悪なことかもしれないが ― この絵の横にしばらく立っていて、そういう人たちをそっと観察し、心の内で笑いをこらえていた。

 それというのも、この絵の左下には、男が尻をむき出しにしてしゃがんでいるところが描き込まれているからだ(実は前回取り上げた『音楽』のなかにも、上のほうに同じような人物がいる)。シャガールがなぜ、ふたりの愛を謳歌する美しい絵のなかに尾籠な人物を描き入れたのか、そんなことは誰にもわからないかもしれない。

 だが、ひょっとしたらこの時代のヴィテブスクには、こういう人が実際にいたのではなかろうか? とも思ってみたが、そうでもないようだ。なぜなら、当時のヴィテブスクはぼくたちが想像しているよりもずっと栄えていて、人口は6万人を数え、鉄道も走っているという先端的な都市であったからである。

 シャガールが文字どおり『街の上で』というタイトルをつけているにもかかわらず、ぼくたちが何となく“ヴィテブスクは農村”と思い込んでしまっているのは、シャガールの幻想が生み出したフィクションというべきなのだ。シャガール自身は、ここに描かれている自画像でもわかるとおり、きわめて都会的で洗練された趣味の持ち主であった。妻となるベラも、まるでパーティーに出かける淑女とでもいったかっこうで描かれているが、おそらくはこのとおりのオシャレな女性だったのであろう。

 戦争と恋愛という相反するものが、シャガールにとってはパラレルなものだったように、都会と田舎を対立させず、同じ絵画世界に同居させるのが次第に彼の方法論になっていく。パリのエッフェル塔の見える風景のなかで抱き合う若い男女を、牛や鶏たちが祝福するのは、そのもっともわかりやすい例である。だとすれば、愛を囁き合う夫婦の眼下で排泄をする男が描かれていても、さほど不思議ではないかもしれない。

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