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償いの書(39)

2011年04月03日 | 償いの書
償いの書(39)

 仕事をしながらも資格をとるために家で勉強もしていた。そのような時は、裕紀は音を立てないように小さな音量で静かに音楽を聴いていた。その甲斐もあってか、ぼくは何年もかかったが、やっと資格を手に入れた。それで、人生が急に好転するわけでもないが、一先ずの目標は達成されたのだ。もっと早く取れた方がそれは良かったに違いはないが、それでも、遅すぎて失望したという感じも残らなかった。

 いままでこころの中に重く圧し掛かっていた責任のいくらかは回避され、あとは自分の人生を楽しむことを優先させられる段階に入ったのだ、と考えるようにした。それでも、仕事はそのまま続き、役割も増えていった。何人かの面倒を見て、彼らの仕事ぶりの責任も自分に来るようになった。それが、社会で生きることなのだと考えた。

 ぼくと裕紀は休日になれば、家の周りを散歩して、たくさんの会話をするよう心掛けた。曇りの日もあれば、快晴の日もあった。それは、人生ととても良く似ていた。ラッキーなことが続くこともあれば、どうしようもなく避けられない不運も目の前に転がっていた。だが、そのときの不運のいくつかは乗り越えることが困難なものなど、なにひとつとしてなかった。少しの努力と頑張りで、その困難は跡形もなく消えて行くように定められていた。それが20代というものなのだろう。

 だが、そのぼくらの20代も間もなく終える時期になっていた。ぼくらは再会して2年ほどの交際があり、それから結婚した。そして、月日はあっという間に過ぎて行こうとしている。ぼくらの愛は冷めることなどないと信じ、また、実感としてその予兆のようなものもなかった。これが訪れるのはないと思い、ぼくらはお互いが70や80になるまで、このまま仲良くやっていけるという漠然とした自信があった。

 それまでに、数十年もぼくは裕紀を目の前にしての生活の楽しみがあるのだと思っている。危機はなく、ただ真っ直ぐの道路を走っているような安心を含めた快適さがあった。

 東京はある意味で故郷と呼べるまでになった。もしかしたら、それは言い過ぎかもしれないが馴染みのある関係になったのだ。それも、ぼくは裕紀がここにいてぼくと会ったからなのだ、ということを忘れないようにした。それがなかったならば、やはりこの土地とも疎遠なままで終えたかもしれない。そして、自分の人生の不思議さを感じた。また、ひととの出会いのことを喜んでいる。

 また、不思議とぼくらには子どもができなかった。田舎の両親は、それとなく心配した。だが、それもいつか時間が解決してくれるだろうと思い、確かにこのふたりでの生活でも満足がいったものだったが、新しい家族が増える準備もこころの側ではできていた。

「子どもがいたら、もっと楽しいと思う?」と、裕紀もある日、そのことを気にしていたのかそっと言った。
「ぼくは、いまのままで充分に満足だよ。でも、いたら、いたで楽しいだろうね」
「そうだよね」と、少し彼女は申し訳なさそうな顔をしたが、当然のごとく、彼女に責任があるわけでもなかった。満足のいく生活だったが、彼女がそのような淋しげな表情をすると、ぼくのこころも有体にいえば痛んだ。しかし、ずっと心配しているわけにもいかず毎日の生活が些細な支障を乗り越えていく。

 近くの公園で裕紀より若そうな女性が子どもを遊ばせている。彼女とぼくはベンチに座り、それを眺めている。ぼくが何か話しかけても裕紀はそれに気付かず、無心に視線を向けている。
「え、ごめん。何て言ってたの?」何度か声をかけると、彼女はやっと返答した。彼女の不規則になった仕事の関係で、いくらか疲れた様子を見せていた。

「仕事、辞めてもいいよ。それぐらい、やっと稼げるようになった」
「考える。ありがとう。でも、好きなことだし」
「なら、いいんだ。ただ、いままで、いろいろありがとうと言いたくて」
「そう、嬉しいな」と言って、彼女は滑り台を下っている少年を見ていた。

 ぼくは転がってきたボールを軽く蹴飛ばし、別の男の子に返した。その父親らしき男性が遠くでぼくらに会釈をした。それは、ぼくと同じマンションに住んでいるひとだった。ぼくも気付いて、同じように頭を下げた。

 満足と呼べば満足と呼べる生活だった。上を見過ぎても仕方がないし、また下方を恐れるほど、ぼくらの生活は空中に浮かんでいるだけでもなかった。きちんと地に足を着けた生活をしており、また、いくらかのゆとりもあった。ぼくは、20代の終わりの自分の生活にかろうじてではなく合格点を与えることに決めた。これ以上、何が必要なのだろう。そこそこだが満足の行く仕事もあって、ぼくには最愛の妻がいた。若さも残っていて、これから訪れることにも挑んでいける自信や体力もあった。あと、何十年も横には、今日のこの日のように裕紀がいるのだろう。そう考えるだけで、ぼくは胸の中が温まるような気がしていた。

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