藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  世の中恐ろしい

2013-02-02 06:44:23 | 社会・経済

世の中は、つくづく恐ろしいものだと感じている。

先日、椴法華の「かわぐち えいこう」氏のブログに、コメントを送った。どうも「かわぐち えいこう」氏は、美輪明宏さんより、予知能力がお有りなようである。

コメントの返事で忠告をいただいた。生まれ変わっても、今の妻と必ず結婚せよとのお達しである。重ねて、「さゆり様」と結婚しようなどと夢々考えるなとの忠告である。

どうも私の本心が、北海道の椴法華まで筒抜けのようである。嘗て私は、「さゆり様」との結婚は不可能と自覚した時、妥協の末に今の妻との結婚を決心した。妻は、「貴方が不憫だから結婚してあげたのだ」と言っている。

どちらにしても、「さゆり様」との結婚は無理であったことだけは事実である。そこで私は考えた。「さゆり様」との三度目のお目見えはあの世でも良いではないかと。

しかし、ここに大きな問題があることに気付き、悩んでいろいろ考えてみた。

「かの君」は、必ずや天国に逝かれるであろう。方や私には、天国に行ける保証はない。ではどうするか。答えは案外簡単であった。私のお棺の中には、三途の川の渡り賃を入れないように遺言しておけば良い。三途の川が渡れなければ其処で、「さゆり様」を待ち伏せできる。待ち伏せできれば、少なくとも私の気持ちを、伝えることが出来る。

お釈迦様と同じ日に生を受けた私である。お釈迦様は、私の味方をして頂けるのではないだろうかと、少しだけ期待をしていたが、北の地にお住まいの予知能力者に見透かされるようでは、この作戦は再考の必要がありそうである。

「うーむ」・・・・・。

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2 コメント

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こんばんわ お元気でしょうか。 (北国)
2013-02-02 19:44:45
こんばんわ お元気でしょうか。
一生涯一人の方を想い続けることはなんと崇高なことでしょうか。
私なんかすぐ忘れて諦めて気が多くて、なんと罪深い人間なことか。
彼女の幸せをただ願う、彼女に恥ずかしくない生き方をする、遂げられない想いも人間をもっと強くしていくのではないでしょうか。
この世に男と女がいる限り思いもよらないドラマや人生になります。
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天候が回復し、私も元気を取り戻しています。 (深山 霞)
2013-02-03 09:40:57
天候が回復し、私も元気を取り戻しています。
昭和三十七年四月八日、私の誕生日に封切られた「キューポラのある街」のスクリーンで衝撃の出会いをしたのが、同い年の「吉永小百合」さんでした。同い年の少女が、自らの意思で自立していく姿に感動し、その日から「サユリスト」になったのです。
そしてそれから四年後、広島の「本道り商店街」にある楽器店で「愛と死の記録」の撮影現場に出会い、目と目が合ってしまったのです。それから数日後、広島で一番大きな印刷工場で、再び出会ったのです。その印刷工場で、「渡哲也」さんの撮影場面をじっと見つめる「小百合様」。同い年の女性に、憧れを抱いてしまったのです。
その時以来、この病は完治する事はありませんでした。
最近私が知った事実はもっと複雑でした。最初に「小百合様」を見たのは、TV草創期に広島市己斐駅前に作られた、「TV館」なるところであったのです。其処には十台近くのTVが設置され、大人十円、子供五円でTVの放映時間のみ観覧できるようになっていました。そのTV館で見た、「まぼろし探偵」という連続ドラマに出演されていたことを偶然にも古本市場で手に入れた一枚のDVDで知りました。あれは確か、?。私は小学校何年生だったのだろうか?。五円しか払った記憶がないのだが。
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