よむよま

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河北新報のいちばん長い日

2012-03-09 21:06:44 | 読む
「河北新報のいちばん長い日」文藝春秋から出ていて、著者が河北新報社になってる。
仙台に本社がある新聞社の震災時期のドキュメント。
この本で知ったのですが、河北という社名は、
「白河以北一山百文」という有名な、
明治維新以来の、東北に対する侮蔑の言葉に対する反骨から付けられたと。

3月11日からの、新聞記者はじめ、販売店、輸送、全員の悪戦苦闘。
しかし、避難所でもどこでも、切実に新聞を求められたという経験談。
電話がまずダメになったし、避難所でテレビ、ラジオがないとなると、
情報が入ってこないものね。
何が起きたのか、いまどうなっているのか、自分の家はどうなったのか、わからない。

県庁で発表される情報は、○○町壊滅、○○地区壊滅、
「壊滅」なんて言葉を日本の日常生活で聞いたことがない、
その状況が想像できないというのも、むしろ現地だからだと思う。
その町を知ってるから。

取材のヘリコプターで飛んだときの話がつらい。
ある学校の屋上で、白い紙(のちにコピー紙だったとわかる)を並べてSOSを書き、
夢中で手を振る人たちを見つけるんだけど、
取材ヘリで飛んでいる記者たちにできることは写真を撮ることだけ。
この写真を新聞に載せることで、自衛隊や警察の救助につながるだろうと考えたが、
のちの取材で、そうはいかなかったことを知る。

いろんな場面で、報道とは何だ?ひとの役に立っているのか?と自問するのね、
記者たちは。
そして、「いまでも答えはわからない。正解が何なのか、わからない」

あれでよかったのか、という問いは、福島支局の記者たちは特に強く持っていて、
放射線量がいくつだから避難するようにと指令が出て、福島から出た、
出るべきだったのか、そこに住んでいる人がいるのに、
ジャーナリストである者が出るのか、と悩む。

全国紙とこうした地元紙との違いもある。
全国紙や在京キー局は熱しやすく冷めやすい、
膨大なスタッフを投入するが、一段落したら切り上げる、
地元紙は被災地に寄り添い続けると、あとがきにある。
「私たちの東北は」と書かれている。
やっぱり当事者の意識ですよね。

今日の歩数計:7,389歩
コメント
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