爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

作品(5)-1

2006年08月01日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(1)

 2006.7.18~

 夏休みなので、海辺にいる。友人2人と、暑さしのぎと女性のことと、また後になって、会話の種にするための行動。

 一人の友人。ぼくが考えるより断然はやく性体験をもった。このことを、この青い時期は当然のようにうらやましく思ったが、いまになるとそうでもない。先ず、その経験があれば女性に幻想を抱かなくなる。そのことが、頭でっかちになる要素が、必要かときつく追求されたら答えようもないが、女性に幻影をもつのは、とても重要なことだとも思える。わたしたちが、飛行機に乗り、混み合った美術館に並び、窮屈な姿勢でモナリザなどを見るのは、もちろん見てきたよ、という報告も兼ねた経験も大きな要素かもしれないが、どうしても自分は、この一人の絵描き(他にも出来る)の持ち続けた幻想の女性の姿を追体験したいからなのではないだろうか? まあ、多くの人は、付和雷同てきな事柄で、行列の一人になるのかもしれないが。
 こうして、この友人は、続々と自分の領域に女性を引き込む。それだけ、女性が等身大になっていくのは否めない。また、彼は優しいという評判を身につけていく。それには、多くの時間を知という概念とは遠く、女性のためにあれこれ時間を取り分けるからだ。食欲旺盛な子供を持った親のように、彼は、優しさや手頃な温かみを求めている女性たちに、ちょうど良い温度の優しさを与え続ける。弁当箱にきれいに調理された品を並べるように。自分は、そうだね、やはりこういう関係を拒否したのだろう。昨日より一回でも多くリフティングができるよう努力するサッカー少年の意気込みで、知のかけらを拾い続けようとしている。この部分は、趣味や主義なので、どちらが正しいとも、自分を正当化させようとも思わない。多くの大人になるまえの青年たちは、女性の微笑の旗の元に集結するだろうとは、思うが。まさか、本に顔をうずめて育つ、なんてことには、そう魅力もないよな。
 そして、彼と自分とまた別の友人は海にいる。理想論を掲げたが、自分と別の友人は女性に激しくがっついていた。女性を知っていた友人は、どこ吹く風。あまり今回は、意気込んでもいない。そのような時に同じ場所に4人ほど同年代の女性が泊まっていることを知る。そして、なんとなく親しくなっていく。それぞれ意中の女性を決めて、単独行動に移る。女性を詳しく知らない二人は、見よう見真似でなんとか上手くこの機会を生かそうとするが、友人は、ぼくらの部屋でふたりきりになるも失態。でも、その後仲良くなっていた。これからも会おうよ、という感じで。自分は、色の白いきれいな女性を外に誘う。なんとか話をつないでいたが、最後は強引なアプローチで結果が良くなかった。外は、天気も悪くなってしまうし、戻るにも自分たちの部屋は友人が使っているし、行き場所がなく、布団をしまっている部屋に転がっていたら、そこに友人が結果を報告に現れた。人がいそうもない場所に隠れるようにしていた自分を、なぜ彼は突き止めたのだろう。
 それで次の日はいつもより早目に来る。料理を準備する人も面倒なのだろうか、その女性たちと自分たちを一緒の部屋で朝ごはんを食べさせようとした。昨日、上手く行かなかった人と、飯もないだろう、と思いながらもご飯を噛んでいた。こうして、出掛ける前と帰った後では、なにも変わっていなかったのかもしれない。いや、もっと女性が遠退いたような気も確かにする。
 友人と女性は、これからの会う相談をしていたかもしれないが、その先を自分は知らない。ただ、ちょっと陽に焼けて身体が黒くなっただけなのかも。さらに、競泳風の水着を着ていた自分たちに、視線を這わせていた少し年上の女性たちがいたことも覚えている。
 自分は、一人の女性を忘れられないでいたのかもしれない。この夏が終わる頃も、ただその人との関係が修復できることだけを望んでいたのかもしれない。こころの奥で焦燥感がうずまいている。自分でも、その熱を冷ますことができずに、眠りが浅い人の夢のように、その遠い映像が頭から離れないでいた。あの別れが、こう長く自分を痛めるとは知らないでいた。自分は駄目になりそうになっていた。どこかで建て直す方法を見つけたいと考えていた。そして、なにもかも上手く運ぶような世の中を空想しだしたのかもしれない。その追求のある面でのゴールは、武者小路やトルストイの考え方への賛同になるのも否定できない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