人が死ぬということ

2006年08月18日 | 人生はメンタルだよな
こんな文章を紹介します。


人の世のはかないようすをよくよく考えてみますと、この世はまぼろしのような一生です。
(中略)
私が先か、人が先か、今日とも知れず明日とも知れず、人の命の尽きる後先は絶え間のないものです。
(中略)
無常の風に吹かれると、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、元気な顔もたちまち美しいすがたを失ってしまいます。そうなってしまえば、家族が集まって嘆き悲しんでも、どうしようもありません。
そのままにしてはおけないので、野辺のおくりをし、荼毘にふして煙となってしまうと、ただ白骨だけが残るのです。それはもう言葉にいい尽くせない悲しみです。


だから、だれも、「死ぬ」ということ、それは、とりもなおさず「生きる」ということを最も大事なことと心がけなければ、と思うのです。

そして、もう一つ。


老いも若きも関係なく、一日はだれにとっても等しく24時間です。一日生きるということは、だれにとっても等しく、一日「死」に近づくということです。これは、生まれたばかりの赤ちゃんも何十年生きてきた人も変わりません。これから生きる人とか、これから死んでいく人いうように、分けて考えることが出来ようはずがないのです。
 ですから、「死」について考えるのに早すぎる年齢などというものもなければ、将来に希望や夢を持つのに、遅すぎる年齢というのもありません。(大谷光真著:朝には紅顔ありて:角川書店 より)


死んでいった人と一緒に私は生きていくのだな、と強く、深く思う今日です。


どうぞ、どうぞ、お疲れが出ませんように。