藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

たかが100円、されど100円。

2019-06-25 14:45:31 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和27,8年頃の100円と言えば、キャラメル一箱である。 当時広島で人気が有ったのは、「カバヤキャラメル」であった。 以前このブログで、「カバヤ」の事を書いたので、あまり詳しくはかかないが、100円手に入ったら「カバヤのキャラメル」を買っていた。 オマケガ付いていたからだ。 オマケと言っても、グリコのキャラメルのおまけと違い、此方は「ディズニー」のキャラクターが印刷されたカードが入っていた。 このカードには点数が有って、その点数をためると「カバヤ文庫」の本がもらえた。 中には一枚で交換できるカードもあった。 記憶は定かでないが、バンビが大人になった勇士の姿がそうであった気がする。 一人で集めるとなかなか貯まらないが、五人ほど集まってみんなで貯めると案外早く貯まった事だけは確かだ。 一年に一回、カバの形をした車がやってきて、そのお腹を開けると大量な本が積まれていて交換してくれた。 急ぐときは郵便で送れば送ってくれたが、一年間みんなで話し合って、次はどんな本を貰うか決めていた。 大体五、六冊は交換したように記憶している。「トムソウヤの冒険」や「耳なし芳一」・・・・30冊近く貯まっていたように記憶している。 六年生が管理して、中学生になると後輩が譲り受けていた。 そこで、蹄鉄屋の馬に世話が役立ったのだ。 その加治屋さんから西に旧山陽道を一里ほど行くと、いま一軒の餅屋さんが有った。 「大石の力餅」と呼ばれた餅屋さんだった。 広島と言えば「浅野藩」 「浅野藩」と言えば、あの討ち入り事件だ。 「広島浅野藩」の分家が「播州浅野藩」だった関係で、討ち入り後、大石内蔵助の二男が広島浅野藩に召し抱えられた。 その末裔が、明治維新の時、旧山陽道の「草津」と言うところに餅屋を開いた。 大石 力にちなんで「力餅」と名付けられて、平成の初めまで続いていたが、餅の時代ではなくなり、閉店したのは残念だった。

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