道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

自然のカタルシス

2010年08月13日 | 随想
朝方の豪雨に見舞われた昨日とうって変わって、今朝はからりと晴れわたった夏空。朝の涼気に誘われ、佐鳴湖まで散歩した。

道に並行する段子川の流れにはまだ濁りが残り、水鳥の姿も少ない。増水で湖に流された小魚が戻ってきていないのだろう。

カワウが一羽、水面すれすれの超低空で川上に向かって翔んでいった。川縁や中州のヨシやガマなどはすべて薙ぎ倒され、増水の猛威を示していた。

河川は、大雨が降れば増水するものだが、それが自然の生態系の安定には大きく寄与してきた。しかしダムなどを造って治水をすると、流域の生物相は貧しくなる。自然更新が行われなくなるからだ。

年に何回かある大増水が、その都度河床を洗い浄め、淡水魚の食餌になる水棲昆虫や藻類の発育条件を改善すると共に、海や湖に溶存酸素量の多い真水と餌料を大量に供給し、魚の食餌行動を活発にさせる。出水によって、沿岸の海底や湖底が攪拌される効果も大きい。魚族が殖えれば、水鳥の繁殖も安定する。

豪雨という自然のカタルシスも、ある特定の地域の自然環境を守る仕組みのひとつなのだろう。増水で済まず洪水になれば、私たちには災厄でしかないが、地震、津波、噴火などを含め、凡ゆる自然のカタルシスというものは、本来人間生活の埒外にある。人智を傾け努力を尽くしても、防災は万全という訳にはいかない。自然と人間生活との均衡は、必ず破れる時が来るものと、我々はいつも覚悟しておかなければいけない。

昨夜はたった一匹ながら虫の音を聴いた。夜風の温気も、立秋前より凌ぎ易くなっている。

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