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物語の連鎖
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壊れゆくブレイン(34)

2012年02月03日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(34)

「広美はどこに行ったの? いないみたいだけど・・・」休日の朝、いつになく朝寝坊をした。
「お友だちと映画を観に行くとかいってたけど」
「何を見るんだろう?」
「さあ」雪代は、キッチンでボールのなかを眺めながら、泡立て器のようなものを使ってまわしていた。「社長の体調、悪いみたいなの?」

「そう、心配するほどでもないと思うけど」
「広美が言ってたけど、島本のお祖母ちゃんも調子が悪いみたいだって」彼女の前の夫の母のことである。
「みんな、そういう年齢になってきたのかな」
「気をつけないと」
「うん」ぼくは、カーテンの向こうの日射しを見るともなく見ていた。このような陽光がありながら映画館の暗がりにすわっている娘のことをちらっと考えた。
「夕方まで帰ってこないんだって、広美」
「そう、じゃ、どっか行こうか?」

「これ、夕飯のために仕上げるから」彼女はボールの中味を傾け、タッパーのなかに流し込んだ。それでなにが出来るのか自分は皆目分からなかった。それから、テレビでニュースを見て、情報番組から必要もない知識を収集した。休日の朝といえばこれ以上、それにふさわしい日もないぐらいのゆっくりとした時間がもてた。同時に、コーヒーを飲みながら寝ていたときに作られた身体のコリがこの日常と段々と和解していくような気分もあった。

 昼を過ぎたところで家をでた。商店街のいっかくには雪代の店があり、その前を通った。店員たちは彼女に気付き、笑顔を見せる。ぼくも顔見知りのひとがいるので同じような態度をとる。店の主人の夫という立場が彼らにどのような印象をあたえるのかを考えようとした。

 そのまましばらく歩くと、広美が友だちとふざけ合っている姿が見えた。ぼくらの町は、それほど大きなものではないということを改めて実感させる出会いだった。彼女は照れたように知らない振りをする。その反対に、友だちは大きな声で挨拶をした。雪代はそれに応えるように手を振った。

「もう、映画、見たのかな?」
「これからでしょう」と、雪代はある意味では自分の子に無関心な様子で言った。それは自分の所有物ではなく、別個の存在と認めたからのような口振りだった。「あの子も、もうしばらくすると中学生になる」
「早かった?」
「早かった。とっても。いつか、わたしのことを必要ともしなくなるかもしれない。すべて自分で決めて、事後承認」
「女の親子って、もっと親しいんじゃない? 親密とか密接という感じで。妹もそうだけど」
「わたしは、母と違かった」
「それは、雪代には自立心があったからだよ」

「広美にもあるのよ、当然」ぼくらの会話は堂々巡りだった。とくに解決を求められる会話をしていないせいか、それでも問題はなかった。もっと掘り下げる必要はあったが、それも今すぐという話でもなかったので取り敢えずは宙ぶらりんにした。忙しくしている日常では忘れてしまうような内容でもあったし、ある日、結論が勝手にくだされている問題かもしれなかった。それでいながら、頭の片隅の、もっと隅のほうには残っている感じもあった。

 ぼくらは服屋のまえに立っていた。「服も自分で選ぶようになり、友だちも自分の意識で決める。スポーツをなにするかということも決め、好きな相手も選ぶ」
「あれは、選ぶということじゃない」雪代は即座に否定する。
「選ばれる?」
「ある場合は、そう。女性だからちょっと受身のこともある。だけど、もっと激しい本気のときは、自分の意思じゃないでしょう?」

 ぼくらはお互いそのような経験を通して会ったのかもしれない。少なくとも、ぼくは雪代にそういう感情を抱いてしまった。それは、幸福だったのか不幸に導く序章に過ぎないのか分からない。すると、すべての選択というものがあやふやなことに思えた。もっと、自分の根源的な何かは、昆虫や恐竜などがもつ生きる衝動と何ら変わらない気がした。

「ぼくの場合は、そうだったね。認める。降参」
「わたしもそうだった。しっかりとした年上の男性が好きだと、ある日まで思っていた。そんな先入観はいつの間にか崩され、いま、こうしている」自分が主人公である物語を客観的にみるように彼女は言った。「広美もいつか、そうなるかもしれない」

 ぼくは、彼女のこれまでの日々を組み立てなおし、そこから派生するこれからの未来を漠然とだが想像した。ある日、自分の母はむかしの交際相手だった男性と再婚する。そのひとが共にいる生活が普通のこととなる。ぼくらの間には抵抗感やいさかいもなく、ただ、自分の領分を崩さないように住み分けていた。それは当初は雪代を介してだけの関係だったかもしれない。だがそのうち、広美は幼さから自分だけの個を取り出し、育んで行くのだろう。もうすでにその萌芽は見られた。ぼくらは雪代を通して知り合ったという事実を乗り越え、個と個として触れ合うようになっていくのかもしれなかった。

「イベントが何かあるみたいだね? 聴いて行こうか?」
 デパートの1階の噴水のある広場にギターを抱えた若者がふたりあらわれた。女性たちの歓声があり、待ちわびた期待が終わった安堵のようなものがそこに充満していた。用意された椅子は満杯だった。ぼくらは座れそうな場所を奥の方に見つけ、背中合わせにそこに腰を下ろした。このミュージシャンが誰であるのか、あとで広美に訊こうとぼくはそのグループ名を頭の中に記憶しようとした。

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