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ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

しゃくしが縁起物の大社がある街を歩く

2024-10-19 01:38:24 | 滋賀県

2024年9月24日(火)

多賀町は、琵琶湖の東部にあり町内には近江鉄道多賀線と名神高速道路が通る。「お多賀さん」と親しまれ、しゃもじが縁起物としてる多賀大社がある。

 

琵琶湖の名物として有名な鮒寿司の店が多賀大社近くにあったが・・・。

多賀大社表参道となる絵馬通り。多賀は名神高速に宿泊施設があるSAがあり、何回かSAに立寄ったことがあるので地名程度は知っていた。今回、初めて街を訪れたが、多賀大社は、「お多賀さん」と親しまれて古事記にのるような由緒ある神社だった。

大きなしゃもじを看板にしている多賀大社の正面にある店。奈良時代、天皇が病になった際、多賀の木で作ったしゃくしで炊いたご飯を食べたら病が回復したことから「お多賀杓子」と呼ばれるようになった。

境内にある太閤橋。秀吉が母である大政所の病気が治るよう祈願し、寄進したお金によって造られたため「太閤橋」と呼ばれるようになった。

しゃくし型の絵馬。なお、お守りもしゃくし型。

絵馬通り。

絵馬通りの終点は、近江鉄道多賀大社前駅。滋賀県発祥の「飛び出しぼうや」と多賀町の「飛び出しゾウや」。多賀で日本古来の象であるアケボノゾウの化石が発見されたとのこと。

絵馬通りから入った筋にいた「飛び出しバアさん」?

 


刃物の街を歩く

2024-10-17 23:33:09 | 岐阜県

2024年9月23日(月)

関は、岐阜県中央部にあり日本のほぼ真ん中に位置する街。良質な土、水、松炭など刀造りに適したことから刀匠が集まり日本刀を造った。その技術を受け継ぎ刃物の街となった。

 

長良川鉄道関駅に停車する列車。やっぱり鮎がメインにデザインされている。街の中のポスターかなんかで知ったが関でも鵜飼が行われ千年以上の歴史があるようだ。

長良川鉄道関駅から数分歩いたところにアーケード商店街があり昭和の頃は賑わっていたことが窺える。

午前11時にもなっていないのに鰻屋に行列ができていた。調べてみたらミシュラン掲載の幕末(1860年頃)創業の老舗うなぎ屋。市内をお歩きさんして午後1時前に行ったら行列はほぼ解消されていて何組か待つだけだったので、奮発してうな丼を食べた。

アーケード商店街を通り抜け、真っすぐ歩く、近隣の美濃市のようにうだつが上がっている家が連続してはいないが、刃物で儲けたのか、結構うだつが上がっている家が多い。

長良川鉄道関駅からふたつ目の関口駅の近くにも、少し前までは賑わったと思われる商店街があり、うだつの上がっている家が多くあった。

長良川鉄道関駅の次のせきてらす駅付近には刃物関連施設が集中。関は、ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドとともに世界三大刃物産地。

刃物関連施設「せきてらす」には、いろいろなタイプの刃物が展示販売されている。

カミソリと精密刃物を展示する世界初の博物館。

長良川鉄道関駅前。さすが刃物の街であり刃物


三日天下人の生誕の街を歩く

2024-10-07 00:23:09 | 岐阜県

2024年9月22日(日)

可児市は、岐阜県中南部にある人口約10万人の名古屋・岐阜のベッドタウン。本能寺の変により天下をとったが数日後には秀吉に倒された明智光秀の生誕地。

 

可児川にかかる「子守大橋」から見た市役所。橋の袂には母親が赤ちゃんを抱いてる像があり通り沿いに子守神社があった。川沿いに桜並木があり、春にはきれいだろうなぁ。市役所付近で東から西に流れていた川が北から南へカーブする。市の西部で木曾川に合流する。

可児川にかかる「子守大橋」を渡ったところが中心部。

中心部のメインストリートを入ったところの昔からの街並み。

JR可児駅と名鉄新可児駅が隣接している。中心部からは、徒歩10分程度はある。駅かまたはその付近で初めて明智光秀生誕の街というPRしてあるポスターか何かを見て、初めて光秀の生誕地と知った。ただ中心部をチンタラと、どんな街かと思い歩いただけだが、光秀に関する像とかポスター、名前を使ったPRしているようなものは見かけなかった。

