道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

帽子

2022年02月28日 | 随想
帽子が大好きである。それもハットよりニットのキャップ。なんと云ってもカジュアル。
髪の毛が細く少なくなりだしてからは、万一転倒した時のプロテクターとして、外出時にニット帽を欠かさない。冬は防寒も兼ねて必着である。

僚友が、厚手のコートやジャケットにマフラーを着込みながら、毛髪の薄い(もしくは皆無の)頭を寒気に曝しているのを見ると、危っかしくて見ていられない。転倒とか低体温(とまで行かなくとも免疫力低下)を毫も怖れていないようだ。頭部が効率の高い放熱器であることを忘れている。老婆心ながら警告せずにはおられない。
四肢・内蔵を被服で寒さから護っても、体の内部の熱が脊椎を伝って頭から放散することを軽視している。
人は体幹の中心温度を35°C以下に下げてはいけないといわれている。

ロシアやヨーロッパなど寒帯の人たちは、実に保温機能の高い帽子を冬に着用している。
温帯であっても、真冬の季節風が尋常でない当地(静岡県西部)では、室外での体感温度は気温より10度も下がることがある。帽子は手袋と共に必需品である。

森村誠一の小説【人間の証明】の映画で人口に膾炙された「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね・・・」の台詞は、西条八十の詩「僕の帽子」に由来するとか。秘湯霧積温泉はこの詩で一躍有名になったという。風に飛んだ帽子は麦わら帽子だった。

昭和の夏を想わせるものは、麦わら帽子とアイスキャンデー。キャンデー屋さんも子どもたちも、ランニングシャツと半ズボンに麦わら帽子。コスチュームが一致して親しみがあった。
子どもたちはつば広の麦わら帽子を被らないと、外に出してもらえなかった。日本脳炎になると親に脅されて・・・

私たちは、幼年時代・少年時代・青年時代と、過去に被っていた帽子の数々を、どれだけ置き忘れたり風に飛ばして失って来たことだろう?今手元に古い帽子はひとつも残っていない。
その失った帽子のひとつひとつに、その頃の自分の思いの数々が宿っていたはずだが・・・

いま被っている帽子にも、日常の思いは詰まっている。置き忘れないよう、注意しなければならない。
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