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壊れゆくブレイン(39)

2012年02月20日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(39)

 娘の広美が夏風邪をひいて寝ている。学校で流行っているらしく、蔓延してから最後のほうにかかった。何日か学校を休んで、体力も回復したのか直きにまた通学するようになった。

 それが終わると、雪代がおなじものにかかった。栄養剤を飲み、薬を何錠か口に入れ、そのまま仕事に出掛けていたがいつの間にか直ってしまっていた。それも解決すると、ぼくも同じ症状になった。喉がいたみ、ベッドから起き上がる気力を失った。会社に電話を入れ、一日、休暇をもらった。午前中、ずっとうとうとしており夢のなかを楽しんでいた。しかし、身体の節々は通常通りの動きを許さなかった。それでも、午後になると急に体力が回復され、冷蔵庫にはいっていた朝食の残りを平らげた。すると、ベッドに戻る意味合いがなくなり、リビングでテレビのリモコンを握って時間を過ごそうとした。

 やがて、玄関のドアが開いた。制服姿の広美が入って来た。
「あれ、随分と早いね」
「試験だもん。また明日のために勉強しないと。でも、直ったの?」
「午前中うなされて寝ていたら、もとに戻っていた」
「そうなんだ、良かったね。何か食べた?」テーブルの上を見て、「食べたか」と広美は言った。
「今日の結果は?」
「まあまあだよ。でも、身体を動かしたい」
「バスケも休み?」
「試験中は。うつしたとしたら、ごめんね」
「何を?」
「風邪」
「こんなもの、誰からうつったか分からないよ」

「そう」彼女は制服を着替えるため部屋に入って、いつもの格好になりリビングにまた来た。冷蔵庫を開け、ジュースを飲んでいる。昼ごはんを自分で用意して、テーブルの向こうで食べながらテレビを見ている。また、皿を洗い部屋に戻った。音楽が20分ほど鳴り、その後静かになった。
 やがて、電話が鳴った。相手は、雪代だった。
「どうなった、身体?」
「なんだか、もう大丈夫になった。テレビを見ているよ」
「ずる休みみたいね、少年の。もう普通のもの食べられそう?」
「お腹もすいてる」
「良かった。広美、テストどうだったって?」
「まあまあとか言ってたけど」

「そう」親子の相槌はどこかで似ていた。それから電話も切れた。ぼくは自分の本棚に置いてある本をいくつか開いてみた。それらを最近は手にしていなかった証拠にうっすらと上部にほこりがのっていた。それをふっと吹くと夏の日差しがぶつかり反射させた。そのうちの1冊を手に取り、またベッドに横になった。

 しおりとして使っていたものが、その間からこぼれ落ちた。いつか裕紀と買い物に出掛けたときのものだろう、小さなレシートが少し変色して床にあった。ぼくは手の平でその情報を見つめる。日付と品物名だけで、ある日の記憶がよみがえる。その日は映画を見た。今日のように夏前の強い日差しの日だった。裕紀は買ったばかりのサングラスをしていた。彼女の目は強い陽光に耐えられないようだった。ぼくは横を見ながら彼女の視線を確認できないもどかしさを感じていた。でも、それも過ごした月日が増えることによって外側の表情以外のものが多分に影響することも知っていた。ぼくは彼女の口調や素振りで感情の揺れがどう変わるのか学習していた。

 それから、デパートに入り、フレッシュなフルーツのジュースを飲んだ。上か下に裕紀は行き、白っぽい、少し見た角度によっては空色のようになるブラウスを買った。ぼくは本屋に行き、いま手にしている本を買って屋上に向かった。そこで、ビールを頼み、子どもの歓声をききながら本を読んでいる。何分か経ってから裕紀もやってきた。横にすわり、満足げに袋のなかのブラウスを見下ろした。ぼくは本を閉じようとしたが、読みかけの段階を覚えておくものをもらっておくのを忘れてしまった。

「しおりの代わりになるものない? 貰うの忘れた」
「このレシートでいい?」
「いいよ」ぼくはその紙を受け取り、間に挟んだ。それが今日まで残っていたのだろう。不思議なものだった。この小さな紙切れですら彼女を思い出す一因になるとは。

 そのためか、本の内容より彼女との思い出のほうがこの日のベッドの上で寝そべる自分には強かった。そうしていると、風邪の最後の居残りがぼくを眠気に誘った。それは、ただの日々の疲れだったかもしれない。

「ただいま」と言って雪代が帰ってきた。ぼくは目を覚まし、起き上がって本棚にまたさっきのものを戻す。そこだけほこりは払われ、新品のような状態にもどった。

「また、寝てた?」雪代は心配そうに声をかけた。
「ただ、疲れてただけだよ。今日ぐらいだけだから、こんな時間まで眠ってやろうと思った」
「夜、眠れなくなるんじゃない」
「広美の勉強に付き合ってあげる」
「いいよ。もう終わったから」広美も部屋から出てきてカウンターで雪代の手伝いを始めるしぐさをしていた。
「なんだ、計画的なんだね。一夜漬けとかしないの?」
「まゆみちゃんから効率的というものを教わった」
「ぼくらと違うのかな。ラグビーの練習後、あわてて詰め込んだときとは・・・」
「違うんでしょう。体力もなくなっていくように、むかしのものは現代的じゃなくなるんじゃない」雪代は、それでも過去をなつかしむような表情をしていた。


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