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とっくりとチョッキ(4)

2017年03月29日 | とっくりとチョッキ
とっくりとチョッキ(4)

「あだ名つけて」とマリアが言う。
「どうして?」
「だって、一度もつけてもらったり、呼んでもらったりしたことがないから、これまで」

「マリアって、くずしようがないか。そもそも、あだ名って日本語がメインか」
「マリアだって、充分、日本語だよ」

 ロケット。八時半の男。これはあだ名とは呼ばないのか。愛称。俗称。
「まるで浮かばないな」
「だって、気さくに呼び合えれば親密さがレベル・アップすると思わない?」
「そうだね。でも、強制されるようなことでもないし」自分の発想のなさの言い訳や、貧困さを隠すことに汲々としている。そして、明日までの宿題にされる。

 小さな巨人。人間山脈。ピクシー。流通王。巌窟王。ひとはレッテルを貼りたがる。ぼくは大げさに考え過ぎている。恋人を気軽に呼ぶときのことだけを念頭に置けばよいのだ。しかし、マリアという三文字には変更が利かない。三角形の内角の秘密のように。削ぐ部分もない。だから、関係しない余計な逃げ場に頭を使ってしまう。

 マリア名人。名刀マリア。いや、刀は男性のための形容詞だ。剣や刀は男性名詞。鞘が女性名詞と適当なことを考える。魔術師のマリア。だが、魔術師になるのはあるひとときだけだ。

 人間機関車。トーマス君。天使の微笑み。ダイエット・マリア。無添加マリア。マリ。マー君。リー君。リー兄弟。アー君。

 翌日になる。名前を呼ぶ機会などそうそうない。両者はただそこにいる。しかし、なんの決意も覚悟もなく、ぼくは「マリ坊」と呼んでいた。

「やめてよ、普通にして」という抵抗のことばで、あだ名問題は直ぐに解決する。違う。取り下げられた。ぼくの頭脳もようやくしがらみから解放されると思ったが、そうでもない。

 貴公子。ノミの心臓。伝家の宝刀。サブマリン投法。
「なんか、退屈なの?」
「別に」
「こころ、ここにあらずだから」マリアは古臭い表現をつかった。
「ひとの印象を端的に、簡単にまとめたあだ名とか愛称って、不思議だなって」

「なんて言われたい?」
「不正をしなかった、とか」
「この前、カードの請求でもめていたのに?」
「あれは白黒はっきりさせる過程だから」

「コンビニとかスーパーで飲み物、わざわざ奥から引っ張り出すのに」
「胃腸が弱い消費者の防衛の判断だから。分かったよ、高望みし過ぎた」
「決して、高望みをしない男だった、とかは?」
「よくないよ。向上心は重要なアイテムだよ」そう言いながらも若いときの意地や潔癖さなど有している訳もなかった。「不正を許せなかった。ときには守れなかったけど」
「でも、そんなとこも好きだよ」

 ぼくの顔が緩む。上下に伸びる。律することを愛した男。ふところの広い男。背中の広い男。肩幅が多少、狭くても。年相応の成熟を拒否した人間。たったひとことの甘いセリフでなびく、見境なく尻尾を振る駄犬のような男。それでも、快適であるなら問題なかった。死ぬ直前まで、笑顔を欠かさなかった男。なんか違うよな。

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