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「考えることをやめられない頭」(24)

2006年12月11日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(24)

 もうひとつの方面、車を買うことについて考えてみる。
 その地区では遅めに、19才のときに免許を取った。本当は、どうでも良かったのかもしれないが、ある面接に行き、何度も断られたが、またその回数を増やすときに、会社からのお断りの電話をうちの父が取った。理由は、免許をもっていないということにされていた。
 そのことがあってか、父親の知り合いのいる教習所で免許を取ることになった。だらだらと、時間をかけそれを取得した。家には兄が、車を持っていたが、一度も運転させてくれることもなく、毎日のように乗り回していた。もちろん、非難の余地もなく彼自体がローンを払っていたので、文句のつけようもない。
 ある日、母のこれまた知り合いの人は、車を買い替えるらしく、必要なくなった車を安く下取る話が計画されたが、いつの間にか泡のように、その話は消えた。
 こうして、あまり縁もなく、車を所有できずにいた。自分が育った近辺では、例外的に珍しいことだった。年齢がくれば、バイクに乗り、またある年齢に届けば、車に乗り換えるような場所だった。
 しかし、本当のことをいえば、あまりエンジンがついているものに興味がないのも事実だろう。それより、運転もしないで酒も飲みたかったし、電車内でもいいから本を耽読したかった。もっと深く言えば、一緒に乗って空間を共にする人も、ある時期にいなかったのも大きいのだろう。
 そうして、一人暮らしもかすかにあきらめ、じゃあ、ということで車に乗ることを考える。安いワーゲンなんかおしゃれで良いかもしれない、と考えていた。だが、駐車場代や家の近くに場所を確保することもなかなか難しかったらしい。それにしても、そんなに乗らないのだろうか?
 まだ、もっと若かった数年前、友達はすでに免停になっていた。しかし、朝まで飲み続け、明るくなった空の下、その友人の兄の車を勝手に持ち出し、結構遠くまで乗り回した。警官に見つかることもなく、第一、そんなことを思いの端にも浮かべなかった。少し残った酔いが自分の気持ちを大きくし、自由な気持ちを持っていた。
 計画ということが、すべて叶わないようなあの一時期。本当に所有したいものも見つからず、将来の足がかりも探せず、迷っていたような数年だった。だが、ある日、ふとした幸運で、自分の才能が花開き、誰かの目にとまり、自信と勇気を勝ち取れそうな予感はあったはずだが、それさえも汚い川に浮かぶ洗剤のあぶくのように、いつしか消滅しそうになった。
 合宿で免許を取りにいけば、彼女を作ってきた友人。自分は、どうしても一人の幻影から離れられなかったのかもしれない。ある夜、友人の家で寝ていた。その時に、うなされて女性への懇願の言葉を吐いていたと言われた自分。大体は、誰のことを指しているのか、自分が一番よく知っていた。そんな亡霊から逃げ惑い、だが振り切れずにもいた。
 友人たちの車に乗り、家まで送られ、その代償としてなのか、彼らには、それ相応の女性たちがいた。自分は、やはり、芸術とかをあきらめられずにいた。近くの公園に、ジーンズの後ろのポケットに文庫をいれ、そこまで歩く。強い日差しのときもあれば、曇りのときもある。犬を散歩させている人もいれば、鳩にえさを投げ与えているお爺さんもいる。自分もいつしか、過剰な欲もなく、そういう存在になれればいいが、と本気で願ったりもした。だが、そう簡単には、こころの奥の曲がった野心を打ち消せずにもいた。荒みはじめた自分がいる。あきらめかけた自分がいる。絶対的な知識を渇望している自分がいた。そこには、神という存在が手を差し伸べてくるのか。
 真面目な考えの昼間とは別に、夜は、あまり腹の割れなくなった友人たちに電話して、つかまえようとしたが、それぞれ違う道を進んでいるようだった。誰も止められないものが、自分にも訪れようとしていた。
 使いたくなくても、金はいつしか目減りしてくる。お金のないときの発想。こつこつとではなく、大金をということか。自分もある種、不安な将来と、薄い財布を心配し始める。家族の中で、とびきり強く感じる孤独。自分の才能の片鱗に気づかない人たち。
 そんな時に、まだ若い兄に子供が出来たのだろうか。それにつられて、我が青春も終止符を打とうとしているのだろうか。すべてが、自分の奥からの発動ではなく、他者との関係で成り立っているのだろうか。


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