爪の先まで神経細やか

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壊れゆくブレイン(21)

2012年01月18日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(21)

 ぼくらは電車に乗っている。窓外に海が見えはじめ、その匂いも感じられるような風景があった。

 ぼくの横には雪代がいて、前には広美とまゆみが座っていた。お菓子の袋がふたりの間にあり、交互にそこに指を突っ込んではつまみあげて口に運んでいた。まゆみたちは少し前に海に行く予定をたてたが、実際に行く段になると、ぼくらに相談した。ぼくは以前に行った場所を思い出している。裕紀が大病してから、回復したあとにそこに行った。また、いつか来たいと彼女は告げた。それを実行することはできなかったが、ぼくはどうしても再訪してみたかった場所だ。

「もうそろそろだから、降りる仕度をしないと」と、雪代は言って先に立ち上がった。電車はスピードを緩め、しばらくすると完全に停まった。ぼくはバックを片手に、横のポケットにしまった切符をさがした。改札を通過して駅前からバスに乗り、海沿いのホテルに向かった。途中にはやしの木があり、どこからか甘い匂いが漂ってきた。ケーキを焼くような匂いでもあり、フルーツの香ばしさも含まれていた。

 ホテルでは、2部屋とり、ぼくと雪代が同じ部屋で、まゆみと広美は用意されたとなりの部屋の鍵を開けた。
「もう、泳ぎに行っていい?」広美は快活に訊く。雪代は渋ったが、ぼくは直ぐにうなずいた。
「あまり、危ない場所に行ったら、駄目だよ」ぼくは、そこで自分の部屋の戸を閉めた。「どうする? 雪代は?」
「最近、仕事がハードだったので、少し眠ってもいい?」

「いいよ」ぼくは窓を開ける。そして、ベランダに出た。それは、あの日にいるような気持ちにさせたが、季節が違うため景色としては別の場所のようにも感じた。「ちょっと、歩いてくる」
「気をつけて」雪代の髪はすでに枕のうえに置かれ、まぶしそうにこちらを見た。

 ぼくは部屋を出て、となりの部屋をノックするが、もう居ないらしく返事はなかった。ぼくは坂道を歩きながら以前に行った店を探す。そこは簡単なつくりの飲食店で、ぼくはおいしいビールを飲んだ。海と少し距離があるため大混雑しているとも思えなかった。それに店主たちもそういう意図を店にもっていないように思えた。
「こんにちは、久し振りです」ぼくは、小さく会釈してそこに入った。彼らが覚えているかどうかは、どっちにしろ問題ではないような気もしていた。

「いつかまた来てくれると思っていた」浅黒く日焼けした男性が、しわを見せ笑顔を作った。そして、椅子を指差し「そこに、ビールでいいんでしょう」とつづけた。
「どうも。お願いします」
「ゆっくりしていって。ここは、あまりざわざわしていないから」

 ぼくはグラスに注いだビールをゆっくりと飲み干す。さらに別の1本がくる。時間はのんびりと過ぎ、昼から夕暮れに変わっていく。ぼくは身近なものとか所有しているものさえ忘れていた。そこに、テーブルに置いてあった電話がなった。まゆみからだった。

「どこに、いるんですか? 部屋にいないみたいなので」
 ぼくは海からの経路を説明し、寄って行けばと誘う。しばらくしてまゆみと広美が歩いてきた。ふたりともまだ髪が濡れていた。

「お知り合い」店主の奥さんがぼくに訊ねる。
「こちらは、ぼくの娘。そして、こちらはその勉強の先生」
「娘がいたの?」
「いや、再婚して娘ができた」広美は手についた砂が気になるらしく、それを洗いに行ったため奥に消えた。「前の妻は病気で」
「そう、いろいろあるのね」湿っぽい話がいやなのか、まゆみが、
「こういうところ、いいですね。わたしも働きたいな」
「来年の夏休みでもくるといいよ。これでも、人手不足になるから。今年はもう間に合っているので残念だけど」
「ほんとに、いいんですか。わたし、来ますよ」としつこく、まゆみは念を押した。
「どうしたの?」戻ってきた広美には謎のやりとりだったらしく、質問した。ぼくは、いままでの経緯を話した。それで、広美はまゆみのことをうらやましがった。

 彼女らのジュースのグラスも空になり、ぼくらは店を出た。
「ひろし君は、裕紀さんとここに来たんだ?」広美はホテルに向かって駆け出していた。指には小さな貝を持っていて、雪代に見せると言ってぼくらから遠退いていた。
「何年か前に。また来る約束をしたが果たせなかったからね。それを抜きにしてもいい場所だろう?」
「うん。ありがとう。連れて来てくれて」
「こちらこそ。広美の成績もまともになってきた」
「ただ、方法が分からなかっただけでしょう。誰かがきちんと面倒を見れば、成長するよ」
「みな、自分のことで忙しいからね。でも、来年、ほんとに来るの?」
「あと、何年かしたら社会人になって、余裕もなくなってしまう。その前に、たくさん思い出もつくりたいし。ここ、その環境にあっている」

「その間は、広美の勉強が停滞する」
「しないでしょう。もうその頃には」まゆみは色彩の強い花を触った。裕紀と来たときには、その花の季節ではなかったのだろう。そのときには目にしない花だった。だが、この土地にとても合っていて、また大人の入り口を通過するまゆみを象徴するようなカラーでもあった。


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