てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

絵筆が拓いたリアリズム ― 高橋由一小伝 ― (3)

2012年10月29日 | 美術随想

高橋由一『花魁』(1872年、東京藝術大学蔵)

 高橋由一のもうひとつの重要文化財、『花魁(おいらん)』。この絵は、以前一度観たことがある。今回と同じ京都国立近代美術館で、5年前に開催された「揺れる近代 日本画と洋画のはざまに」という展覧会でのことだ。

 ぼくはそのとき、出品作に『花魁』が含まれているということをまったく知らず、どこかで見覚えがある人と偶然に道端で邂逅するような感じで、あの絵と出会ったのだった。目録を調べてみると、その展覧会にはほかにも狩野芳崖の『悲母観音』、黒田清輝の『湖畔』、萬鉄五郎の『もたれて立つ人』などそうそうたる名作が並んでいて、とりわけ『花魁』ばかりが目立つという構成でもなかったようだ。それでも、近代日本洋画史上はじめて描かれたといっていい“美人画”の異様さに、ぼくはショックを受けざるを得なかった。

 そもそも花魁という存在自体が、映画やドラマのなかでときどき出くわすぐらいのもので、あまり実感がわかないものだ。いや、ぼくぐらいの年齢で花魁をじゅうぶん知り尽くしているという人がいたら、そのほうがおかしいだろう。いわば幻想のベールをかぶったような状態のまま、花魁はぼくのなかでずっと謎めいたイメージを守りつづけていた。

 それが何の前触れもなく、「これが花魁の正体だ」とでもいわんばかりに露骨に眼の前に突き出された由一の絵は、胸の内であたためてきた幻想を一瞬にして打ち砕いてしまった。率直にいって、この絵は化粧を施した妙齢の女性というよりも、命を失ったお面か、人形のように見えた。いや、花魁に限らず、芸者や舞妓の化粧というのは地肌をほとんど見せないようにしてしまうので、もともとそんなに生命力にあふれているものとはいえない。作りものめいて見えてしまうのは、多少は仕方のないことであろう。

 だが、この『花魁』は度が過ぎていた。彼女は息をしているようには見えなかった。もしこれが由一の目指すリアリズムの真の姿だとすると、それはあまりにもむごいことのように思われた。モデルとなった花魁は、できあがった自分の肖像画を観て「私はこんな顔ではない」と泣いて怒ったという。

                    ***

 このころ、高橋由一はすでに洋画家として世人の認めるところであったようだ。まだ明治5年のことであるから、彼の上達ぶりは眼を見張るべきものだったのかもしれない。いや、他にはこれといっためぼしい洋画家もいないはずの明治初期に、由一は珍奇な技法を駆使する異色の画家として人々の心に刻まれていたのかもしれない。

 彼の目指した油絵というのは、対象を様式化して、あるいは美化して描くのではなくて、あくまで迫真的な描写ができるということが特長であった。そこで、徐々に失われつつある花魁の髪型など、当時の新吉原の風俗がすっかり様変わりしてしまう前にその姿をとどめておこうと、由一の写実技法を使って絵画に仕上げる話が持ち上がったのだ。決して、由一自身が花魁を描きたいと希望したわけではなかったらしい。

 そのせいか、由一が花魁を見る視線は、きわめてクールで、容赦のないものとなった。そもそも絵画の勉強は精神修養につながるなどと主張してきたカタブツの由一のことだから、色街に出入りしたことなど一度もなかったはずである。そんな彼が生きた花魁をすぐ眼の前にして、その色香に酔わされるよりも先に、選ばれた画家としての本領を発揮しようと懸命になったのは無理もない話だろう。

 結果として、このプロジェクトは成功したか、失敗したか。私情を排した冷徹なまでの描写は、たしかに当時の花魁の髪型や衣装を忠実に伝えているように思われる。だからこそ、資料的価値の高さということも手伝って、この絵は重要文化財に指定されているのかもしれない。

 だが、その陰で涙を流した女がひとりいたということも、これまた永遠に語り継がれるエピソードであろう。写実に長けた油絵は事物の外見を記録することには向いているかもしれないが、だからこそ描くべきでないところまでも描いてしまったのである。女優の目尻の皺まで克明に映し出す現代の高画質テレビと、どこか似ている気がするのはぼくだけではあるまい。

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