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とっくりとチョッキ(3)

2017年03月26日 | とっくりとチョッキ
とっくりとチョッキ(3)

 会話。

「いちばん好きだった外国の女優さんは?」ぼくらは部屋で映画を見て、今しがた終わった。
「ウィノナ・ライダー」
「それ、誰?」

 説明する。

「ああ、ブラック・スワンの哀れなおばはん」
「こら」

 ひとは若い頃、自分が年をとるのはずっと先だと考えている。ぼくも含めて。
「いちばん手強い相手は?」
 しばし、考える。
「O・J・シンプソンの弁護士」
「誰、それ?」

 説明する。

「怖い話だね」マリアは恐怖より、悲しいという顔をした。「いちばん、好きな歌は?」
「好きかどうかは分からないけど、耳にのこっているのは」ぼくは節をつける。「十五、十六、十七と」

「伊豆七島?」マリアは遠くを見つめる。「そのつづきは?」
「じゅうなな。わたしの人生、暗かった」
「誰が、よろこぶの?」
「誰もよろこばないだろうけど、そういう唄もある。十九のわたしに戻してとか」
「同じ歌?」
「違う。でも、ジョイフルとかそういうんではないことで共通しているかも」

 ぼくは同じ質問を向ける。だが、どれも頭にはのこらない。彼女はCDをかける。その悲しみの内容を自分は理解できずにいる。友情や愛情。圧倒的な絶望の正反対。

「こわいものは?」
「水俣病。無責任な原爆投下」
「そんなにないよ」
「未来なんか誰にも分からないよ」ぼくはそう言いつつ、愛情の絶対的な否定、宣言だとも感じている。永続性と断続。愛情の断面みたいなものを想像する。しかし、木の年輪みたいにしかならなかった。

「マリアのこわいのは?」
「地震とゴキブリ」
「そこにいるよ」ぼくはキッチンの方を指差す。
「やだ」

 これらに時代も流行もなかった。

 音を消したテレビでは野球のデーゲームが行われている。芝生はみどりで、空は青かった。
「目の下の黒いの、あれ、なにしてるの?」
「昨日、門限やぶった罰だよ」
「みんな、遅かったみたいだね」
「まじめなひともいるよ。ほら。ところで、マリアのお父さん、野球、見なかったの?」
「学者だからね」

 答えにはなっていない。それでも、学者が娘につける名前はもっと小難しいものになりそうだなといらぬことを考えても、口にしなかった。

「外、行く?」マリアが訊く。ぼくは窓の外を見る。青空。永続性。

 公園でカメラを子どもに向ける父親がいる。同じように犬を写しているひともいる。どちらも動いてしまって被写体として静かではない。じっとするのも困難なのだ。マリアもおそらく学者である父と似たような時間があったのであろう。子どもはたくさんの質問をする。だが、本当の答えは実体験のみが親切に、丁寧に、ときには乱暴に教えてくれる。だから、自分は学者になれなかったのだと思う。そもそも、そういう遺伝子を有していない。

「戻れるなら、いつ?」
「はじめて後楽園球場で野球を見たとき」

 本当にそれで良いのだろうか? しかし、はじめてというのは根源的な快楽が灯されている。かすかに、だが、しっかりと。はじめてのバイト代。はじめて自腹で寿司を食べたこと。はじめてひとに奢ったこと。はじめての飛行機。そのはじめてという体験に戻れるなら、新鮮さを取り戻せるならいつでも良い気がした。

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