goo blog サービス終了のお知らせ 

爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

作品(2)-1

2006年05月01日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ  2005.02.18~

Chapter 1


 彼は、その駅前の通りを歩いている時に、自分の天職についてひらめいた。
 彼の名前は、山口優二。この物語は、彼の苦悶の歴史。格闘の過程。織りなすタペストリー。

 子供の時から、彼は一人でベランダにたたずみ、そこから見える景色をお気に入りのノートに描き写した。物体のサイズを正確に描写することは、まだ出来ないが、そこには何か暖かい目線があった。そんなに大きな町ではないので、風景が大幅に変わってしまうことはなかったが、彼がその行為に飽きるのにはかなりの時間が経過した。そして、前途を塞ぐように、目の前にマンションが建った。
 次は、ユニークな生徒が必ずする先生や生徒のデフォルメしたイラスト。それをあまり大っぴらに周りの生徒に見せることはなかったが、時折見せたときには、微かな笑いと、幾分かの感心を示された。そして、彼もちょっとした手応えを感じた。喜んでもらえたんだと。
 暇なときには、自分の自画像を授業中にも、一人で部屋にいるときも描いた。悲しいタッチが多かった。
 恋した女の子の描写。しかし、それは苦手だった。本物や写真すらにも到底、及ばなかった。

 絵に対する情熱を忘れていた頃、サッカーに明け暮れていた日々、当時のガールフレンドに無理矢理連れて行かれた美術館での対面。黄色い絵。アルルの孤独な男性の考察。衝撃というのがあるとすれば、その画家の作品と、優れた内面を表した文章に触れたときだろう。一個人が、あそこまで正直に自分の内面をさらけ出せるのか。それは、公表することを目的にしていないためか。絶対的な自信とある意味での完全なる未成熟。

 その人の絵が金銭的な意味で、重要視されている報道が、その頃は多かった。天分を生かすことが円やドルで量られるとは、なんとも淋しい気がした。また同時代に、自分が生きている間に、当然の報いを受けることを望む気持ち。栄光や名誉を先延ばしに出来る期限。
人生全体が、ある種の才能を有しているものだけが感じてしまう、質の悪い結末のストーリー性のない喜劇映画。笑える部分が少ないドタバタ。出来の悪い脚本。醒めない悪夢。疲れきってしまった一人の男。その履き古された靴。オランダ人。

 しかし、人生にはさまざまな寄り道。回り道。生活の為に優二は会社勤めに入った。幸いにもデザイン会社での口が1つあった。その会社内でも他の才能に恵まれた人々が大勢いた。彼にもちょっとしたきっかけとささやかな幸運。ある食品会社のお菓子のパッケージを手掛け、それから、その会社のほとんどの製品を任せられることになった。やりがいのある日々だった。また金銭的にも報いの多い仕事だった。
 その頃には、たくさんの美術館もまわった。節操のないぐらい多くのものを吸収したい時期でもあったし、実際にも手に入れた。
 宗教画の歴史。王侯貴族の肖像画。ルネッサンス。印象派。それ以降のアバンギャルドの流派。それらをものにするのは、やはり余暇と金銭がどうしても必要だという事実。早くそのような状態になれることを望んだ。

 1つのきっかけとして当時、知り合いになった友人の紹介で、まだその時は無名バンドのCDのジャケットを彼が手掛けた。レコード店の片隅に並んだ自分の作品をばったり見つけた時は、少し誇らしげな気持ちになった。

 所属していたデザイン会社の規模が小さかったので、能力のある人はそこを足掛かりにして、他の会社にスカウトされたり、それ以降は独立したりするのが常だった。かれも31になった頃、そのような状況になった。彼は、会社勤めはもう懲り懲りだと感じていた。もう少し自由に自分の才能を伸ばしたかったし、別のジャンル、きちんとした油絵にも挑戦したかった。
 でも思い通りにはいかなかった。スランプも感じていたし、需要がないとどこから手をつけてよいか具体的に分からなかった。そのような時はカメラを手にして街を歩いた。自身で気に入った写真がとれると、それを元にして風景画を描いた。春には、咲いている色とりどりの花を接写した。一枚一枚の花びらの繊細さを絵筆で表現できるように。
 
