南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 ロシアから驚愕のニュースが入ってきた!
 何と、首から下の筋肉がうまく動かない難病患者の頭部を切り離し、脳死になった人から体をもらい、それにつなぐ手術を計画しているらしいのだ。

 細胞の死滅を防ぐために、切り離した頭部と体を冷却しながら、36時間にも及ぶ大手術になるらしい。
 冷却費用、100人もの精鋭の医療スタッフの人件費などから算出した費用は1500万ドル(日本円で約18億円)! 2年以内には実施したいらしい。


 正直、ここまでする必要があるとは思わない。
 倫理的にどうのとか以前の問題だ。あり得ない。


 私はこの手術は失敗すると思う。
 血管や筋や筋肉を繋ぐことはできても、脊髄は到底無理ではなかろうか?
 たとえ繋いだとしても、脊髄が機能しないのであれば、少しは動くいまの体よりも悪くなり、呼吸や鼓動すら不可能という完全麻痺の最悪の結果が待っているような…?
 それに、もし仮にうまく繋がったとしても、所詮は他人の体。異物に過ぎない。したがって、拒絶反応が起こることは想像に難くない。
 この場合、“異物”は体なのか、それとも頭部なのか???




 よく、未来の技術として、老人が自分の細胞から自身のコピー(若い肉体)を作り、脳の記憶をコピーして新たな体で生き続け、それを繰り返すことで永遠の命を得るという仮定の話を聞くが、これも難しいだろう。

 例えば、ハードディスク(HDD)と一緒だ。
 調子が悪くなり壊れかけのHDD(a)があったとき、新しいHDD(b)を購入して、データをそっくりコピーするということはよくあるだろう。
 確かにデータは新しいHDD(b)に移り、第三者の私は今までと同じように何不自由なくパソコンを使えるだろう。
 しかし、HDD(a)はパソコンから取り外され、処分される運命にあるのだ。
 データは一緒でも、HDDは別物なのだ。


 老人から若い肉体へ脳の記憶をコピーした瞬間に、その老人は魂の抜けた抜け殻になる訳ではなく、まだ、老人として、一人の人間としてこの世に存在している。
 そして、その横に、同じ記憶を持った若い自分がいて、きっとこのようなことを言うだろう。
 「素晴らしい。やっと若い肉体を手に入れることができた。これで息切れや腰痛や膝痛から解放される。思う存分動けるぞ。また恋愛もしたいな。あ、じゃあ、この古い体は処分してください」
 その言葉を、機械に拘束された老人(古い自分)は抵抗もできないまま聞かされ、そのまま薬物でゆっくりと眠らされるのだろう。二度と目が覚めない眠りに。




 バカなことはやめてさ、自分の命が尽きるまで一生懸命努力して生きるのが、人としての務めだろうと思う。
 人生って限りがあるから、素晴らしいと思うのだが…。

 それに、いつまでも何100年も前の古い考えの人間に生きてもらっちゃ、人類にとっても地球にとっても害だよね。

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■今日の行動
 仕事

■今日の買い物
 なし

■今日の献立
 朝:なし
 昼:お手製弁当
 夕:手巻き寿司

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