メディア遊歩道

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多摩シネマフォーラム 「PFF出身の作家たち」 

2005-11-26 05:22:01 | Weblog
http://www.tamaeiga.jp/modules/tinyd1/rewrite/15th/4-23.html

多摩シネマフォーラム(http://www.tamaeiga.jp/)でいろいろな映画を上映しているが、見てしまったものも多いし、他にも鑑賞の手段のある作品もある。
ここでしか見られない、また、ゲストがくる、というのを当然私は狙うのだが、勤労感謝の日に、私はこの「PFF出身の作家たち」を選んだ。

12:00-13:44 WEEKEND BLUES 
      [104分/監督:内田けんじ、主演:中桐孝]
14:05-15:21 モル 
      [76分/監督・主演:タナダユキ]
15:35-16:43 星ノくん・夢ノくん 
      [68分/監督:荻上直子、主演:山口哲也]
17:00-18:30 ある朝スウプは 
      [90分/監督:高橋泉、主演:並木愛枝]
18:40-19:30 トーク
     ゲスト:高橋泉監督、荻上直子監督、
     天野真弓氏(PFFスカラシッププロデューサー)

PFF(http://www.pia.co.jp/pff/top.html)の入選作を選び、ゲストのトーク付き。

12時に駆けつけ、最後のトークまで見たので、まる一日仕事、とても疲れました。
なぜかって、会場のベルブ永山の椅子は折り畳み式の簡易なもので、映画を何本も見るようには出来ていない。
お尻や首が痛くならないよう、座り方を工夫しながらの鑑賞となった。
また、累積する疲労との戦いもある。

どうしても寝てしまう作品も出てくる

「星ノくん・夢ノくん」
はその作品のだるさについていけず、どうやら名場面らしい、公園にある恐竜の実物大模型の上でオペラを歌って宇宙と交信するシーンをまったく覚えていない。次々と商業作品をリリースして、ノリにのっている荻上直子監督の作品ではあるが、SF者である私はこのリズムについていけない。
宇宙人の地球への修学旅行に地球人の女がからむ一種のロードムービーではあるのだが、宇宙人の学生が平然と地球の自動車を運転するあたりで、もうダメなのである。

「WEEKEND BLUES」
は、ファム・ファタールに翻弄される男たちであるが、男たちよ、狂気に逃避せず、自分に自信を持て、というメッセージは伝わってきた。だが、ハリウッド映画的語りぐちや、ジェットコースター・ドラマにもなれてしまった身では、もっとうまく説明をすれば45分で語れる話だなあ、なんて思ってしまう。でもこれは自主制作の、応募作品ですから。

「モル」
 作品紹介を見て、一番期待した作品。生理のつらさを、生理中に自殺者を幻視すると言うことで表現している。
 愚妻は生理のたびに暴れて、家中を血だらけにし、あの鼻の奥が変にスースーするあのいやな臭いが家に充満してしまうので、生理を正面から描いたこの作品に興味を持った。
 監督・主演のタナダユキは熱演、生理に理解のない彼氏を血だらけになるまで殴る。
 この流血シーン、結構ショックでした。低予算自主制作映画では、暴力表現が比較的安価に撮影できるため、その表現が先鋭化しやすいと思われるが、日頃男に裏切られた思いを晴らすかのような表現。

「ある朝スウプは」
 同棲中の男女だが、男は心を病み、新興宗教にハマる。女は就職先を探しながら、男を「なんとか」しようとする。
 しようとするのだが、どうしても越えられないもどかしさ。一緒に朝のスープを飲む平和なシーン、会話で、その絶望感がさらに増幅表現される。
 この男女の直接対決は何度か描かれているが、問いつめる女、受け流す男、その無力感は便所の窓を挟んだ対決で最高潮になる。(最高潮という言葉を使いにくい映画ではあるが)
 男と女のコミニケーションエラー、その絶望感は我が家でも感じることであり、そのジワジワとくる迫力は、私にはホラー映画以上である。貞子を言葉で説得するのは無理ですよね。
 
 トークの時間、高橋泉監督、荻上直子監督、天野真弓プロデューサーの登場。
 高橋泉監督は、最初の設定では女が病み、男がフォローするのだが、それでは男の一方的な話になってしまうので、役者をあつめてシチュエーションだけで演技さてみた後で、女と男の役を入れ替えることで、一方的な話ではなく、バランスと緊張感を全編に持続させることができた、ということで、なるほど、と思う。
 なぜこの女が(最後まで、男のことを「北川くん」と呼ぶ)この男にこだわるか、ははっきりとはしないが、それは映画全体を見て感じてほしいということなのだろう。
 海外の映画祭で上映され、賞も貰っているが、このように、日本人の生活感を含み、緊張感のある映画を世界は見たがっているのだともいえるでしょう。

 荻上直子監督は、米国留学で毎週1本短編制作、隔週で脚本提出というスパルタ方式で鍛えられ、日本の現場で3回ほど仕事をして、こんなんことしてたら監督になるのは無理、と自主制作を行ってPFFに応募、その後、もう3本も商業作品を撮っている。(1本は待機中)
 
 Q&Aのコーナーで、私はどうしても質問したいことがあった。(以下は記憶で書いているので、要約しすぎのところがあるかもしれないことをお断りしておきます)

 質問:男女関係の変化について。

 「今日みた映画のなかで、「モル」「ある朝スウプは」では女が男を殴るシーンがあり、商業映画でなかなか見られない場面を見られた。
  今日の映画どれも、商業映画とは違い、男と女の立場が、社会状況、就職難とかなんとかをうけて、変化しているようだが、これから商業映画を撮っていくさいでもその姿勢はつらぬいていくのか」

 回答:

 高橋泉監督
  制作者に止められたらやめにすると思います
   →こりゃまたなんと弱腰な。
    ただ、どういう手法でも男女の仲を描けるのだから、一つの表現にはこだわらないという意見表明にも聞こえる。


 荻上直子監督
  わたしにもパートナーはいますが、私の方が立場強くて、蹴ったり殴ったりしています。
   →そりゃ、パートナーさんが可哀想。でも、映画のスパルタ教育受け、商業映画を撮り続けている監督だけに、腕力ありそうというか、冗談ではなくホントにそうでありそうな。

 天野真弓プロデューサー
  応募作品が何百本もあり、見るのは大変だけれども、男と女の関係、現代性は十分反映されていて面白い。男女関係も、若い制作者たちの今を反映していると思う。


 ということで、長く生きている身からは、男女関係の現代的な変化、作品化に関心があるわけだが、制作者にとっては古いことは関係なく、彼らの「今」を表現しているのである、と思われる。

 その「今」が、女に振り回されて自信を失う、または狂う男たち、生理に苦しむ女に説教され殴られる男たち、生活力がなく愛されているのにコミニケーションがとれない男たち、復讐のために人を雇って殴られる男たち、であるのはなんとだか男としてはせつなくなっているのだが、口当たりのいい商業作品ではない「生」の作品を見られて、痛い椅子にとても疲れたがその甲斐はあった。