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壊れゆくブレイン(123)

2012年09月12日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(123)

 マンションにしばらく住んでいると、住人が少しずつ変わっていった。引っ越してくるひともいれば、いつの間にか見かけなくなったひともいた。家族構成も少し入れ替わる。ぼくらの家もそれに該当し、広美が東京に出たためひとり減った。新婚さんが一組入居したと思ったら、時折り赤ちゃんの泣き声がきこえるようになる。夫婦で生活していたひとが、ひとりで買い物をする姿しか見せなくなることもあった。干渉しているわけでもないが仕事柄ぼくはそのことに興味があった。実際はそれがなくても関心があるのだろう、根本的には。

「あの赤ちゃん見た? しっかりした顔してるよね」雪代が驚きに近い表情をしてそう言った。
「うん。子どもなのに、造りがはっきりしている」ぼくはベビーカーを押す奥さんに挨拶され、その瞬間に下で大人しく座っている子どもの顔を見ていた。泣いて自己主張をするより、理路整然と自分の問題点を伝えてくれるような意思の力が顔にあった。もちろん、そのようなことは起こり得ないのだが。
「ああいう姿を見ていると、広美のことを思い出すよ」
「島本さんは子育てを手伝ってくれた?」

「気が向いた時にはね。あのひとらしいけど」だが、ぼくはその姿を容易に想像できた。肩車をする彼。島本さんの肩のうえで歓喜する広美。彼のたくましく隆起した肩のまわりの筋肉。ぼくはその人間から何度もタックルをくらった。その同じ肩が、ぼくの義理の娘になった小さな少女を担ぎ上げる。そこに歴史の一幕があった。

 ぼくはなぜだか彼のことを永遠に忘れないようにと願っていた。ぼくはずっと彼の対戦相手だった。他校のラグビー部の先輩。その持って生まれたスポーツの能力。外見的な華やかさ。そして、雪代と交際していたひととして。合わせ鏡のように彼のことが、ぼく自身を知るうえでの手助けになった。ぼくはひとりで存在していた訳ではなく、ラグビーをするだけでもチーム・メイトが必要だった。またそれに付随してどこかのチームと試合をしなければならない。なるべくなら倒すに足る強いチームを望んでいた。勝ちが決まっている試合など、何の目的にも動機にもなってくれない。ぼくは、その相手に倒され、這い上がるイメージを失いたくなかった。また、もうどうやっても失くすことのできない映像として頭のなかにインプットされていた。暗い衝撃をともなうレントゲン写真のように。

 ぼくが高校に入ってからの最初の夏休み、彼と雪代のふたりが並んでいる姿をぼくは認めた。美しい女性と、誰もが知っているスポーツ選手。ぼくは幼馴染みと歩いている。まだ、自分のこころが誰かに奪われるという秘密を知らなかった。自分の感情は誰かの手に委ねられることなく、自分で完全に管理し掌握できると思っていた。そして、あれから何十年も経ったが、それを奪ってみせてくれたのはほんの数人だけだった。ぼくは冴えないTシャツを着ている。お祭りの夜、横で幼馴染みの智美は何かを食べていた。水飴か綿菓子でも。でも、そんなことはもうどちらでも良かった。ぼくは、指から離れ飛び去った風船を惜しむかのように、雪代の存在を探した。憧れは要求になり、ぼくの生きるうえでの執拗な拘りになった。だが、ぼくの前には智美が紹介してくれた素直な裕紀が表れた。ぼくはその地に足が着いた関係も探し、欲していた。ぼくの前に雪代も島本さんも居なければ、ぼくらは起伏のない関係を続行していたのだろう。しかし、それが途切れた責任を負うのは、島本さんでもなければ雪代でもない。ただ、自分の意思をシーソーのように揺らしつづけた自分に非があった。

 島本さんと雪代は別れ、ぼくは裕紀を捨てた。隅に、いや、ぼくの居ない世界に押しやった。ぼくは雪代を選び大学のときは彼女と同棲して暮らした。東京への転勤を機にぼくらは別れた。島本さんと雪代はまた会いはじめ、いつか広美が産まれている。これだけでも、島本さんをぼくという不確かな人間がつくりだしたストーリーのなかで排除することは不可能だ。もちろん、主役でもないが、気になる脇役でもある。早目に退場してしまったが、その印象は誰もが後々まで抱えた。

 ぼくの簡単に口にしたひとことである「彼は子育てを手伝ってくれた?」という質問も裏を返せば、これだけの情報がいった。「気が向いたとき」という雪代の返事もそこには多くの愛ある会話が覗かれるようだった。ぼくはそこに参加していない。ぼくが広美を肩車したわけでもなく、離乳食を授けたわけでもない。ただ、幼少期を過ぎたころから関わっただけだった。ぼくは誰かの一生に完全な意味では関われないのだ、という不安も同時に感じた。結婚した裕紀は途中でいなくなった。雪代のことも、こうして誰かのものであり、自分がすべてを見守ったわけでもない。子どもも義理の娘しかいなかった。この欠陥のある自分の人生をながめ、まるでマンションの別の一室に住んでいるひとたちのように、それぞれの過去の知り合いと対面しようとした。

 あの部屋にはまだあいつがいて、ぼくは優しい言葉を鉢植えの花に水を与えるように注ぐのだ。ならば、島本さんにはどのような言葉が必要なのだ? ぼくの追いかけるべき目標になってくれてありがとう。雪代の数年を美しいものにしてくれたことにも感謝する。広美という真っ直ぐな女性の親になってくれてありがとう。まだまだ、ぼくは彼の新しい一面を今後も発見するかもしれない。でも、これだけでも充分、ぼくに恩恵を与えてくれた。それゆえに、憎もうと思いつづけながらも、それに比肩するぐらい惜しむべき大切なひとりでもあったのだ。


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