誰が日本の広告を変えていくのか?【電子新聞がもたらすもの】

2008年03月23日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
電子新聞は、日本における商用インターネット開始のころ1995年前後に大きく話題になり、また多くのメディアで実験をされていたものです。

その昔、ニューメディアなんて言葉があった時代に、Fax革命なんて言って、新聞が各家のFaxを通じて送られるなどという、夢が語られたこともありました。

今、Faxがある家庭は別に珍しくも無いのですが、新聞は相変わらず毎朝律儀に各家のポストに入れられています。それはそれで、ありがたいことです。

新聞の宅配は、早くから新聞業界では大きな課題になっていたらしく、電子新聞も新聞宅配に変わる配信方法として検討されていたことだと記憶しています。

このあたりのことは、naoto_minamoto氏のblog「電子新聞」に簡潔にかつ十分にまとめられています

最近になって、電子ペーパーが技術的な実用領域に近づいてきているようで、新聞で記事を読むようになって来ました。電子ペーパーは電子新聞を実現するのに適した形の一つだと思われます。究極は網膜に直接イメージを送り届けるHMDのようなものでしょうが

一方で、pdfとかeBookといった、既存の技術を使って、パソコンディスプレーや、大型テレビなどに、新聞のようなイメージを表示するという方法も現実的な電子新聞の実現方法だと思います。

表示するツール、いわゆるウィンドウの種類はどうあれ、現代に電子新聞を実現するとすれば、既存の紙による新聞と大きく変わる領域は広告だと思います。

ネットワーク経由で広告を配信することによって、可能になる広告手法はすでに、webサイトメディアでも可能になっている手法です。

年齢、性別、職業を対象にする「デモグラフィックターゲティング」
住居、職場、現在地を対象にする「ジオターゲティング」
メディア内のコンテンツ接触履歴を対象にする「行動ターゲティング」

そして、今開発されている、受けての社会的位置づけを対象にした「ソーシャルターゲティング」であります。

さて、あたらしい広告技法を実装した"電子新聞"が実現されたときに、新聞社の各部署"編集""販売""広告"にどのような変化が生じるのかをお金の流れをベースに考察してみました。

編集局

電子新聞になっても、そこに流れるコンテンツにかかるコストは変わるものではない。そもそも、新聞記事の元になる一次情報そのものには、コストはない(人殺しという情報そのものにはコストがあるわけでなく、それを取材し、文字化し、編集するプロセスに金銭的価値が発生する)。すでにコンピュータ技術によって、文書化、編集作業は過去にくらべて、遥かに効率化されているので、これからの電子新聞化によって、そのコストが変わるわけではない。


販売局

電子新聞化は新聞紙という物を移動させるという物流を変革する、というか無くす。新聞輸送業と販売店にとっては死活問題であるが、新聞社そのものにとっては、コスト減の方向に働く。また、物流は新聞社そのものが持っているわけではないので、コスト減は購読料減(読者)にすべて回しても問題がない。(印刷装置がなくなることで、いくらかの労務問題が起ころうが、はCTS化時に解決ずみ。)


広告局

広告配信の電子化によって、広告主にとって伝えたい人に伝えたい情報を届け、読者にとっても欲しい情報が手に入るという高効率な広告手法が実現できる。効率の良い広告ができることで、無駄なコストの削減が期待される。が、この削減されたコストは、そもそも広告主のものである(広告料は広告主がすべて負担している)。したがって、広告コスト減は広告主へ還元される。


ここでの考察のように、新聞というメディアが電子化することで広告そのもが必然的に変わっていくことが予想されます。はたして、新聞社が新聞紙を完全にすてて、電子的な機器をつかって新聞(のようなもの)を配信していくようになるかどうかはまったくわかりませんが、その一部でも変わることは、日本の広告を変えていく一つの要因になると思います。

同じように、テレビ局が家庭にあるテレビ受像機以外のツール、(代表的なものは携帯電話ですが)に配信先を変えていくことで、日本の広告が大きく変わっていくと考えられます。

雑誌については、すでに変わり始めていますので、日常的に見て行けばわかると思います。

すでに、新聞を読む人が減っている現状において、以上の議論も無意味なのかもしれませんけど・・・


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