でも、いつも考えるのは、アルルの暖かさ。そこにいる自分を考えてみる。自分自身の内面とのみ会話する時間。

 彼は、浮世絵に近付く。外国人の眼を持ったと仮定して。現代のテクノロジーまみれの日本人が簡単に江戸に戻れるわけもないのだが。しかし、風景に記憶や記録が残ってしまう。

 ゴッホが模写した渓斎英泉の描く人物。西洋の肖像画のモデルのたたずまいと根本的に違う不自然とも呼べる女性の姿。極端なまでの首の曲げ方。色を重ねることや、点描などではなく、些細な一本の線が重みを持つ瞬間。

 浮世絵を見続けることにより、彼も、女性の造型としての対象がほしくなり、以前のデザイン会社に勤めていたときの同僚に頼み、モデルをお願いした。顔のタイプは、鼻筋が通っており、なおかつ顔全体が華奢な印象を有していた。その彼女も絵を描くので、ほとんど同時に互いを見つめあいキャンバスを塗っていった。そのような多くの時間を共有している、同じことに専念している2人が、外面的な色や形に興味を抱き続けたにせよ、内面にまで興味を探求しないことなど可能だろうか?

 疲れたときに、よく2人は近くの公園に行く。きれいな噴水のある落ち着いた場所。遠回しに将来について語り合う。また、当然のこととして現在のことも。絵をかくことではなく、そのような他愛もない時間が多くを占めていく。さらに夜につづく。2人でお酒を飲みに行くことも、計画をしていたわけではないが自然と増えていった。

 でも絵もおろそかにしなかった。ある時には、お互いの指からはじめて、各部分をデッサンしていった。繊細さ。濃厚な時間。

 2人は都心に行く。ピサロとシスレーの展覧会があるためだ。このように、気張っていない絵画が2人とも好きだった。金儲けをあてにしない生活。日本人の置いてきたもの。その後、お茶を飲みながら、いつまでも語り合う。パリのはずれ、川のふもと。そのような場所で日がな絵筆をもって生活できたら。彼は、その頃、片手間に手伝った舞台の美術を誉められ、自分の意図とは別に、そちらの方面で忙しくなっていった。そのような状況も彼女になら話せた。
 2人はあるいて新宿御苑に入る。都会のオアシス。駆け回る子供。幸せの象徴としての乳母車。ゴッホの手に入れられなかったもの。普通の生活の固まり。刻々かわるものに目をとめた印象派。そして、手袋越しに2人は手をつなぐ。そう確認しないと消えてしまいそうな、なにかがあったからだ。

 近くのヴェネツィア料理店に入る。
「昔の江戸って、ベニスみたいに川ばっかりだよね」彼女が言う。
「そうだよね。あのまま残して都市を再構築ができたかもしれないね」
 料理が運ばれる。黒い色のスパゲティ。
「でも、いくらか昔のままの風景が残っている場所もあるでしょう?」
「そりゃ、あるよ。景色というか空気の中にも、記憶って残るものだよ」
 優二は考える。そうだよな、どこかを歩けば、ここを前に通った時は、ああしてたっけとか、その場所や、なにかの存在にも記憶自体が棲みついている。
「今度ね、フランスに行くことになった。何か、ほしいものある?」
 優二は思い巡らす。自分もどうしてもアルルに行ってみたい。
「どうしようかな。モンパルナスとか、もし行ったら、数枚写真を撮って来てくれるだけでいいよ」
 ユトリロとかモジリアーニ。一人はどうでもよい街角をアートにした。もう一人は、女性を不自然なバランスでありながら、美しく描いた。独創的でありながら、普遍性すら感じる。
「もしかしたら、留学できるかもしれない」
「本当に? すごいじゃん」
「その、下見も兼ねて」
「仕事は?」
「一時的なら、在籍したままで止めなくてもすむかもしれない。あとは相談で。優二君は戻る気ないの?」
「会社に? ないよ」
 2人で一本のワインを空けた。当然のように互いに饒舌になった。

 帰りのタクシーの中で、彼女は確認のように留学の件について話した。どうして、止めないのかということをも暗に含んでいたようだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。