黄砂

2006年04月08日 | 人生は旅である。
今日は関西地方から、名古屋中部地方にかけて黄砂が大量に降っていました。

黄砂は、主として乾燥地帯(ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など)や黄土地帯で強風により吹き上げられた多量の砂塵が上空の風に運ばれて日本、韓国、中国などで降下する現象をいいます。濃度が濃い場合は、天空が黄褐色となることがあります。一般的には、春季(3月~5月)に多く観測されます。以上気象庁のページから

町全体が薄いベールに包まれて、茫洋とした風景の中に浮かんだように見えていました。太陽がくっきりと丸い形で輝いています。この太陽は三蔵法師がシルクロードで猿達とみたそれだろうと感じていました。

とらや:季節の羊羹:雲井の桜:伝え継ぐもの

2006年04月08日 | 人生は食である。
久しぶりに、伯母の顔を見に、お宅にお邪魔しました。
お元気そうで、何よりでした。

伯母と同居している私のいとこは、今年61歳で立派な社長業をされていますが、彼は昭和20年の3月。敗戦色の濃い日本の、空襲の続く東京の生まれです。連日の空襲警報にも、子供を生んだばかりの伯母は、赤ん坊を抱いて防空壕に駆け込むこともままならず、ベッドの上に畳を二枚、屋根状に立てかけてもらって、その下で、小さく縮こまって警報解除を待ったといいます。そして、いよいよ身の危険を感じた伯母は、まだ生後1ヶ月もたたない赤ん坊を背に負って、道のり36時間をかけて生まれ故郷の和歌山まで、列車に揺られて帰りました。その途中も"敵機来襲!!"と列車が急停止し、機関車の陰に隠れた乗客の頭上を戦闘機が機銃掃射を浴びせながら飛び去っていったといいます。赤ん坊には持参した米粉を駅でもらったお湯で溶いて飲ませたのでした。

伯母はポツリと「原爆が落ちていなければきっともっとひどいことになっていたわ。」

決して核兵器を容認したり、アメリカを擁護したりするものではありません。ただ、当時の日本は出口の見えない、というより出口の先を想像できないどうしょうも無い状態で、多くの人が殺されていったのだということを、伯母の生の声から、改めて思い知らされたのでした。

歴史を持った国ならどこも同じように、私たちの国「日本」にも、後世に伝え継がなければいけないことが幾つもあります。綺麗な景色、美しい振る舞い、おいしい食べ物、思いやりの心。そんななかで、伯母の経験した「戦争の不幸」は、私は経験したことではないけれども、子供たちに伝えていく大切な事の一つだと思います。皆さんも機会があれば、太平洋戦争のこと聞いておいて欲しい。現在61歳以上の日本人はみんな戦争経験者なのです。

あれから61年目の春。
息子、孫、ひ孫に囲まれて、伯母は幸せに日々を重ねています。

写真は伝統の味とらやの季節の羊羹、「雲井の桜」(販売期間:2月下旬~3月下旬)

あっ!そういえば、伯母と私と誕生日が一緒だったんだ。

青色卵:四谷三丁目:焼き鳥屋

2006年04月08日 | 人生は食である。
比内地鶏の美味しい東京四谷の某焼き鳥屋。

本当に美味しい焼き鳥を出してくれます。焼き鳥の美味しさは単に肉の味だけでなく、ほのかに香る炭の香ばしさが重要な要素であるということを、初めて感じさせてもらいました。
特に、ねぎまとか、ササミなんかそうですね。

ココに登場するのは"青い卵"。

<調べてみました>
南米チリ産のアローカナ種という鶏の青いたまごがある。アローカナは世界でも唯一、青いたまごを産む鶏である。但し、青いのは殻だけである。普通のたまごの大きさよりは小さめであるが、黄身の量が多い。原文

小ぶりの卵全体がうっすらと青みがかっています。
堅牢な殻を力を入れて割ると、なかからコロコロとした黄身がまたりとした白身と一緒に、トロりんと現れます。
醤油を少し入れて、白飯に混ぜでガシガシといただきました。口の中一杯に卵本来の味わいが広がります。これぞ滋味。
私、生卵飯ほど、シンプルデリシャスな食べ物はないと思いますね。
炊きたてのアチアチご飯だと、も~~っと美味しかったでしょうけどそこは、ちょっと残念。海苔も欲しかったかも、と思っても、そんなことは、ここに書いても届かぬ思い。

ちなみに、一緒に行ったメンバーの一人の女性は、醤油を少しさして、お箸でさくっと混ぜるや、そのままちゅるりんと飲み込んでは、"君は爬虫類か?"と訊ねられていたのですが、この卵はそうやって食べるのが一番かもしれません。

お店は、おおよそ"このあたり"。玄関脇には「マスコミの取材をお断りしています」の表札がかかっています。したがって、店の屋号などは書きません。