地下路線の出口:大阪:大阪市営地下鉄御堂筋線:中津駅

2006年11月03日 | 地下路線の出口
日本で最初の地下鉄は、浅草~上野間2.2キロに東京地下鉄道株式会社が昭和2年に営業開始したものだということです
一方ここ、大阪市営地下鉄御堂筋線は、日本初の公営地下鉄として1933年(昭和8年)に開業したとのことです

この、御堂筋線は、1964年(昭和37年)東海道新幹線の開業に合わせて梅田から北へ中津、西中島南方、新大阪と延伸されました。中津駅を北に進んだすぐのところから地上へ現れて、新御堂筋とともに淀川を渡っていきます。

1970年の大阪万博にあわせてさらに北進し、千里中央まで、南方面は1987年(昭和62年)に南海電鉄高野線なかもず駅まで延びています。

御堂筋線の建設は、昭和初期の御堂筋拡幅工事とともに行われたのですが、当時の関市長の百年先を見るという先見の明が、道幅44mという当時としては無意味なまでに広い道路をつくり、近代になっても大阪市内は大きな道路工事もなく発展してきたと考えられます。

御堂筋線の梅田から天王寺までの各駅も当時としては意味もなく大きかったのだということは、1996年(平成8年)の10両編成化までの63年間ホーム延伸をしなくても運送量増大に対応できたことと、梅田駅増ホーム工事でも、新たなトンネルを掘ることなく、ホームを一本増やすことが出来たことにも見出すことが出来ます。

ちなみに、御堂筋線の車両は最初どうやって入れたか?

初めは、地下鉄トンネルの上に穴を開けて上から車両をそおっと下ろしたんですって。
車窓から見た景色



地下路線の出口:大阪:阪神本線:野田駅

2006年10月15日 | 地下路線の出口
阪神電車本線は、ずいぶんと昔から梅田終点も三宮終点も地下駅です。私の知るかぎり45年前くらいですが。梅田駅と元町駅の地下化については、wikiPediaを参照ください。

写真は、福島地下駅を出て地下路線を緩やかに上ってくる電車です。この福島駅は1993年(平成5年)9月5日に地下駅になって、国道2号線の下を走るようになりました。

この国道2号線の下には、平行してJR東西線が走っています。トンネルの先に見えているのが大阪駅前第三ビル、大阪の高層ビルとしてはもっとも早く立ったビルの一つです。

かく言う私は月金は毎日このトンネルに吸い込まれて仕事場に向かっています。

大きな写真はこちら


地下路線の出口:大阪:京阪電車:天満橋:トーマス号 7200系

2006年07月30日 | 地下路線の出口
大阪の電鉄も今あちらこちらで新線の工事が行われています。
阪神電鉄西大阪線の東進。大阪モノレール北進。JR外環状線。まだまだいろいろあるようですが、京阪電車中之島新線もその一つ。

京阪電車はJR環状線京橋駅を高架で越えて西に進み、大阪城を左に望み、右に大川を見ながら、太閤園の先で天満橋駅に向かって地下に潜っていきます。
天満橋駅は四線3ホームを持つ地下駅で、もともとは終点淀屋橋駅に向かって右側2線路を使い、左側2線路は朝夕のラッシュ時だけの天満橋発着電車にだけ使っていました。
しかし、中之島新線の工事に伴って、これを逆転し、左側2線路を淀屋橋行き、右側2線路を新線向けに割り振っています。
したがって、前には撮れなかった二階建て特急がこのアングルから撮れる様になりました。

中之島新線はここ天満橋駅で本線から別れて、この鉄橋の向こう側の大川をくぐって、写真中央奥に見える黒い高層ビルの関西電力本社の方向へ、中之島の地下を西に向かって行きます。

・中之島新線についてはこちら
・写真を撮ったのはこちら

京阪電車の2006年夏休みのイベントはスタンプラリー「きかんしゃトーマスとなかまたち」です。イベントに伴ってトーマスたちの絵を描いたラッピングトレインが走っています。下の写真は7200系車両です。



地下路線の出口:東京:京浜急行:穴守稲荷

2006年06月13日 | 地下路線の出口
いきなりの禁じ手でありますが、車内からの写真。

京浜急行羽田線は、京浜鎌田駅を出てすぐに、無理やりとしか思えない急カーブを曲がってからは、羽田空港へほぼ一直線に向かっていきます。

そして、穴守稲荷の先で、地下トンネルに突入します。二つ手前の大鳥居駅も地下駅ですが、こちらは、どちらかというと丘をくぐるためのトンネルといった感じです。

京浜急行の駅は、昔ながらの地名をそのまま駅名にしたものが多いですね。
「青物横丁」「立会川」「梅屋敷」・・・。京浜間の歴史を知らない私にとって、一つ一つの駅名の由来はぜひ知ってみたいものです。

私の今の住まい、阪神間南部を走る阪神電車の駅も同じように昔からの町の名前をつけた駅名が多いです。「野田」「千船」「大物」「出屋敷」・・・。

昔からの町々をきめ細かに結ぶ、といったコンセプトで鉄道事業を立ち上げたという意味で阪神電鉄と京浜急行に類似点を見つけるのは私だけではないと思います。


ここ


さて、ここで問題です。
この写真を撮ったときに私の乗っていた車両型番は何でしょうか?

わかった方はコメントください。

地下路線の出口:神戸:阪神電鉄:岩屋駅

2006年06月11日 | 地下路線の出口
阪神電鉄本線(大阪梅田-神戸元町)の、神戸方面は岩屋の駅のすぐ西側で地下へともぐっていきます。駅の近くの、今では珍しくなった踏み切りを、地下から上ってくる列車が通過していきます。

岩屋から神戸寄りが地下線になったのは、阪神電鉄営業開始(明治38年:1905年)から34年後の1933年(昭和8年)だといいます。
Wikipediaより

岩屋駅は、地下トンネルの入り口にある、半地下のホームを持つ駅です。駅ホームの東側すぐの線路をまたぐ駐車場からは、駅を通過していく急行を見下ろすことが出来ます。

駅から海に向かうと、神戸大震災以降に開発されたウォータフロント"HAT神戸"が広がっています。そこには、WHO神戸センターとか、安藤忠雄設計の兵庫県立美術館なんかがあります。

駅前はJR東海道線灘駅と国道2号線に挟まれた南北300mほどに、家がひしめき合う神戸の下町です。

ここ