大阪砲兵工廠:大川端の桜:歴史のモニュメント

2006年04月12日 | 人生は花が必要。
今年は雨の多い桜の季節ですが、今日は夕方から久しぶりに雨が上がってすこし日が差していました。

大阪城近くのホテルでのパーティーに向かう道すがら、ビルの駐車場入り口から向こう側に大阪砲兵工廠越しに大阪城の天守閣が見えました。


正式には「旧大阪砲兵工廠化学分析場」。大阪に残された数少ないレンガ建造物であり、また、先の大戦を伝えるモニュメントでもあります。

「大阪春秋」という本の平成17年夏号の巻頭写真の説明に下のようなものがあります(筆者一部カッコを修正)


『大阪砲兵工廠化学分析場の建物は、大阪城の北西・京橋口付近にあります。煉瓦造れんがぞう地上2階建で、大正8年(1919)砲兵工廠建築課の置塩章おしおあきらの設計により完成しました。この時代の煉瓦造は、大阪市中央公会堂のように鉄筋コンクリートや鉄骨と組み合わせた混構造(こんこうぞう)が多く、この建築も一種の混構造と考えられます。阪急電鉄神崎川変電所、旧道頓堀変電所など、大正時代の赤煉瓦の建物が次々と姿を消す中、数少ない赤煉瓦建築として、また砲兵工廠の遺構として大変貴重なものです。』

大阪城の立つこの丘は、上町台地の北限にあり、浄土真宗、本願寺第8世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立したころには「石山」と呼ばれていたとのことです。その石山本願寺は織田信長と戦いをし、そののち豊臣秀吉の建てた大阪城は冬の陣・夏の陣と、戦いの場となる。そして、太平洋戦争時にはアジア最大と呼ばれるほどの一大兵器工場となった。

なかなか、きな臭い場所なのですが。今は、大阪城公園を中心に造幣局に続く大川端も、桜並木の名所になっています。

歴史を伝える石垣、歴史を伝える建物。大切にしていきたい風景です。
写真は今日の大川端の桜並木