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「考えることをやめられない頭」(22)

2006年11月27日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(22)

 雑踏にいつものようにまぎれる。東京の夜の風は暖かかった。そして、少し薄汚れていた。
 家に着いて、先に宅配の荷物が届いていたので、自分が戻るのは知られていたようだ。玄関の扉を開けると、そんなに長い間、留守にしていたとは思えないほど、直ぐにそこの住人に返った。犬も自分を覚えていた。
 荷物をほどいたり、整理をしていると、やはり自分の部屋は多少、くつろげることに驚いたりもした。だが、いない間に物事は、すこしばかり移ろっていくのも事実だ。図書館で借りたものを返却したはずだが、戻っていないとのことで督促があったりした。直ぐに電話をかけ事情を話し、あちら側のミスということで解決した。
 自分宛に写真や手紙もあった。ぼくの最初に深く知った女性、彼女からも一通の封書が来ていた。さらっというが、いつの間にか結婚していたらしく、その日の写真も同封されていた。その相手は、ぼくも知らないが、うまく隠されていたような背中や、腰元の写ったものが、まぐれのように一緒にあった。もちろん、いくらかの動揺が自分には、自然と訪れた。
 そして、雑踏にまぎれようとしている。ずっと、映画を見ていなかったので、あの薄暗い環境に自分を置いてみたかった。中味は、どうでも良かったのかもしれない。ただ、これまでの自分を振り返ってみたかったのだ。反省と判断の刻印をあの場所でしたかった。
 冷たい空気から戻ってみると、東京の温度は生易しかった。すぐに、自分を前の自分にからめとるような暖かさだった。
 向こうでは、テレビでフランス映画の「幸福」という作品を、小さなテレビで見たことが印象に残っている。とても、幸福とは呼べそうもない内容だが、不思議とずしりと自分に襲い掛かった。
 やはり、都会の映画館は、自分を深く追求することができないほど、その他多数のエキストラのような個性を埋没させてしまうような雰囲気だった。人気のある女性が主演だったが、その時の民衆の総合的な評価はどこにあるのだろう。不特定多数の偶像。最大公約数てきな人気。自分は、もうそういうものから遠くなってしまったことに気づく。
 映画も終わり、タイトルも流れ、再び町の中のひとになる。いつものざわめき。いつもの酔っ払い。普段のサラリーマンの集団。もう、自分がすっかり安心する場所など、この地上にはないような気がしてきた。しかし、直ぐにその問題も忘れる。
 憶えている電話番号。なんだかんだ彼女を永久に失ったこと。そんなに自分のこころに長い間、住むとも存在しつづけるとも予想だにしていなかった。
 久し振りに友人に電話をかけ、彼の仕事終わりに会うことになった。待ち合わせ場所に随分遅れて、彼はやってきた。
「ごめん、あんまり自由になる時間がなくて」と彼は、言った。一緒に遊んでいたことを懐かしむこともなく、彼は遠くに離れてしまった感じを受ける。
 飲みながら、最近読んだ本の話でもしようとしたが、彼は、もうそんな所にはいなかった。そのことを後悔するわけでもなく、謝るわけでもなく、価値を認めていないような口ぶりになっていた。それで、なぜか、いや当然だが、もうこうした関係は終わったことに、もう戻れない過去が、きつく袋に閉じ込められたような気がした。
 後味が悪くなりながらも、どこかで爽やかな風も感じる。自分には、もう友人など必要ないのではないだろうか? 成長するのには、ある種の犠牲がつきまとうのか。知識を蓄えたいと再びのように思った。それには、個ということしか、自分との競争としか考えられなくなった。そのことを実証しようと、熱心に車内で本に読みふける。
 地元の駅に着く。絶対的なものについての探求。ふらふらと彷徨う頭ながらも、これからの自分を夢想してみる。理想の自分になれるか。それを誰かが認めてくれるのか。
 コンビニでビールを数本買って、家に着く。それを待っていたように犬が吠える。今まで寝ないで待っていましたという虚飾の顔をしている。実際は、何事よりも寝ることの好きな犬なのだ。部屋に入り、ビールを開けた。彼女の写真を引き出しから取り出す。なぜかその日の勢いで、両手で破ってしまった。それを繋げて、また彼女に戻そうとするが、その行為はどう考えても無理であり、また無駄だった。後ろめたい気もしたが、それをゴミ箱に入れ、その日の疲れで身体は転がった。


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