大分県臼杵の古い街並みに九州最古の醤油蔵があり「カニ醤油」だった。そこの能書きを見て美濃藩主が臼杵へ移封された時に、一緒について来た可児という人がその醤油蔵の初代なのでカニ醤油ということだった。ここも美濃の可児なので醤油醸造が盛んで古い蔵があるかと思っていたが見かけなかった。

「子守大橋」のひとつ下流にある「さつき大橋」からの風景。

「さつき大橋」からの風景。

「子守大橋」方面を展望。「さつき大橋」は高低差があるので街を展望するのにいい。

名鉄電車が「さつき大橋」の端を通る。名鉄電車は赤のイメージがあったが、ベージュっぽい。

名古屋圏なのでやっぱり名古屋の食文化があった。味噌カツ、キシメン、味噌煮込うどん、台湾ラーメン、小倉サンド等のたいてい名古屋メシは食べたが、まだ食べたことがない。


人道の街を歩く

2024-10-03 23:17:34 | 岐阜県

2024年9月22日(日)

八百津町(岐阜県)は、木曾川上流で伐採した木材をそのまま流し、この地で筏に組み名古屋方面に流して栄た街。「命のビザ」杉原千畝の出身地ということから人道の街としてPRしている。

木曽川に架かる八百津橋。これを渡ったところが中心部。

八百津橋を渡って中心部である本町通り。正面に木曽川が見える。なつかしげなパン屋でも食べたかったが、営業してなかった。

本町通りに4件の栗きんとん屋があった。

栗きんとん発祥の店。一時はもっと長い行列ができていた。栗きんとんってどんなものか知らんかったので、他の店で1個購入して食べてみたが、栗の餡という感じで上品な甘さだった。形は違うがピンポン玉程度の大きさで1個220円。

卯建を上げた商家が立ち並んでいる。

外国人を日本に招待する番組で見た大衆食堂。この店が外国人に大衆食堂のことを教えているのを見た。昭和レトロの懐かしい感じの店で入って見たくなり、ここを訪れた。

外国人を日本に招待する番組が放映される以前にもたくさんの有名人が訪れている有名な店のようで、20~30分は並んだ。この店の名物料理はパーコー(豚ロースの天ぷら)を使ったものだが、肉はあまり食べたくなかったので、中華そばを食べた。昔ながらの大衆食堂のあっさりした醤油味で懐かしかった。

本町通りにあるフラグにより「杉原千畝」がこの街の出身ということを知った。彼はナチスから迫害されたユダヤ人が逃れるための日本通過ビザを自らの危険を顧みず、独断で発給し約6000人の命を救った。杉原千畝記念館まで4km近くあるし、実際に彼がビザを発給したリトアニアのカナウスにある日本領事館に行ったので、行かなかった。

本町通りと交差する通りにある酒蔵。


水揚額日本一の水産の街を歩く

2024-10-03 00:03:59 | 静岡県

2024年9月21日(土)

焼津は、東京と名古屋のほぼ中間に位置し、日本一高い富士山を望み、日本一深い駿河湾に面した日本有数の水産都市。水揚げ高は2023年まで8年連続日本一。

 

JR焼津駅の東海道線の電車。

JR焼津駅前の足湯

焼津温泉は1983年に発見された温泉であり知名度は低いが、駅周辺に4~5か所の温泉施設を見かけた。焼津温泉は「温泉総選挙」5年連続全国第1位を獲得した温泉。成分が高濃度で保湿効果が高く湯冷めしにくいとのこと。彼岸前なのに気温30℃以上で汗ダクとなったので、お歩きさん後、入浴した。

JR焼津駅前商店街を流れる川にかかる橋の人魚像。

駅前商店街。焼津発祥である黒はんぺんが入る「静岡おでん」の店があるが、暑いのでスルー。休日なのに、中心部商店街に人が歩いていない。

 

商店街を突き抜けて川沿いを行くと焼津港に出る。

焼津港。

JR焼津駅まで戻り港方面とは反対方面を焼津お魚センターに行くため歩いたら新幹線の線路下を通り、鉄橋を走る新幹線が見える。焼津には新幹線駅がないので猛スピードで駆け抜けていく。新幹線を撮ったつもりだが、橋に遮られて車両の上部しか写ってない。

焼津さかなセンター。焼津港からかなり離れた港とは関係ない内陸部にある。一般人でも買物でき、観光客もたくさんいる。水産物を扱った市場、大食堂のほかたくさん食堂があり活気があった。