藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

私の守り本尊 3

2019-06-20 07:36:51 | 日記・エッセイ・コラム

 本日もしつこく「不動明王」について書くつもりだ。 と開き直って見せても、宗教者では無い素人の戯言である。 しかし、「不動明王」 が好きなのは本心からである。 今嵌まっているのは、福山市草戸町の明王院のお不動さんだ。 草戸と言えば、中世芦田川の河口で栄えた町で、福山のそもそもの母体である。 当時、草戸千軒と言われていた。 それだけ栄えていた町である。 何故栄えたのか、・・・すぐ隣が鞆の浦で、海上交通の重要拠点だった。 船の最大の欠点は、当時木造船であり、船虫に食い荒らされる欠点が有った。 その船虫の欠点が「真水」で、鞆の浦に長期間滞在する船は、この芦田川の真水に浸けて、船虫を殺し、船底を火であぶり修復したそうである。 嘗ての「草戸千軒町」は、今は芦田川の底に沈んでいるが、数十年前発掘作業がされて、「明王院」の門前町の栄えた様子が知れ渡った。 その、「明王院」の「不動明王」がこれだ。

髪の毛のもじゃもじゃ、短足胴長、小太り、不細工、何処から見ても「お前」を思い出す、とまで人から言われた事が有った。 すぐ眼の前まで行ったが、ご対面する気が起こらなかった。 今ならゆっくり兄弟分の顔を拝んでくるのだが・・・・。 近々行ってきます。

 そうそう、不動明王様の目、左目は下向き右目は上向きと物の本には書いてあるが、そうでないお不動様もいたので不思議だったが、気が付けばその理由がわかった。地上に立ったお不動様は、地上、地下隈なく見つめているが、地下洞窟においでの時は、地上だけを見ておいでである。 よって、上目使いなのだ。 …ただしこれは、私の推論である。

Win10は、つかれます。 慣れるのに、相当時間がいるような気がする。 兎に角「回りくどい」の一言だ。

コメント
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