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ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

社会主義の面影を払拭した要塞の街を歩く

2015-06-06 01:50:54 | エストニア

2015年5月7日(木)

 タリンは旧ソ連の構成国でエストニアの首都。ヘルシンキまで船で2時間ほどで、北欧の人や北欧観光の人も足を伸ばしてたくさん訪れていた。バルト3国の中で最も観光化が進み、旧ソ連の面影を払拭した街である。

新市街の街並み。

旧市街。

城壁に囲まれ、城壁内の山(丘)に旧市街が発達している。海の方から見ると要塞のようだ。

 

 古くてボロい家であるが、デザイン的になんかいい感じ。

 ロシア正教の教会。エストニア人にとっては、負の象徴だろうなぁ。ロシアの面影を残す建物を見かけたと記憶しているのはこれくらいかな。

ナッツ売りの娘。観光客相手にこのようなナッツ売りの屋台がたくさんあり、やはりみんな民俗衣装を着て売っていた。

旧市街の坂道を登っていくとタリンの市街を見わたすことができる。

 カモメと街並み。

港から見た旧市街の夜景。 

 城内(旧市街)の夜景。


“夏の首都”を春に歩く

2015-06-05 01:55:56 | エストニア

2015年5月6日(水)~5月7日(木)

 パルヌ(エストニア)は“夏の首都”と呼ばれるバルト海沿いのリゾート地であり、ビーチが続きシーズン中は海水浴客で賑わう。また泥風呂でも有名なところ。

タリン門。城門のひとつであり、かつては商人達がタリンから船でやってきて港につき、この門から城内に入ったことから、そう呼ばれるようなった。

パルヌ川。タリンの商人達は、船をこの川沿に停泊し、タリン門から城内に入ったと思われる。

タリン門付近の城外の町並。宿泊したB&Bもこの付近。リゾート地なのでホテルや自炊設備付きの民宿(B&B)のようなところが多かった。

 宿泊したB&Bの部屋から見た風景。雨が降り、寒いくらいの日だったので、海辺のリゾートというより軽井沢のような雰囲気だった。

 ビーチ。かなりの長く砂浜が続いてるがガスっている。雨が降り風が吹き寒い誰もいない砂浜に私一人。拉致するにはチャンス。せんか。

 パルヌのメインストリート。タリン門から城内に入ったところにある旧市街の街並み。今回の旅で見てきた他の街のように中世という雰囲気は感じられない。

 

 木造の古い味わいがある建物と教会。

 日本人になじみのない国の、さらに小さな地方の街で日本発祥の“カラオケ”の看板を見て少しうれしくなった。

 ツーリストインフォーメーション。

 


三国一の街を歩く

2015-06-04 01:14:06 | ラトヴィア

2015年5月5日(火)

 リーガはラトヴィアの首都であり、またバルト3国最大の都市でもある。中世の美しい街並が残る旧市街は、「バルトの真珠」、「バルトのパリ」などと呼ばれ、世界遺産に登録されている。

中央市場(ドーム状の建物)。写真ではひとつしか写ってないがドームが5つもある巨大な市場。

 中央市場の外にも店がある。ラトビアというよりバルト3国では街中でも花屋が多い。

 旧市街

ブレーメンの音楽隊の像。ドイツのブレーメンの司教が要塞を築いたことに始まりブレーメンと姉妹都市になっている。

お洒落な店もいっぱいある。 旧市街で見かけたキャンドル専門店。

ペイントしたレストラン

市庁前の広場のギルド(写真右の2つ)。第2次世界大戦でドイツ軍に破壊されたが、2000年に再現された。暗くなってからもライトアップされるので見に入った。

 教会の尖塔からのリーガの街並。見えるのはストックホルムへのフェリーかな?

 

 展望台から来てみた。やっぱしデカ。

 ヤクザは夕食時、結構人が入っていた。ヤクザ大盛況。この看板お気に入り、私が添乗員ならみんなを案内したい。

 

 


無名の中継地の街を歩く

2015-06-03 00:28:54 | リトアニア

2015年5月4日(月)

 シャウレイはリトアニア北部の人口約13万の地方都市で、街の中は特に観光するところはないが、郊外に「十字架の丘」があり、そこへの中継地となっている。バスの待ち時間に余裕があったので歩いてみた。

幹線道路。乗ってきたバスもこの道を通り、バスターミナルもこの道路沿いにある。

 幹線から道を入ったら住宅が多く、静かな通りとなる。

こんなところに日本人か?寿司屋があると日本人がいるかと思って、習性で中を見てしまうが日本人を確認できず。

 シャウレイの歩行者天国。ホテルもあり中心部と思われるが、寂れたのか。街並みだけを見てたら賑やかだったろうなぁと思える。

 

  

 

 斜めってないピサの斜塔のようなものは何かなぁ。

今回の旅で訪れた都市では、教会を飽きるほど見たが、この街ではこの教会しか見た記憶がない。

 


祈りと悲しみが創り出した丘を歩く

2015-06-02 00:10:56 | リトアニア

2015年5月4日(月)

 リトアニア北部に、無数に十字架が立ち並ぶ丘がある。1831年ロシアに対し蜂起し、処刑された人達のためにたてられたらしい。その後も戦死者の祈りのために、たてられ増えていった。ソ連時代はKGBがブルドーザーで破壊し焼き払ったが、その都度人々はここに十字架を立てた。

十字架の丘の入口のバス停付近。バス運転手が最寄のバス停で降りるよう教えてくれた。

 

バス停がある幹線道路から反れ、農道をトボトボ歩く。北海道十勝平野のようなところ歩いてるという気分になった。

 

 約2km歩いて十字架の丘が見えた。

 十字架の丘。今でも色々なところから来て十字架を立てていく。その数は推計50,000本といわれる。

 

 十字架だけでなく、マリア様の像や肖像画を置いて行く人もいる。

 タンポポ?の花と十字架の丘。